第20話 手術室見聞録 その1
これは手術室の見聞録。少々長いですが、手術を受けるときの参考にしてください。受けないですむように、日ごろから健康には注意しましょう。
手術室は、オペ患(手術を受ける患者をそう呼んでいます)は別として、一般の人にはなじみの薄いところです。(←(^ω^)患者としてなら、だれも、なじみなどにはなりたくないですよね。)
医療者でさえ、外科系スタッフでないとなかなか入りづらく、いちいち許可をもらって入るほどのいわば病院の聖域といえるのです。
手術室に入り慣れないと室内作法が分からず、帽子やマスクを反対につけて失笑を買ったり、触れてはいけないものに触れてしかられたりします。
私が若いころ、大学の手術棟に行くと、怖そうな太った手術室担当のナースが、若い研修医の手洗い(*豆知識参照)現場を監視していました。へたな手洗いですと、「もう1度」とやり直しを研修医は言い渡されていたのです。
手術室はまさに密室という言葉がぴったりする場所で、独特の緊張感がみなぎっています。
グイーンという低音を響かせ自動扉が開くと、ダークグリーンもしくはスカイブルーの手術着をまとった外科医が、手洗いを終えた両手を胸元にすえて、さっそうと登場します。その勇姿には、思わず「かっこいい!」と叫びたくなるほどに、見とれてしまいます。(←(^ω^)お前はナルシストか!?)
当の手術医本人は、『白い巨塔』(*豆知識参照)の財前教授ならいざ知らず、カッコつけてる場合ではなく、神聖な場所に入るように厳粛な気持ちになって、心身を引き締めながら入室しているのです。
手術室に入室している人は、患者を筆頭に、麻酔医、手術医、ナース、人工心肺など特殊な器械を使う場合は専門の医療技師(臨床工学技士という)、手術の見学者などです。時に家族が中に呼ばれたり、取材のテレビカメラが入ったりもします。
手術医は、腹部の手術の場合は多くて5人で、執刀医1人と、助手が執刀医の上手に1人、前立ち(第1助手をそう呼んでいます。執刀医の前に立つからです)の上手と下手に1人ずつ計4人が、手術台をかこんで立ちます。それ以上は邪魔になるだけで、役には立ちません。
執刀医と助手の背の高さがあまりに違う場合は、足を切り取るわけにいきませんから(←(^ω^)当たり前)、背の高い方に、手術台の高さを合わせます。背の低い方は、踏み台の上に乗ってそれに合わせます。私は踏み台の方でした。(←(^ω^)トホホ)
脳外科の手術など、長時間かかるものや、顕微鏡を使う手術の際は、椅子に座ってやることもあります。
執刀医が右利きの場合は、患者の右手側(手術台の左側)に立ち、それを起点として助手が配置につきます。
ちなみに医学では、左右を患者中心に表現します。レントゲン写真を見るとき、シャウカステン(*豆知識参照)にかかった写真の左側が患者の右側となりまして、少々ややこしいのです。しろうとに説明するときにそれをうまくいわはないと、聞いている相手は?マークの顔付きになります。
「写真の左側に見える右の肺に、異常な影が見られます」
というような、分かりにくい表現になるのです。
患者は、胸腹部の手術の時は、全裸になります。手術台に上がる時には術衣を着ていますが、全身麻酔がかかるとナースがそれを取り、さらに血管、尿道、胃にチューブが挿入されます(時に、麻酔前のこともありますから、その場合は悪しからず)。
全身麻酔は、まず静脈注射で眠らせます。
麻酔医が患者の顔に麻酔用のマスクをかぶせ、
「だんだん眠くなってきますよ。大きく息をしてください」
患者の耳元でやさしくささやきます。
頃合いを見て、
「Aさん、分かりますか」
麻酔医が大声で聞いて、
「はい」
と患者が答えたら、まだ麻酔は不十分です。さらに薬を追加して完全に眠ってから、麻酔用の気管チューブを、口から気管に挿入します。
麻酔をかける側からすると、麻酔導入時には、ほとんどの患者が安らかな眠りにつくように見えます。
かけられる側からは、私は受けた経験がないのでよく分かりませんが、友人のナースが手術を受けて、無事に退院したときに言っていました。
「全身麻酔は急に意識が無くなり、気付いたら術後部屋のベッド上でした。凄いですね」
やはり麻酔は安らかなのです。安心しましたね。
テレビドラマで、手術を始める前に執刀医が仰々しく、
「ただいまから、患者A、年齢50才男性の胃全摘術および食道空腸吻合術を行います」
などと言っているシーンを見かけますが、私はそういう現場を見たことがありません。
執刀医が、「よろしいですか」と言って、麻酔医をチラッと見やると、麻酔医は小さくうなずきます。
「よろしくお願いします」
執刀医が軽く会釈してそうひとこと言って、
「よろしくお願いします」
全スタッフがそれに呼応し、続いて執刀医の、
「メス」
で手術が始まるのです。
手術内容を知らずに手術室に入っているスタッフはまずいませんから、いちいちわざとらしく言わなくても分かっているのです。テレビでは、サーッと切って、サーッと終わってしまっては、絵にならないのでしょうね。演出家の皆様、ご苦労さまです。
手術中は静かかというと、とんでもありません。
室内は、ピッ、ピッ、ピッと心臓モニターの音、人工呼吸器のシュー、シュー、シュー、「ラクテックもう1本」と麻酔医の声、手術医の「お茶(←(^ω^)これはウソ)」「結紮!」、「ガーゼ出血50グラム」と外回りのスタッフの声が飛び交い、室内を動き回る足音などが手術室に響きわたっています。
執刀医や助手たちと器械出しのナースの間に、「コッフェル」「ペアン」「クーパー」「ヨンゼロ(4-0)絹糸」(*豆知識参照)などなど、器具の名が飛び交い、手際よく器具の受け渡しがなされます。
いちいち、「すいません、コッフェルください」などと言っていては仕事になりません。
手術は、執刀医と前立ち、第2助手たちが、手技について話し合いながら進めます。
「病変は思ったより大きいねえ。これは難しいかな」
「こちらから切るよ」
「この鉗子、ちょっと持ってて」
「吸引して」
「ここは二重結紮するよ」
「その手、じゃま、じゃま」
などと、小声で話しながら続けるのです。時には怒鳴ることもあります。(術者の人柄によりますが、時にその大声が、隣の手術室まで聞こえたこともあるそうな。)
手術が佳境(山)を越えると、雰囲気がガラリと変わります。空気が和らいで笑い声が出たり、世間話が飛び出すのです。手術室は急に団欒の場と化すのです。
手こそ休めませんが、
「最近、ゴルフの腕上った?」
「今度の休みは何するの」
「うちの婦長さんて怖いね」(←(^ω^)これ案外多いですね)
「あの看護婦さん、きれいだね」(←(^ω^)これも多いですよ)
等々、雑談がはずみます。
これは決して不謹慎なことではなく、手術で続いていた緊張をほぐしているのです(←(^ω^)なんちゃって)。
* 豆知識
①手洗い 手術前にブラシなどで手の汚れを落とし、消毒して清潔にすること。
②『白い巨塔』 1963年9月15日号から1965年6月13日号まで、『サンデー毎日』に連載された山崎豊子の長編小説。浪速大学に勤務する財前五郎(外科医)と里見脩二(内科医)という対照的な人物を通し、医局制度などの医学界の腐敗を鋭く追及した社会派小説(Wikipediaより引用)。
③シャウカステン(ドイツ語Schaukasten) 医療においてレントゲン写真、MRIフィルム等を見る際に用いる蛍光灯等の発光を備えたディスプレイ機器(Wikipediaより引用)。
④「コッフェル」「ペアン」「クーパー」「ヨンゼロ(4-0)絹糸」 手術の器具類で、コッフェル、ペアンは鉗子(臓器を把持する器具)、クーパーはハサミ、ヨンゼロは結紮する絹糸の太さ です。
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