第25話 医療訴訟 その1

 世のため人のためになろうと意気込んで医者になった私にとって、医療の世界にも訴訟があろうとは、こんなはずではなかったと思うほどの驚きでした。


 アメリカは訴訟大国といわれるように、それが当たり前のようです。医療も契約行為の1つと考えられていて、契約不履行の場合は容赦なく訴えられるのです。アメリカの脳外科医が、医療訴訟対策のために保険会社に支払う保険料が莫大で、医業をやっていけないと嘆いているのをテレビ番組で見たことがあります。


 日本でも国民の人権意識の高まりやアメリカ社会の影響もあって、医療訴訟が増えています。


 私が医者になったころは医療訴訟はまだ数少ないものでしたが、今ではどんどんと増えているようです。新規に訴えられた件数だけでも、平成7年の484件から平成16年の1110件と増加し、伸び率は通常の訴訟事件をはるかに上回っています。しかも、話し合いで手を打つなどして表に出てこないものを含めると、もっとたくさんあると見てよいでしょう。


 アメリカのデューク大学脳外科教授で、どの医者も手をつけられない難治の脳腫瘍の手術を請け負い、世界中を飛び回っておられる福島孝徳先生でさえ、日本で2011年に1度訴えられたことがあります。


 福島先生は、ご存知、「神の手」といわれる技量の持ち主です。「神の手」でさえ訴えられるのですから、普通の手ではもっと危ない橋を渡っていると言えるでしょう。


(余談ですが、最近やたらと日本で「神の手」と言われる医者が増えていますが、私の見るところ、そう称賛されうるのは10人はいないと思っています。果たして神様に何本手があるのかは不問に付すにしても、それ以外の人は「神の手」とは誉め過ぎで、名医と言うくらいが妥当だと思います。)


 ひどいのになるとこんな医療訴訟もあります。


 真夜中、大型ダンプカーと乗用車が衝突。原因はダンプのセンターオーバーで、乗用車の運転手は頭を強く打ち顔は血だらけ。ダンプの運転手は近くの救急病院へ彼を連れて行きましたが、手術中を理由に門前払いを食い、やっと見つけた病院の当直医が良心的にも診てくれ、そこで応急処置を受けました。


 まだCTが普及していない時代なので経過を看ていると、その朝、乗用車の運転手は突然意識を失なって、急死してしまったのです。死因は頭を打ったための頭蓋内出血でした。


 遺族はセンターオーバーしたダンプの運転手を訴えました。するとダンプの運転手、何と、居直って医者が見落したのが悪いんだとその医者を訴えたのです。


 結局その話は示談でかたが付いたのですが、医者にしても良心的であったがために訴えられたのではたまりません。「へたに手を出したら損、触らぬ患者にたたりなし」とばかりに診療拒否をするのも、あながち非難はできません。


 私も院長をやっていた時代に、訴訟になっても仕方のない出来事に遭遇したことがあります。医者なら誰でもそれに近いことは時折経験しますが、大体は双方の信頼でそれを克服することができます。しかし、あまりにはっきりした間違いを起こすと、どうすることもできません。


 ある時、私が午後の外来を始めようと外来診察室に入ると、その隣室のベッドに、中年の女性がうめきながら横たわっていました。


「どうしたの!」


 私は驚いて、外来の看護師に問いただすと、胸を苦しがっていると言います。午前中に1度、胸痛で外来を訪れています。しかしその時の外来担当医は心電図を取って、特に異常所見はないので、何の処置もせずに帰してしまったのです。ところが家に帰ってから、また激しい胸痛が出て病院に駆け込んで来ました。その時ちょうど私が外来室に来たのです。


 私はそれを聞いてすぐ心筋梗塞を考えました。心電図を取っている最中に、患者は白眼をむいて急に意識を失いました。心電図は心筋梗塞の典型的な所見を呈しています。


 午前中の担当医を呼ぶとともに、私はナースに点滴を指示し、気管内挿管下に心臓マッサージと人工呼吸を行いました。


「ついに、やってしまった!」


 そのとき私は心の中で叫んでいました。


 午前中に来たときには狭心症で、心筋梗塞に進展する危険性大の不安定狭心症といわれるものだったのです。狭心症はそれが治まると心電図上には大きな変化が出ませんので、油断しているとついつい見逃してしまいます。しかしそういう意識さえ持っていれば、入院させて様子を看た方がベターだということが分かります。


 それより10年ほど前に私は同じような経験をしています。その時は入院させました。様子を観察していると、翌日早朝、心筋梗塞を起こしたのです。そこですぐ心カテ(心臓カテーテル=心臓の冠動脈まで細い管を刺入し、造影検査をしたり、治療をしたりする手技)ができる高次病院に搬送しました。


 その時家族は、


「病院に入院しているのになぜこんなことになるのだ」


と、すごい形相で迫ってきました。


「こういうことが時にあるために、入院して観察していたのです」


と説明して、家族も納得しその場は治まりました。もしその時入院させていないで、自宅で急変していたら、まず訴えられていたことでしょう。


 今回の場合もそれと同じで、本来なら入院させて様子を看るか、あるいは心カテのできる高次病院に紹介すべきところなのに、何の治療薬も処方せずに帰してしまったのです。


 心臓マッサージで心拍は再開したので、私は高次の救命救急センターに電話を入れました。相手の医師は旧知の仲でしたので、


「そういう病状では搬送中に死亡してしまう危険が大きいので、動かさないでそちらで治療している方が良いと思います」


とアドバイスしてくれました。


 私はその電話のやりとりを、遅れてやって来た長男さんに聞こえるように、わざと大きめの声でしました。それは、「そこまで手を尽くしました」という、一種のデモンストレーションでもあったのです。


 長男さんはその説明を聞いて了解してくれ、患者はそのままうちの病院で診ることになりました。人工呼吸器につないで、循環器専門の医師に治療してもらいましたが、それから数時間後に、その患者さんは死亡しました。長男さんは納得してくれ、私は胸をなでおろしました。


 このケースは、不安定狭心症の見落としをつかれれば、間違いなく訴訟になったものと、一同反省したのです。

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