第4話
広間の扉が開かれ、なにか大がかりな物が運ばれてきた。
レスリンの目には、それは猛獣の檻のように見えた。鉄格子で組まれた箱の中に、なにかがうずくまっている。従僕たちは、おっかなびっくりそれを中央広間(コランドル)まで運び、やや離れたところに控えた。
そこまでやってくると、レスリンにも檻の中身がよく見えた。若い男が四人、中に入っていた。朦朧としたように、座り込んでいる彼らは、粗末な衣服をまとっており、レスリンには、それが人とは思えなかった。
バドネイル卿が頷くように目で命じ、従僕たちは四方の鉄格子を取り払った。その中に閉じこめられていたものと、広間とが一続きになった。
そんな馬鹿なとレスリンは思った。
夜会の席で、余興として剣闘試合が行われることが無い訳ではない。でも、そういうときには、客に危険が及ばないように、中央広間(コランドル)には鉄格子の囲いがかけられるものだった。
このままでは、あの獣のような男たちが、客にも危害を加えられるのではないか。
「やつらに麻薬(アスラ)を与えましたか」
どことなく暗い声で、ヘンリックがバドネイル卿に訊ねた。
「酔わせるよう命じた」
「酔わせすぎです。狂乱するのに麻薬(アスラ)は必要ありません」
淡々と説明するヘンリックの声は平静だったが、どこか苛立っているようでもあった。
「それに剣を持っていません。やつらに剣をお与え下さい」
「そんなものが必要か。卑しい奴隷だ。お前の剣の鋭さを、皆に見せるために用意させた」
気にする必要はないと、鷹揚に許す声で、バドネイル卿は話していた。
ヘンリックはひどく険しい表情で、うずくまる奴隷たちを睨んだ。
「部族の男には、剣を握る権利があります。たとえ卑しくても」
「この獲物では不満なのか、ヘンリック」
困ったやつだと言うように、バドネイル卿は言った。
「いいえ。お望みなら俺は誰とでも戦います」
従順にそう答えてから、ヘンリックはわずかの間、黙り込んだ。
それから、やや言いよどんだような気配の後に、彼は続けた。
「ですが、アルマが狂乱するのは、殺戮にではなく、戦いにです。やつらに剣をお与え下さい」
くりかえし求めたヘンリックの望みに、バドネイル卿の心は動いたようだった。
従僕に命じ、バドネイル卿は奴隷たちに剣を与えた。
運ばれてきた剣は、レスリンの目にも、ごくありきたりのもので、従僕たちは近寄るのがいやなのか、束にした剣を、うずくまる男たちのそばの床に、投げるようにして放り出していった。
それにヘンリックが眉をひそめるのを、レスリンは見た。
彼は腰に帯びていた剣を、剣帯ごと外し、おもむろにその刀身を抜きはなった。白刃が現れた。
すぐ傍で、怯えたふうに見上げているセレスタに、ヘンリックは帯と鞘とを押しつけた。
抜き身の剣だけを提げて、ヘンリックは広間の中央へと、ゆっくりと歩いてきた。彼には、うずくまる男たちを恐れる様子が丸でなかった。
「時間をかけるな、ヘンリック」
バドネイル卿が、そう命じた。ヘンリックはそれに、ただ頷いて答えた。
レスリンは彼が、こちらを見るかと期待して、獲物の前に立っているヘンリックを見つめた。
しかし彼は、ゆっくりと息をしながら、握った剣の柄を、拍をとるように指でかすかに叩いているだけで、何も見ていないような目をしていた。たぶん、なにかを考えているのだろう。
やがて青い目で、ヘンリックは、うずくまったまま動かない四人の対戦相手を見下ろした。
「立て、剣を選べ」
そう告げるヘンリックの声は、静まりかえったようだったが、広間にいる誰の耳にも、はっきりと届いた。
しかし彼の前にいる男たちは、その声が聞こえていないふうだった。
黒い革の長靴(ちょうか)を履いた爪先で、ヘンリックが一人の背中を軽く蹴った。
「目をさませ、戦うぞ」
蹴られた男は、それでやっと顔を上げた。乱れた髪からヘンリックを見上げた顔は、寝ぼけたような目をしていた。
「立てよ。聞こえねえのか」
明らかに苛立った調子で、ヘンリックが別の男に囁いた。
その声が含む怒りに、レスリンの肌は粟立った。
選んだ一人の胸ぐらを、ヘンリックが掴んで立たせた。その男は促されるまま、意識のない人形のように突っ立った。
仲間が立ちあがったのを、残りの三人が、ぼんやりと目で追っている。その目のどれもが、虚ろに見えた。
「見ろ。戦わないやつが、どうなるか」
立たせた者を指して、ヘンリックは残る者たちに告げた。
そしてヘンリックは両腕で剣を構えた。
彼が一呼吸するのを、レスリンは見守った。
一瞬の出来事だった。
ヘンリックが片足で半歩踏み込み、剣を振るった。
白刃が空を切る音が、微かに鳴ったような気がした。
鈍い音がして、立っていた男の首が消えた。
首を失った体から、噴水のように血が噴き出し、落とされた首が、白い床に墜落してきた。
悲鳴は案外、遅れて上がった。
客たちは、恐怖より驚きの声を上げた。それはどこか歓声に近いものだった。
その声を聞き、仲間の血を雨のように浴びた奴隷たちは、さらに遅れて、押し殺した低い呻きをあげた。それまで虚ろだった彼らの目が、食い入るように、死んだ仲間を見つめた。
ヘンリックが、床に転がされていた剣を蹴る音が、突然けたたましく響いた。
「剣をとれ」
彼は男たちに怒鳴った。
「戦え。でなきゃ、てめえらも犬みてえにぶっ殺してやるぞ」
ヘンリックがふたたび剣を構え、男たちは足元の剣を見下ろした。
彼らが剣を拾うのを待たず、ヘンリックはすぐ近くにいた一人の、柄をにぎろうと飛びついてきた懐に踏み込んだ。ヘンリックが剣をなぎ払うと、腹を斬られた男の体が、床の上に倒れた。
苦痛の声をあげて床に這った、その男の手には、剣が握られていた。
ヘンリックは血糊のついた剣を提げ、足早にその男を追った。
傷をおさえて床を逃げる男のあとに、赤い血の文様が描かれる。迷わずそれを踏んで後を追い、ヘンリックがまた剣を構えた。傷のある男の腹を狙い、彼はまっすぐに剣を突きおろした。突き刺さる刃を見つめ、男はものすごい悲鳴のような絶叫をあげた。苦悶する男の顔を、ヘンリックは真顔で見下ろし、床をのたうつ男の肩に足をかけた。
男の悲鳴は長く続いた。
人がそう簡単には死なないものなのだと、レスリンは初めて知った。
震える酒杯からこぼれた酒が、夜会服を濡らしていたが、それを気にする余裕はなかった。
あっと言う間の僅かな時間で、ヘンリックは男の体をめった打ちに傷つけた。やがて悲鳴が止むまでの間、広間の誰もが微動だにせず、その光景に目を奪われた。
すでに返り血を浴びて、ヘンリックの衣装は赤く染まり、その顔にも血飛沫が飛んでいる。それを気にもせず、ヘンリックはまた、剣を振りかぶって見せた。
床に這う男の体は、もう動いてはいなかった。それでも剣を握っている体を、ヘンリックは一瞥して確かめ、一気に最後の一撃を与えた。
男の体が震え、切り落とされた首が、床を転がった。
奴隷よと、レスリンは自分が心の中で叫ぶのを聞いた。あれは奴隷よ、だから殺してもかまわない。
でもあなたは、アシュレイのことも、こんなふうに殺したの?
セレスタはそれを、見ていたの?
白亜の床のうえに、血と肉をまき散らして倒れている男の死骸に、あの穏やかだった青年の顔を重ね合わせて思い出すと、レスリンの体はどうしようもなく震えた。
ああ、そんな馬鹿な。剣奴隷が貴族を殺すだなんて。
剣を退いたヘンリックが、残っている二人の獲物と向き合った。
ヘンリックは剣を握る右腕を、だらりと脇に垂らして立った。
その目と見つめ合う男たちは、はっとしたようだった。
二人はあたかも示し合わせたように、同時に剣を構えた。
それを見て、ヘンリックが笑った。
にやりと彼の顔を覆う笑みが、その端正な顔を、別の男の形相に変えた。
レスリンは抑えきれずに小さく喘いだ。その顔が、ひどく素敵に見えたからだった。
「そろそろ踊ろうか、俺と」
首をかしげ、二人を見比べて、ヘンリックがそう誘った。
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