第64話 患者もいろいろ-ぶら下がった鉗子

「は~い、ガストログラフィン (*)、ひとくち飲んでくださ~い」(←(^ω^)今回は“⇒豆知識”は "*"に変えさせてもらいます)


 1週間前に胃の切除術を受けた患者さんをレントゲン室の透視台に乗せて、操作室からマイクで叫びます。術後経過は順調なので、ルンルン気分でやっていました。


 胃全摘(*)のような大きな手術を受けた患者さんは、術後1週目に、吻合部(*)がうまくくっついているかを、レントゲン透視で確認します。


 縫合がうまくいってない場合は、ガストログラフィンが胃の外に漏れ出ます。それを縫合不全というのです。


 縫合不全がないことを確かめてから、水分などの経ロ摂取をスタ-トするのが常道です。


 透視装置のスイッチを入れると、お腹のレントゲン像がディスプレイ上に写しだされました。


「うむ?なんだこれは……」


 ちょうどお腹の真ん中に鉗子(*)がぶらさがっているのです。あわててディスプレイを手でぬぐっても消えません。(←(^ω^)当たり前)


「誰だ、こんなとこに鉗子なんか置いたのは。まったくもう」


 ぶつくさいいながら透視室に入って、患者の病衣の中に手を入れて、あちこちまさぐりました。


「あれ~?ないぞ」


 病衣の前部をはだけてお腹を裸にしても、何もないのです。


「おかしいなあ……」


 まだ気付いておりません。


 しばらくして、


(まさかお腹の中に残したのかあ?!え~っ!!)


 いそいでとりあえず、術後の吻合部撮影をしておきました。


 幸い縫合不全も通過障害もありません。これでおしまいなら胃の手術はうまくいって、一件落着といえます。


 ところが現像した写真には、鉗子がお腹の真ん中に鎮座しておいでになります。


 医局にとんで行って、仲間の意見を聞きました。


「やっぱりお腹の中に残したんだな」


 見解は一致しました。見ればすぐ分かるのに、初めてのことであわてていたのです。


 1週間前に、この患者は胃切除の手術を受けました。


 通常、手術を終える際は、ガーゼや器具の数がそろっているか、外回りのナースがカウントします。腹腔内に置き忘れがないことを確認するためですが、その時、数が合わないという報告はありませんでした。


 鉗子はただぶらさがっているだけで、悪さをしている様子はありません。といってそのままというわけにもいかず、取り出すことにしました。


 写真をよく見ると、鉗子は長いコッヘル鉗子で、ちょうど開腹創の上端に、まさにぶらさがっているように見えます。


「これは腹膜鉗子だな」


 腹膜鉗子は、腹膜を切開したり縫合したりするときに、腹膜を挟んで把持する(つかむ)ためのものです。


 もしそれが腹腔内に落ち込んでしまっていると、全身麻酔をかけて、大きく開腹しなければ見つけて取り出すことは出来ません。


 腹膜に引っかかっていれば、数センチほどの切開ですみますから、局所麻酔でできそうです。


 患者さんを立てたり寝せたりしても、鉗子は動きませんから、引っかかっていそうです。


 手術棟への申し込み書には、「病名、手術創異物」と記しました。「鉗子置き忘れ」などとは恥ずかしくて書けません。


 腹壁の手術創上端に局所麻酔をすると、4センチ程の皮膚切開を入れました。


 普通は術後1週間(*)で抜系しますが、1週間では手術創はまだしっかり癒合はしていません。指で創を押し開くと、簡単に開いてしまうものなのです。


 腹壁の筋膜の縫合糸を2本ほど抜系して、目指す腹膜に到達しました。


 周辺組織はすでに癒合していて一塊となっていますから、5mmほどの鉗子の先端は簡単には見つかりません。


 その辺りをピンセットでまさぐりました。


 するとカチンと金属音がしたのです。


「あっ、これだな」


 筋鉤(*)で切開創を広げ脂肪組織を脇によせると、鉗子の丸い先端が顔を出しました。


 ピンセットでその鉗子をしっかりと把持しました。落としたら元も子もありません。


 その時オーベン(上司)の医師が器械出しナースに向かって、


「針付きナイロン糸、出して!」(*)


 出すのに少し時間のかかることを、わざわざ指示したのです。


 そのすきに、ナースに見えないように鉗子をガーゼでおおって、ゆっくり切開創ギリギリに引っ張り出したのです。


 さすがにオーベンはすごいなあと、感心しました。(←(^ω^)何度も経験してるからかね)


 オーベンはおもむろに針付きナイロン糸を手に取ると、腹膜、筋膜、皮膚をそれぞれ2針ほど縫って、手術は無事終了したのです。


 私めの最初で最後の置き忘れ体験でした。お粗末さまでした。(←(^ω^)コラ~!注意が足らんぞ)


* 豆知識


①胃全摘 主として胃癌に対して行われ、胃を全て切除する手術方法です。胃の幽門側(出口側)5分の4以上切除される場合を、胃亜全摘といい、一部を切除するのを部分切除といいます。


 摘出術は体内の病巣を取り除く手術、切除術は切り取る手術ですが、外科系ではほぼ同じように使われています。ただ摘出術は病巣のみを取り除くこと、切除術は病巣を含めて臓器を取り除くことをいい、多少の違いがあります。


②吻合部 胃腸など消化管の手術の場合、切除部位の断端と断端を縫い合わせて、消化管を再建する必要があります。その縫い合わせ部位を吻合部といいます。


③鉗子カンシ 柄についたストッパー(止め金具)を使って組織を固定把持する手術器具。先端に鉤のあるコッフェル鉗子と鉤のないペアン鉗子、先端がまっすぐなものと曲がったものがあります(直のコッフェル、曲がりペアンなどと呼んでいます)。目的によって、大小、長短のサイズがあリ、小さい鉗子をモスキート鉗子と呼んでいます。


④鉤コウ 組織や臓器にあててそれを牽引し、手術野を確保するための手術器具。腹壁内などの筋肉を牽引するための筋鉤、腹壁を牽引して腹腔内を見やすくするための腹壁鉤、肝臓を圧排するための肝臓鉤などがあります。


⑤針付きナイロン糸 ナイロン糸の端に針が接合してある縫合用の糸。滅菌パック内に巻いて入っているので、取り出すのに少々手間がかかります。


⑥病日と術後日 内科の場合、入院当日を含めて日数を数えます。2病日といえば、入院翌日のことです。


 外科の場合の術後日は、手術当日は日数に含めません。つまり術後7日目といえば、手術した日を入れないで、7日目に当たる日をいいます(←(^ω^)へタクソな説明で分かりにくいねえ)


〈つづく〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る