第16話 命(いのち)を握る

 医療は命に直接触れる仕事です。それが医療の醍醐味、やり甲斐ともいえます。


 それが分単位の勝負といった緊急事態となると、まさに「命を握る」の表現がピッタリの、緊張感あふれる局面となります。生死を決める一瞬に対峙するのです。


 大手術などは、一歩間違えれば患者を死に追いやります。逆に、停止した心臓を手でマッサージして、命を蘇生することもあります。


 1度、肝臓がんの手術の時、肝静脈が切れて大出血を起こした患者がいました。1万CC近くの輸血をしても間に合わず、心停止をきたしてしまったのです。


 前立ちの外科医(第1助手)が、腹腔から手を突っ込み横隔膜を指で引き裂いて心臓を直接手で握り、心臓をマッサージしました。


 しばらくして、


「マッサージしても心臓は空っぽでダメだ」


 困り顔でそういってギブアップしました。大量出血のために、心臓内に血液が無かったのです。


 まさに「命を握る」という表現が、ぴったりの出来事でした。


 私が心臓マッサージ(略して、心マ)をした人は、数多くいます。長時間心肺停止にあった人は、心マで1時的に心拍が再開しても、ほとんどが脳死状態になり、人工呼吸器で補助しても、数日から1週間ほどで心停止をきたします。


 心マをして完全に回復した人は、私は2人経験しています。2人とも女性でした。


 そのうちの1人は、同じ職場で働く看護師長さんでした。


 仕事中に突然倒れたのです。心肺停止状態にありました。仕事場ですから職員たちもたくさんいて、蘇生セットなど準備している合間に、私は心マを始めました。


 10分くらい続けていると、車のエンジンがかかる時にブルルンと車体が振動するように、心臓が動き出す独特の振動を手に感じたのです。


「おっ!動いたぞ」


 そう叫んで心マを続けていると、間もなくして自発呼吸が少しずつ出てきました。


 心電図モニターで診ると、心筋梗塞あるいは心室細動などの所見はありません。


 心拍や呼吸は正常に戻ったのに、しばらく待っても意識は戻りません。脳死になるほどの時間は経っていないので、


「頭で何か起きた!」


 そう直感して、すぐ救命救急センターに搬送しました。


 脳動脈瘤破裂のくも膜下出血でした。脳外科医がすぐ手術に取りかかり、一命を取り留めたのです。


 それから半年あまりリハビリをして、再会したときには、ほぼ元通りに心身ともに回復していました。


 老婆心ながら申し上げますと、目の前で倒れている人を見たら、まず呼吸をしているか脈があるかを見てください。


 呼吸と心拍がないとみたら、すぐ心マッサージをしてください。


 もし心肺停止でなかったとしても、心マッサージの害はあリません。


 呼びかけて意識の有無を確かめるのもいいですが、心肺停止の人に意識はありませんから、いたずらに時間を費やすのは無益です。


 胸の中央に、長さ20cm幅4cmほどの板状の骨・胸骨があります。その下半分辺りに自分の両手を重ねて置き、胸骨が5cmほど沈むていどに押し付けるのです。


 童謡の「どんぐりころころ」のリズムでやると、ちょうど良いといわれています。別に歌う必要はありません(←(^ω^)当たり前)。


 心マをしながら、大声で他の人を呼んでください。その人が救急車を手配したり、AED(除細動器)を探したりするのです。


 この数分間が生死を決めるのです。命はあなたの手の中にあるのです。


〈つづく〉

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