第90話 不眠症

 生来、寝ることに生きがいを感じていた私が、不眠症におちいろうなどとは、まさしく夢にも思わなかったことでございます。学生時代、連続16時間眠りっぱなしで、下宿のおばさん、死んだんじゃないかと、部屋をのぞきにきたほどなのです。


 ある時、国際保健の学会を立ち上げるために、私は奔走していました。


 そこに夜中の緊急手術が続き、息子の出産が重なりました。といいましても、出産は女房がしたのですが(←(^ω^)当たり前)、何だかんだと、家中がごった返し、心身が疲弊しきったせいか、ある日から突然眠れなくなってしまったのです。


 寝よう寝ようとすると、ますます頭がさえてきてしまうのです。何とか寝ようと工夫するのですが、「1匹、2匹、3匹・・・」と数えた羊が千匹になっても、目の前でいまいましくとびまわります。そうこうしているうちに、数えるのが嫌になってきて、またほかのことを始めるのですが、らちがあきません。


 頭は燃えるように、カッカカッカとしてきて、そのうち、しらじらと夜も明けてくるのです。


 この苦痛は、経験したものでなければ分かりません。


「眠れなければ、寝なけりゃいいんだ」


などと、ある高名な精神科医がおっしゃっていましたが、それは自分に不眠の経験がないからそういえるのでしょう。


 眠れない翌日は、頭が疲れ切ってすべてうわのそら。それならそれで、その夜は熟睡できるかと思いきや、おつむを枕にのせたとたん、またまた頭はカッカカッカとしてきて、カッカカッカとしている自分に、またまたカッカカッカとしてしまい、なにがなにやら訳の分からない精神状態になってしまうのです。


 これを称して、不眠症というのでございます。


 これには心底参った私は、ついに生まれて初めてハルシオンという睡眠薬のごやっかいになったのです。さすがに睡眠薬は妙薬です。いくらカッカカッカとしていても、ものの30分もたつと、スーッと火が消えるように、落ち着いてきます。


「あ~あ助かった」


 ところがところが、またまた難題が持ち上がりました。飲み始めると、今度は薬を切ることができなくなってしまうのです。依存症、平たくいえば、癖になるのです。


 実におもしろいのですが、(←(^ω^)今は解決できたので、おもしろがっておれるのですが、当時は、自分もこれまでかと、落ち込んだほどでした)その薬を飲まないと、気のせいか、何のせいかは分かりませんが、カッカカッカとしてくるんです(←(^ω^)リバウンド不眠という)。


 どうしようもなく、また飲んでしまう。完全に依存症におちいるのです。


 本にも、依存症に注意と書いてあります。私だって科学者の端くれ(←(^ω^)のつもり)ですから、研究しました。というより、何とかしようと必死だったのです。


 まず、カッカカッカとくるのが、そのときの精神状態からくるのか、つまり興奮状態が何日も続いているからカッカカッカとくるのか、あるいは薬の依存症からくるのか、そのつど調べました。


 たとえば風邪をひいて、熱で苦しいために眠れず睡眠薬を飲んだ場合、風邪が良くなれば、その夜は薬なしで眠れていいはずです。


 ところが私の場合、そうはいかないのです。睡眠薬を1度飲んだら最後、依存という蟻地獄に陥り、まさに地獄の苦しみを味わうことになるのです。それで私の場合、依存症からくることが分かりました。


 それからというもの、寝つかれない時、睡眠薬を飲まないでどうやって寝つくかを研究しました。いろんな本も読みましたが、脳の生理などと難しいことは書いてあっても、ほとんど効果のある実用的なものはありません。


 寝る前にお酒もやってみましたが、こんどは胃がやられてしまい、胃の具合がよくなるのに1ヶ月、てな調子でした。


 睡眠薬以外のいろんな薬も試してみました。


 抗ヒスタミン薬といって、風邪薬の中に入っていて、飲むと眠くなる薬があります。確かに眠られますが、作用時間が長過ぎて、翌日まで残ってしまい、フンワリフンワリ、雲のうえにいるようで、仕事になりません。


 しかしついに、実に2年半を費やし、見つけたのです。見つけてしまえば何のことはありません。セルシンという精神安定剤がいいのです。この薬は、50年も前から使われている薬ですから、特別な副作用、たとえば長く飲むと発がん性があるなどという、しろものではありませんから、安心して飲めます。癖にもなりません。


 ハルシオンという睡眠薬0.25mgとセルシン10mgが同じくらいの効果があるように私は感じています。私と同じような悩みを持つ患者さんがおられ、これをすすめてみたところ、癖にならずたいへんいいと喜んでおられるのを見ましても、私の発見はあながち手前味噌ではなさそうです。


 風邪などで具合の悪い時、セルシンでは寝付けないことが数年に一度くらいあり、睡眠薬ハルシオン(あるいはマイスリー)を飲むこともあります。


 このような時には、依存症という蟻地獄に陥る前に、セルシンに徐々に切り替えていきます。早めにハルシオンを減量して、その分をセルシンで補うのです。最終的にはセルシンのみ、さらにはそれも無しで済むようにします。


 (Wikipediaには、マイスリーの項目に、「依存が形成された場合、数ヶ月にわたって徐々の減量を行う。これに失敗した場合、ジアゼパム(=セルシン)などの、長時間作用型ベンゾジアゼピンに置換し徐々に減量していく」とあります。)


 このやり方で、幸いにも地獄を見ることなく今日まで過ごせています。


 最近は年をとったせいで、熟睡感が減りました。眠れないのではないのですが、朝の目覚めがすっきりとしないのです。そのためにセルシンを毎晩少量(5mgくらい)飲むようになりました。癖になったわけではありませんが、飲まないとやはり熟睡感がないのです。


 しかし、毎晩毎晩、精神安定剤を飲むのは、認知症になるなどと脅されては、気持ちの良いものではありません。


 そこで見つけたのがグリシンというアミノ酸(商品名=グリナ、味の素㏍)です。これを飲むと熟睡できて、朝も目覚めがいいのです。セルシンも3分の1くらいに減らせました。休日の前夜などは、セルシンなしでも大丈夫です。


 ただ難点は、健康食品のために値段が高いのです。セルシンは10mg1錠で21円(ジェネリックなら6.4円。ただしセルシンは、病院で処方してもらうので、3割負担として概算で1ヶ月分1200円ほどになります)ですが、グリシンは1回分200円ほどします。半年ほど飲めば、半量に減らしても大丈夫とありますが、それにしても少し高価です。


 値段が気になって眠れなくなっては、元も子もありませんよね。


*豆知識


 睡眠に関する文献をまとめてみました。


①《Medical Tribune 2011年11月24日》


 《睡眠の質を考える 生活指導と睡眠の重要性および薬の使い方》


 睡眠障害国際分類による不眠症の定義は、「夜間の睡眠困難」と「日中のQOL低下」とされている。


 健康な人の睡眠構造は、入眠すると浅い睡眠から、徐々に深い睡眠(徐波睡眠)となり、再び浅くなることを繰り返す。不眠症患者では徐波睡眠が減少しているケースがあり、徐波睡眠をしっかり得ているかどうかが質の良い睡眠の重要なポイントとなる。


 18~27歳の健康な男性を6日間連続4時間睡眠の睡眠不足状態にすると、インスリン分泌には変化がないにもかかわらず、朝食後血糖値が上昇し、耐糖能が悪化することが報告された。以降、睡眠不足が糖尿病発症の危険因子であることを示唆する多くの論文が報告されている。


 徐波睡眠中は成長ホルモンが分泌され、骨や筋肉の発達や体内のさまざまな反応を促す。しかし、徐波睡眠が減少すると、生体にとって重要なこれらの働きが妨げられ、同時に交感神経が優位になるために夜間血圧が上昇し、糖代謝にも悪影響を及ぼす。


 徐波睡眠を増やす方法は、日中の身体活動を増加させることが有効だ。高齢者に日中しっかり運動させた結果、徐波睡眠が増加したとの報告がある。


 日本人の特徴として、寝酒で不眠に対応するという傾向がある。しかし、実際にはアルコールは耐性・依存性が強く、また肝臓で代謝されると覚醒作用を発揮して眠りを浅くするので、寝酒はかえって睡眠の質を悪くする。


 これまでの研究で、睡眠薬を服用して睡眠を十分に取り、昼夜の生活リズムを維持している人の方が、不眠のままで、めりはりなく過ごしている人よりも認知症になりにくいことが示唆されている。


②《米国科学振興協会2010年年次総会》


 《1時間半の昼寝は1晩分の効果》


 昼寝と夜間の睡眠効果を視覚学習効果などを比較して調べたところ、1時間半の昼寝は、1晩分の睡眠に等しい効果を示した。しかし、1時間半の昼寝の出来る人はそうはいない。コーヒーを飲んで眠気を飛ばそうとする人が多いが、濃いコーヒーを飲んでも、20分の昼寝の効果にはかなわない。


③《m3.com 2009年1月19日》


 《夜間の良質な睡眠が風邪をおとなしくさせる》


 夜間の良質な睡眠が、風邪の予防のもっとも優れた方法のひとつであると思われる。夜間の睡眠が7時間未満である者は、8時間以上の睡眠をとる者に比べて、風邪原因ウイルスへの曝露後に風邪をひく傾向が3倍高いことが、最新研究で示された。ベッドに入っていた時間数は関係がなく、実際に睡眠した時間の割合が特に重要だった。


④《SLEEP 2010年8月1日(2010; 33: 1037-1042)》


 《睡眠時間6時間でも8時間でも心血管疾患リスク上昇》


 睡眠時間が7時間以上、あるいはそれ未満であっても、心血管疾患のリスクが増大する可能性がある。睡眠時間が6時間でも8時間でも、7時間の場合に比べ、20~30%のリスク上昇が見られたという(5時間以下では約2倍、9時間以上では約1.6倍のリスク上昇)。


⑤《m3.com 2009年5月27日》


 《体重を減らすには、良好な夜間睡眠が役立つかもしれない》


 新しい試験で睡眠と体重との関連が明らかになった。いわゆるショートスリーパー(一晩の睡眠時間が6時間未満)の被験者では、ロングスリーパー(6時間以上の人)に比べて肥満度指数(BMI)の平均値が高い傾向があった。ショートスリーパーの平均BMIは28.3、ロングスリーパーの平均BMIは24.5であった。BMIは、18.5-24.9が正常、25.0-29.9が過体重とされている。


⑥《American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine 2009年5月15日号》


 《舌の体操によって睡眠時無呼吸が軽減される可能性あり》


 研究によると、1日30分間の舌および顔面の体操によって、中等度の閉塞性睡眠時無呼吸が抑えられる可能性がある。


 言語療法士が16例の患者に、舌および顔面の体操を毎日30分間行うよう指導した。それらの体操には、舌を歯ブラシでブラッシングすること、舌の先端を軟口蓋につけて舌を後ろの方にすべらせること、母音を速くまたは連続的に発音すること、および物を食べる時、舌を特定の位置に保つことが含まれた。


 3カ月後に、体操群の患者は閉塞性睡眠時無呼吸の重症度が39%低下した。同じくそれらの患者は、体操を習う前よりも、いびきが少なくなった、よく眠れるようになった、および日中の眠気が少なくなったと報告した。


⑦《「空腹」が人を健康にする 南雲吉則 サンマーク出版2012年(抜粋)》


 「体内時計」は、日の出の光を浴びることによってリセットされる。1日の体内周期のリズムができて、内分泌系、つまりホルモンや神経などの働きが、すべてリセットされる。


 このとき脳では、睡眠物質であるメラトニンが、朝の太陽光を浴びることによって、「幸せ物質」と呼ばれるセロトニンに形を変える。


 そして夜になると、その大量のセロトニンが、今度はメラトニンという睡眠物質に変わる。メラトニンは睡眠を促進する「眠気ホルモン」ともいうべきもので、これによって早寝・早起きのリズムができあがる。


⑧《Medical Tribune 2012年10月2日》


 《ベンゾジアゼピン系薬服用で高齢者の認知症リスクが上昇》


 高齢者のベンゾジアゼピン系薬服用と認知症の発症リスクの関連について65歳以上の集団で評価した結果,服用者では非服用者に比べてリスクが1.6倍高いため,同薬は認知症の発症リスクと関連すると結論した。(ハルシオン、セルシンはベンゾジアゼピン系薬)


⑨《Medical Tribune 2014年3月13日》


 《入眠困難と熟睡障害は死亡リスクを高める《》


 不眠症状のうち入眠困難と熟睡障害は死亡リスクの上昇と関係すると,米・Brigham and Women’s HospitalのグループがCirculationの2月18日号に発表した。


 不眠の訴えは特に高齢者に多く,死亡リスクと関係している可能性があるが,一貫したエビデンスはない。同グループは,不眠症状が死亡リスクの上昇と関係するかどうかを前向きに検討した。


 その結果、ほぼ常に入眠困難または熟睡障害がある男性はない男性と比べ,心血管疾患による死亡リスクがそれぞれ55%と32%高かった。


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