第21話 手術室見聞録 その2
手術時間は、小手術なら30分から1時間、大手術となると10時間以上かかります。最近増えている内臓移植の手術ともなると、24時間以上かかります。
普通の手術は大体3~4時間ですから、手術医は飲み食い、排せつ無しで1つの手術をこなします。私は消化器外科でしたので、手術は6~7時間が最長でした。
執刀した時、トイレに行くために手を下ろしたという記憶は、下痢したとき以外、私にはありません。6時間、ぶっ続けで手術をしていたのです。手術はまさに体力勝負なのです。
手術時間が10時間ともなるとそうはいきません。マスクの下からストローを口に差し込んで水分補給をしたり、椅子に座って小休止したりします。
おしっこはトイレでします。外回りのスタッフが、手術医の術衣の下をまさぐり、シビンやオムツをあてたという話しは、仲間内でも聞いたことがありません。
何用でも1度手を下ろす(不潔になる)と、手洗いから全てがやり直しになり、手間ひまがかかります。といって、いくら名医でも生理現象にはかないません。ちびりそうなのを我慢しながらでは、手元が狂ってろくな手術はできません。
長時間の手術ともなると、執刀医こそ交代しませんが、助手などは入れ替わったりすることもあります。
24時間も続く手術の場合は、私は経験がないのではっきりとはいえませんが、おそらく一定時間ごとに手を下ろして、水分補給をしたりトイレに行ったりして、小休止しているものと思います。
手術中には、想定外のことがいろいろ起きます。
緊急事態が起きたときは、手術室は密室ですから大変です。例えば、火災や地震などが起きても、患者を置いて逃げるわけにはいきません。胸や腹を開けて、人工呼吸器あるいは人工心肺をつけたりしていると、スタッフは簡単には室外に出られないのです。
東日本大震災の時、私の先輩がちょうど東京の大学の手術室にいました。大揺れに揺れても、もちろん手は止めますが、ジーッと耐えるしかなかったそうです。みしみしと建物は音を立ててきしみ、物が落ちたりしましたが、幸いにも大事には至らなかったとのことです。
私も1度、手術中の地震を経験しました。胃の手術をしている時に、突然地震がきたのです。相当大きな揺れでした。洗面器の消毒液がジャボンジャボンと床にこぼれて、飛び散るのです。看護婦さんが「避難しましょうか」と心配げに叫びます。
私は、外科医のこけんにかかわりますので、患者を置いて逃げ出すわけにもいかず、「大丈夫」と言って必死にこらえながら、患者の体を支えていました。というより、手術台にしがみついていたというのが、本当のところです。
まもなく、なにごともなく地震はおさまリました。やれやれと思いながら手術を再開したのですが、緊張のあまり武者震いしていて、しばらくの間、手術ははかどりませんでした。
私が駆け出しの頃のことです。私は第2助手として入っていましたが、大先輩の執刀医が開腹するときに、手が滑って自分の指先を切ってしまいました。出血していますから、止めなければなりません。
普通縫合する場合は、局所麻酔をして、針糸で縫合するのですが、その執刀医は前立ちに、
「縫ってくれ」
と指をさし出しました。
「痛てえ!早くしろ」
と叫びながら、麻酔なしに、はめていた手袋ごと一針縫って、そのまま手術を続けたのです。
「すごいなあ」
若輩の私などはあっけにとられて見ていました。
手術中に大出血で出血死したり、突然、心停止したりと、こちらの心臓も止まりそうになるほどのことも時に起きるのです。
肝臓がんの手術の時、肝静脈が切れて大出血を起こしました。
大出血ですから血圧が見る見るうちに下がりました。助手が麻酔医に向かって、
「だいぶ、出ていますよ!」
と叫んでいます。麻酔医には、手術野の細部は見えませんから、言わないと分かりません。あわててスタッフを総動員したのです。
四肢に確保した血管ルートから、4人がかりで1万CCの輸血を急いでしても、間に合わず、心停止をきたしてしまいました。
すると、すかさず第1助手が、腹腔に手を突っ込み、横隔膜を指で引き裂いて胸腔にある心臓を直接手に握り、心マッサージをしましたが、心臓内にさえ血液はわずかしかなく、助かりませんでした。
全身麻酔で若者の腸閉塞の手術をしていました。手術は順調に進んでいたのですが、変わったことは何もしていないのに、半ばあたりで、患者の心臓が突然止まってしまったのです。あわてて心臓マッサージを開始しました。
5分間ほど心臓マッサージを続けて、ボスミンという強心剤を注射すると、幸いにも心臓は動き出しました。脳死にいたらずにすみ、ああ良かったと胸をなでおろしたのです。
予期せぬハプニングが起きると、それはそれは、蜂の巣をつついたように手術室は騒然となり、修羅場と化すのです。
手術室というところは、病院の中でもかくにも特殊なところだということが、お分かりかと思います。 手術を受ける羽目になったら、これを参考にしてください。(くれぐれも手術を受けずにすむように、健康には注意しましょう。)
* 追記
万が一、手術を受ける羽目になったときのために、「手術を受ける手順」を記しておきます。参考にしてください。
①主治医の説明
まず、主治医から、手術の必要性や手術内容の説明があります。家族も同伴するのが普通です。その時に、色々な選択肢が提示されることがあります。例えば、手術するかしないか、手術するとしたらどんな手術か、しないなら他にどんな治療法があるかなどです。
いくらていねいに図で説明されても、手術の内容は専門過ぎて、まず素人が理解するのは難しいでしょう。緊急手術でない限り、少し考える時間をもらうのがいいと思います。
質問があれば、手術のことなら主治医、準備する物のことならナース、経済的なことなら医療相談員に相談するのがよいでしょう。さらに、セカンドオピニオン(後述)を聞く手もあります。
②同意書
手術の説明を受けると、手術同意書を書きます。家族などの身内の人にも、連帯して署名を求められます。
内容は、「手術について十分な説明を受け、手術を受けることに同意しました。執刀医が相当の注意をもって施術したうえは、いかなる事態が発生しても、一切異議を申立てません」といったたぐいです。
同意書は紳士協定みたいなもので、法的な効力はないといわれています。しかし書かないと、手術はまず受けられないと思ってください。患者および家族が同意したという証拠を取っておきたいからです。医療技術が高度化し、医療訴訟が増える中で、医療者にとっても患者にとっても、厳しい社会環境になっているのです。
③セカンドオピニオン(豆知識参照)
主治医とは異なる医師に、その治療に関する意見を聞くことをセカンドオピニオンといいます。同じ病院の医師に聞くということはまずないでしょう。他の病院の医師、しかもより高次の病院の医師に聞くことがいいと思います。
もしセカンドオピニオンを聞こうと思った場合は、主治医に相談して、検査所見などの医療情報をもらう必要があります。その情報を喜んで提供してくれる医師ならば、信頼できる医師であると私は思います。その医師に、治療は任せていいのではないでしょうか。
逆に、セカンドオピニオンのことを話したら怒り出すような医師なら、違う医師のところに行くことをおすすめします。(いつかまた、良医の条件について書きたいと思っています-これ宣伝)。
④麻酔前投薬
大きな病院で、専門の麻酔医がいる病院では、前もって麻酔医が患者のところを訪れて、いろいろと麻酔の説明をしてくれます。
手術日の前夜には、麻酔前投薬といって、精神安定剤や睡眠薬が処方されます。特に不安の強い人は、麻酔医にそのことを言っておくといいでしょう。遠慮はいらないと思います。
⑤絶食
手術の前後は絶食になることが普通です。消化器と全く関係のない手術の場合は、手術の翌日から食事が出ますが、消化器系の手術の場合は、前日は軽めの食事、当日の朝から絶食で、手術後排ガス(おなら)が出るまで絶食となります。排ガスがあった場合に水分から経口摂取が許可されます。
胃全摘や食道の手術は、1週間ほど絶食となります。しばらく食事が取れないので、どうしても食べたいものがあれば、制限食の指示が出る前に、食べおさめをしておくのもいいでしょう。(馬鹿言うんじゃないよ。手術を前にして、そんなに食欲など出ませんよねぇ。どうもすいません)
⑥謝礼
謝礼については、受け取る側も贈る側も、いつも頭を痛めることがらですね。昔は名医となると、給料よりも謝礼の方が多いということがありました。最近は、病院として謝礼は厳禁というところもあれば、個人の裁量に任せるというところもあります。
総じて、不要というところが多いと思います。慣習としてではなく、心からお礼をしたいと思われれば、してはいけない理由はないと私は思っています。
* 豆知識
セカンドオピニオン
医療の分野の場合、患者が検査や治療を受けるに当たって主治医以外の医師に求めた「意見」または「意見を求める行為」をいいます。
セカンドオピニオンを求める場合、まずは主治医に話して他医への診療情報提供書を作成してもらう必要があります。
受ける費用については、自費診療だったり保険診療だったりします。
セカンドオピニオンを受けたい時は、当該病院に電話を入れて、医療相談室(呼び名は病院でまちまち)で相談したらいいと思います。
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