第65話 患者もいろいろ-セラチア菌

 千葉の病院に勤務していた時のことです。


 他の医師が担当する脳卒中の患者さんが、点滴を行っている最中に悪寒戦慄(おかんせんりつ←(^ω^)がたがたと体をふるわせること)を来たして、39°Cを越える熱を出しました。


 担当医はその日は休みで、私が代わりにその患者さんを診ることになったのです。


 悪寒戦慄は、何らかの感染があったというサインです。しかも普通の発熱より重症で、菌が血中に入りこんで全身に回るという敗血症が疑われるのです。


 この患者は脳卒中の治療中なので、すぐに抗生剤の点滴を追加しておきました。


 もし私が担当医であれば、感染源を特定するためにいろいろな検査をしたでしょうが、翌日には担当医が出勤するので、その指示のみにしておいたのです。


 というのも以前、同じ担当医の患者で、少しトラブったことがあるのです。


 彼の休みの日にDIC(⇒豆知識①)を起こし、ヘパリン、FOYなど、それに必要な治療を私が勝手に指示したことがあります。


 数日してその担当医にいわれました。


「勝手なことはしないで欲しい」(←(^ω^)主治医が休みなら勝手にするしか無いよね)


 なぜかというと、


「こんな治療があるのに、なぜ早くやらなかったんだ」


 家族からクレームが出たというのです。


 そういうすれ違いがあってからは、彼の患者にはあまり深入りするのは止めようと、私は思ったのです。


 冒頭の熱発した脳卒中患者は、翌日担当医の治療を受けましたが、敗血症を起こして、1週間足らずして死亡してしまいました。


「すごい劇症だぞ……」


 あまりの急激な進行に、唖然としました。


 普通の感染症では、熱が出て数日で亡くなることはまずありません。やはり敗血症を起こしてDICに至ったのです。


 その事があって1週も経たない頃、めまいのために同じ病室に入院した私の患者が、突然高熱を出し具合いが悪くなりました。


 血液検査をすると、入院時の検査ではほとんど正常だったのに、腎障害、肝障害が出ていました。白血球も20000を超え、血小板も減ってきていたのです。


 敗血症にDICを合併しつつあると考え、どんな菌が関与していても効くように抗菌剤を3剤使い、さらに免疫グロブリン、ヘパリンやFOYも投与しました。


 幸いその患者は、DICが進行することなく発熱は治まり、4日ほどで食事も取れるようになりました。血液検査も、全ての項目がおおむね正常となりました。一時70000に下がった血小板も、110000に回復してきたのです。


 この発熱の出方はどうもおかしいと思い、他の患者のカルテを調べてみると、その病棟に入院した患者の多くが、入院してすぐ熱を出していることが分かりました。


 何か感染力の強い菌が部屋の中に蔓延しているのではないかと私は疑い、病院長に上申しました。


 すぐさま病院長は、病室ごとに細菌培養の標本を採取し、汚染源の特定をしたのです。


 すると、へパリンを溶解した生理食塩水(←(^ω^)へパ生と現場では呼んでいます)の中に、セラチア菌という細菌が見つかったのです。(⇒豆知識②)


 セラチア菌はあまり聞いたことがない細菌なので、「へえ~」というくらいにしか、その時は注目しませんでした。


 へパ生は、静脈カテーテルが血液で固まらないように注入する抗凝血薬で、大きなボトルにたくさん作っておけば、そのボトルから小分けして頻繁に取り出して使うことができ、現場では大変便利です。


 ところがその取り出すときに、セラチア菌が混入し繁殖したのです。それを静注して敗血症を起こしてしまったのです。


 この騒動があってから、病院ではへパ生の作りおきは禁止となりました。毎日新しく作り、冷蔵保存することにルールはなったのです


 それから1年くらいして、東京のある整形外科病院で、へパ生による敗血症が続出し死亡者も出て、世間を騒がせました。(⇒豆知識③)


 そのニュースを見て、


「わあ!あの時のセラチア菌だ!」


 あらためて思い起こし、驚いたのでした。


 この整形外科病院の事件があって、厚生労働省は、へパ生の作りおきはしないよう勧告したのです。(←(^ω^)うちの病院は早く気付いて良かったね。これ、名診だよね)


*豆知識


①DIC


 DICは、disseminated intravascular coagulation(播種性血管内凝固症候群はしゅせい けっかんない ぎょうこ しょうこうぐん)の略です。


 出血箇所で生じるべき血液凝固反応が、全身の血管内で無秩序に起こる症候群をいいます。


1)病態 全身血管内における持続性の著しい凝固活性化により微小血栓が多発し、進行すると微小循環障害による臓器障害をきたすとともに、凝固因子・血小板が使い果たされるため、出血症状が出現します。


2)基礎疾患 常位胎盤早期剥離、羊水塞栓などの妊娠合併症や敗血症、悪性腫瘍、急性白血病、外傷、熱傷、膠原病、肝硬変、劇症肝炎などの肝臓疾患、急性膵炎、脱水など様々な生体ストレスが原因になりえます。


 典型例では、微小血栓による循環不全、腎不全、肺塞栓による呼吸困難、ショックなどや、出血症状、多臓器不全がみられます。


 症状がみられると予後不良であり、症状のみられない間に診断治療することが予後改善の観点からは重要です。


(参照:Wikipedia)


②セラチア菌はグラム陰性桿菌で、水場などの湿気の多い環境に広く存在します。病院内では、医療従事者の手、洗面所、何度か穿刺した取り置きの輸液ボトル、血小板などの血液製剤、人工呼吸器の回路、ネブライザー、吸入器などに存在することが、確認されています。


③セラチア菌による院内感染防止対策の徹底については、平成14年7月19日に厚生労働省医薬局安全対策課より、下記のような注意勧告がなされています。


1) 留置針で血管確保を受けていた患者のうち、ヘパリン加生理食塩水で抗凝固処置ヘパリンロックを受けた者にセラチア発症が多く、菌血症に移行する可能性がある。


2)ヘパリンロックは、時間ごとの薬剤の経静脈的投与を可能にするが、院内感染対策としては、菌血症の可能性に一層の注意が必要である。


3)500mL生理的食塩水などの大型容器においてヘパリン加生理食塩水を室温で作成し長時間保存すると、セラチアなどの菌が繁殖する可能性がある。


4)これらの重要点を周知徹底するためには、医療従事者への院内感染防止のための教育と研修の強化が重要である。


(②、③→参照:救急・集中治療領域におけるセラチア感染と院内播種について gooブログ 2008年6月15日)

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