第7話

「セレスタに、どちらの服が好きか、言ってあげればいいじゃない」

 目を合わせてそうなじると、ヘンリックはまた、にやりとした。

「どっちでも同じですから。縫わせたところで、どうせ着られません」

 しれっとして彼が答えた話の意味を、レスリンは計りかねた。なんとなく不吉な気分に落ち込んで、レスリンは眉を寄せた。

「どうしてそんなことを言うの」

「セレスタ様は妊娠しています。宣誓式の時には、もっと腹が大きいはずだから、今縫った服が着られるはずありません」

 そう教えられ、レスリンは頭を後ろから殴られたような気がした。一瞬、意識がくらりと揺れた。

「そんな話、聞いてないわ」

「たぶんまだ本人も知らないんです」

「なのにどうして、あなたに分かるのよ」

「匂いで」

 答えて、ヘンリックは目を伏せ、匂いを嗅ぐふりをした。

 レスリンは彼がふざけているのかと思い、思わず怒る顔になっていた。

「本当ですよ。俺は鼻が利くほうなんです」

「犬みたい」

「そんなようなもんです」

 ヘンリックは笑って答えた。

 レスリンは仕方なく、その笑みに引き込まれた。

 しかし言いしれない寂しさが胸を襲い、苦しかった。

「あなた、セレスタとも寝てるのね。当たり前よね。結婚するぐらいなんですもんね。いったい、セレスタを抱くとき、あなたが何を考えてるのか、知りたいものだわ」

 皮肉に隠して、レスリンは文句を言った。もしも誇りがなければ、泣き叫んでなじりたいような気持ちが、胸の奥底のほうでしていた。 

「そんなこと本当に知りたいんですか」

 ヘンリックは真顔でそう訊いてきた。挑まれている気がして、レスリンはむっとした。

「知りたいわ。言ってごらんなさいよ」

 胸を張って椅子に座り直し、レスリンは身構えた。

「俺がそのとき考えているのは」

 思い出すような顔をして、ヘンリックは答えた。

「俺が本当に愛している女(ウエラ)のことです」

 そう言って、自分をまっすぐ見つめてくるヘンリックの言葉には、一片の嘘もないように聞こえた。レスリンは震え、そして顔を赤らめた。

 その様子が面白かったのか、ヘンリックがふと笑いを見せた。

「貴女は案外、純真で可愛い人なんですね」

「どんな女だと思っていたの」

 ヘンリックは笑うだけで、答えをくれなかった。

 代わりに、花の描かれた、セレスタらしい少女趣味の茶器から、お茶をの飲み干して、ヘンリックは、さてと言うような顔をした。

「セレスタ様はすぐには戻らないと思います」

 その言い方はとても事務的だったが、彼があることを誘っているのだと、レスリンは理解していた。それは、他に誰もいない部屋にいる男と女が、二人きりでやるようなことだ。

「急に戻ってきたら、どうするの」

「困りますね」

 答えながら、ヘンリックは困ったなという顔を作ってみせた。

「だから大急ぎでやりましょう」

 レスリンは苦笑した。いつもそうじゃないのと思ったからだ。

 いつもセレスタの目を盗んで、こそこそ隠れて大急ぎでやるんじゃないの。

 そうやって、近寄ってくる足音の予感に震えながらヘンリックに抱かれると、レスリンはいつも、ひどく興奮した。いまだかつて、夜会で出会ったどんな高い身分の男も、自分にそこまでの愉悦を与えた者はいない。

 腰に帯びていた剣帯をはずして、ヘンリックは立ち上がり、すたすたと歩いて、レスリンの座る長椅子の隣に腰をおろした。レスリンは間近にある彼の顔を見つめた。

 いつ見ても、いい男だった。

 ふざけているのか、ヘンリックはくんくんとレスリンの喉もとの匂いを嗅いだ。

「私はどんな匂いがするの」

「百合の香油の匂いです」

 彼の言うとおりだった。バルハイで流行り始めた新鮮な香りだ。彼に会うので、特別に買い求めて身につけてきた。男がそれに気付いたらしいことに、レスリンは喜んだ。

「妊娠した匂いはしないかしら。私もあなたの子供を産みたいわ」

「その匂いはしませんね」

 間近に見つめ合うと、ヘンリックの目は、いつもとても無表情に見えた。

「貴女はたぶん妊娠しません。石の女です、レスリン様。俺にはそれが、匂いでわかります。百合の香りに紛れても」

 はっきりとそう断言するヘンリックの言葉に、レスリンは淡く微笑みを浮かべた表情のまま、硬直した。彼は自分のことを不妊だと言っているのだった。

 それは部族の女にとって途方もない恥だった。

 愛する男の子供を孕めなければ、彼をアルマの後半に導くことができず、その愛は結実せずに腐る花のように、次第に緩んで消えていく運命にある。

 そういえば彼は一度も訊かなかった。妊娠するかもしれないが、いいのか、とは。

 愛しているからだと思っていた。

「嘘よ」

「確証があるわけではないです」

 レスリンの否定を、彼はうやむやに受け入れた。

 それでもレスリンは、彼に捺された石の女の烙印が、今でも自分の胸に残されているような寒気を感じた。

「やりますか、今日も。犬みたいに」

 ヘンリックはいかにも平静そうな顔で尋ねていた。

 なぜいつも、私に訊くの。レスリンは夜警隊(メレドン)の男の目を覗き込んだ。

 あなたが私を望んでいるのではないの。

 たとえそうでも、彼は許可を求めざるを得ないのだろう。レスリンより身分が低いのだから。夜警隊(メレドン)に出世した今でも。

「抱いて、ヘンリック。私にも、あなたの子を産ませて」

 求めると、彼はなにも答えず、ただレスリンを長椅子に押し倒した。

 ヘンリックはレスリンの服を脱がせはしなかった。そんな時間はないからだった。

「私、怖いわ。挑戦(ヴィーララー)なんて。あなたが敗北して死ぬところを、見たくないわ」

 レスリンは苦しみ悶えながら、男にそう訴えた。

「つらいなら、見に来なければいいだけです」

 そう答えるヘンリックは、死ぬつもりなのかもしれなかった。

 彼が、女(ウエラ)として死を看取れと強要しない優しさを示したことに、レスリンはほっとした。そして彼が与える愉悦に身を任せた。仮縫いの針に身をすくめ、幸せそうでいるセレスタのことを想像しながら。

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