泰造さんの旅のおはなし
泰造さんの旅のおはなし①
泰造さんは、若い頃から旅行が好きでした。
昔は奥さんや子どもと一緒に日本各地を旅行していましたが、今は独りで気ままに旅をします。子どもも立派な大人になり、年をとった奥さんは出かけるのが好きではなくなってしまいました。だから、泰造さんは独りで旅をするのです。
今日の夕方、急に旅に行きたくなった泰造さんは、自宅のあるカヤバ町を出発しました。もちろん、奥さんには内緒です。知られてしまえば今後一切旅に出られなくなってしまうからです。
泰造さんは車を持っていません。お金も持っていません。
だから、ひたすら歩きます。
大好きな歌「遠くへ行きたい」を繰り返し歌いながら、ひたすら歩きます。
日が暮れた頃に着いたのは、埼玉県本庄市。
かつては中山道一の宿場町として栄えたところです。
泰造さんは、住宅街に佇む宿屋を見つけました。
看板のない平屋の民宿です。
今夜はここに泊まろうと決めました。
泰造さんは、民宿の戸を叩きます。アルミか鉄でできた、固い戸です。
ゆっくりと戸が開きました。
中から出てきたのは、若い女の人です。黒髪は長く、大きな瞳と大きな口が印象的です。
この民宿の仲居さんでしょうか。それにしては、運動着のような服を着ています。
泰造さんは仲居さんに訊いてみました。
「俺はカヤバ町から来た
仲居さんは、きょとんとした表情で首を傾げます。
この民宿は従業員の教育がなっていない、と泰造さんは思いました。しかし、泊まれそうなところはここしかありません。外は真っ暗なのです。
「
「
背の高い男の人も出てきました。仲居さんと同じような服を着ていますが、民宿の大将のようです。
泰造さんは大将にも訊ねました。
「大将、泊まりてえんだけど、部屋はあるかい」
断られたら大変です。泰造さんは、ここまで旅をしてきたことを大将に話しました。
大将は嫌な顔ひとつせず、泰造さんの話を聞いてくれました。
泰造さんが話し終えると、大将は言ってくれました。
「どうぞ、中に入って下さい」
「ありがてえ、大将」
泰造さんは、民宿の中へ入らせてもらいました。
民宿は洋風で、殺風景です。
がらんとした食堂には、長テーブルが2列に並んでいて、椅子がまばらに置かれています。
厨房は電気が消えていて、誰もいません。
「
泰造さんが訊ねると、仲居さんが大将をちらっと見ました。
「岩居さん、私の分をあげても良いですか?」
「いいよ、あげなくて。俺、出前とるから」
「岩居さんが食べたいだけじゃないですか!」
「俺、魚が苦手なんだよー」
しばらくすると、出前が届きました。弁当箱には「ハネダ食堂」と書かれています。
「ありがてえ! いただきます!」
泰造さんは大将にお礼を言って、弁当箱を開けました。
弁当の中には、泰造さんの大好物のヒレカツが入っています。
ぐう、と泰造さんの腹の虫が鳴りました。
泰造さんは早速、弁当をかき込みます。
総入歯の泰造さんには硬いヒレカツでしたが、味は百点満点です。
「うまかった。ごちそうさま。風呂に入りてえんだけど」
風呂はすでに栓を抜いてしまったそうです。
泰造さんは、風呂は諦めて部屋に案内してもらいました。
部屋も洋室です。洒落っ気のない部屋にベッドがぽつんと置かれているだけです。
それでも、泰造さんは満足でした。
「ありがとう! おやすみ!」
泰造さんは明りを消してベッドに横になりました。
疲れていたのでしょう。すぐに眠くなりました。
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