第17話 死を診る

 命に触れることは、その終焉たる死を看取ることにつながります。法律には、人の死は医師が診断するとなっています。医師が死亡宣告しない限り、心肺停止状態であって死んではいないことになりますから、人の生き死にを決める医師の責任は重大です。


 よくテレビのニュースで、「病院に運ばれましたが間もなく死亡しました」とありますが、「死亡しました」というより、「死亡診断されました」という方が、多くの場合本当のところでしょう。医師が診断するまで死亡したとはいえないのです。


 ある時、警察から電話がありました。


「お宅の病院にかかっている1人暮らしの患者さんが、自宅で倒れているので、お出まし願えませんか」


 隣人が発見して救急車を呼んだのですが、救急隊員が見てもとっくに心肺停止していて、病院に連れていくより警察で監察医に診てもらう方がいいということになり、警察の出番となったのです。


 死亡診断されていないと警察に搬送することができないようで、誰が見ても死んでいるとしか見えないその人を私が診て、


「死亡しています」


と言ったとたん、


「ありがとうございました」


 そう言うが早いか、警察官が車に乗せて搬送していきました。


 私は今まで千単位の死亡を確認していますが、新米のころは、死亡診断するときにはすこぶる緊張したものです。特に心電図モニターなどがないときには、医者の五感のみで診断しなければなりませんから責任重大です。


 緊張していて手が震えていては、取り囲む家族に新米だなとばれるので、脇を締めてライトや聴診器を握る手をしっかり固定します。


 瞳孔散大(対光反射消失)、呼吸停止、心停止と、順に確認して、


「ご臨終です」


 わざと低音でいかめしく言ったはいいものの、内心では生きていたらどうしようと不安になります。


「頼むから息しないでよ」


 祈るような気持ちでじーっと見つめていたこともあります。


 自分の五感だけで死亡を診断するというのは、慣れないとなかなか大変なものなのです。


 今は、必ずモニターを装着して心拍・呼吸を監視していますから、その停止は容易に把握できますが、それが普及していない昔には、時に仮死状態の人も死亡と診断していた可能性は大いにあります。お通夜に棺桶から死人が出てきたという話は、あながちウソではないでしょう。


 死の3徴候といって、死亡と診断するときの人体に現れる徴候があります。瞳孔散大(対光反射消失)、呼吸停止、心停止の3徴候です。


 死亡診断時、医師は大体、瞳孔をまず確認します。右利きの医師の場合、左手で患者のまぶたを開いて、瞳孔を診ます。明らかに散大していれば分かりやすいのですが、目に病気があったり、極端な場合は義眼だったりして、時に中途半端に開いていることがあります。


「あれ、これどうしたのかなあ?」


 首をかしげることもたまにはあります。


 長期に入院している人などは、こちらも病状を把握していますからいいのですが、救急で入院した人の場合は困ります。薬物によるというような事件性のからむ場合があるからです。


「瞳孔散大……」


 心の中でつぶやきながら、右手に持ったペンライトで、瞳孔を照らして対光反射を診ます。ここで瞬き(まばたき)したり、瞳孔が縮小したらビックリ仰天ですが、幸か不幸か今までその経験は一度もありません。


 瞳孔散大を両側で確認して、瞳孔散大、対光反射なし、とカルテに記載するのです。


 呼吸停止はじっと見ていれば誰にでも分かります。モニターがあれば呼吸波形が平坦になりますから一目瞭然です。しかし一応、胸に聴診器を当てて聴診します。これはほとんどがパフォーマンスです。心音にしても呼吸音にしても、それで死亡診断できるほど確実に聴き取れるものではないのです。


 心停止、この診断が1番難しく、かつ決め手になります。心音は個体差が大きく、聴診器で聴いて、即、心停止と言い切れるものではありません。平常時でさえ聴きにくい人がいるのです。


 一応聴診はしますが、これまたパフォーマンスに近く、大きな動脈、例えば、頚動脈、大腿動脈を触れて、拍動がないことを確認して、心停止と診断します。


 いつごろ死亡するかを確実に予見することは、いくら名医と言えども出来ません。数日としていたものが急変してすぐ死亡することもありますし、その逆のこともあるからです。


 大体の目安はあります。


 身体は死に近づくにつれ、バイタルサイン(生命徴候)に変化が見られます。手足の色が紫色になり、むくんできます。眼球の結膜(眼球の白いところ)に、涙がたまったように小さな水玉が出たりします。このサインは、死亡が数日以内にあることを示しています。


 尿の量が急に減少しほとんど出なくなると、1日以内と見てよいでしょう。


 それまで普通に打っていた脈が、急に徐脈(脈がゆっくりになる)になったときなどは間もなく死亡する、といっておおよそ間違いないでしょう。





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