第7話
「弟子よ、海都へ行きたかったかな?」
見送った兄の一行の姿が消えた頃、剣豪マードックはイルスの横で腕組したまま、面白そうに尋ねてきた。横目で師匠を見上げて、イルスはムッとした。夜の熱気が肌を舐めるようだ。
「行きたかった」
馬影が消えたあたりには、月明かりに照らされて、まだうっすらと砂煙が残っている。それを見つめていると、なにやら切ないような気がした。
「なぜ兄に同行しなかった」
夕食の酒のせいで上機嫌のマードックは、至極しれっとして言った。
「師匠が駄目だといったんだ!」
あっけにとられて、イルスは師匠に向き直った。
「そなたに行ってはならぬなどとは言っておらん。クラビス殿下がそなたを同行させたいと仰るから、それは許すわけにはいかんと申し上げただけだ」
「同じ事じゃないか」
また師匠の繰言が始まったと思って、イルスはうな垂れた。
「違うな、まるで違う」
「同じです」
「いや、違う。そなたの兄上は、そなたをダシにしたがっておられた。もし、そなたを連れて行けたとしても、そう都合良くは運ぶまいがな…ヘンリックはそなたたちより何倍も頑固だ」
庵の戸口にもたれ、マードックは月を見ている。
「ダシってなんだよ」
イルスは首をかしげた。
「わからんのか?」
「わかるように言ってください」
イルスはとっさの癖で、師匠の真似をして、腕組をした。マードックはそれを見て、じわりと笑った。
「そなたは頭が悪いのう」
「だったら尚更、馬鹿にも分かるように言ってください」
「ああ、いい月だ。こんな夜はむさくるしい庵にこもったりせず、可憐な花とでも戯れたいものだ」
「師匠、娼館通いもほどほどにしてください」
「嬉しいくせに、この弟子は何を言うやらだ。イルス、馬を出せ、出かけるぞ。可愛いウルスラがわたしを待ちわびているだろう」
豪快に笑ってマードックは厩を指差した。
「俺は行かない、お師匠は好きにすればいいさ!」
イルスがわめいても、マードックはにやにや笑っているだけだ。
「……畜生、勝手だ!」
吐き捨ててから、イルスは厩に繋いである馬を引き出しに行こうとした。
すると、不意に風が舞って、月明かりの夜空から、なにか舞い降りてきた。風に運ばれて、袖口にはりついたそれを、イルスは摘み上げた。
黄色い花だ。
たしか、これと同じものを昼間、浜辺で見付けた。
「風に乗ってきたか…」
ほう、と感心して、マードックが呟いた。
「昼間も、海辺で同じものを見ました。毎年、これくらいの季節になると飛んでくる…見たことない花だ」
イルスが師匠に花を手渡すと、マードックは花のガクをつまんで、クルクルと回し、皮肉な微笑みの浮かべた顔で、それを見下ろした。
「これは、そなたの母上だ」
「…はぁ?」
イルスは声を裏返らせた。いくら酔っているにしても、師匠の言うことは訳が分からない。
「わかるように言ってください」
「いかに遠くとも忘れ得ぬ者を見捨てはしない、と、いうことだ。貿易風の粋な計らいであろう」
イルスに花を返しがら、マードックは言い、庵の中へと歩み去った。
「わけがわからない…」
花を弄びながら、イルスは呟いた。
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