アルフレートの決断

「ホルスへ軍を派遣する。体制側へこのことを通達するように。相手の許可がどうこうではない。ムスペルヘイムを排除できるかどうかだ。そのあたりを心得てもらいたい」

アルフレートの言葉に、ニブルヘイム軍参謀本部会議室がどよめいた。

歓喜する者、困惑する者、ルーン人とトゥオネラ人で明らかにリアクションが異なった。


 その中にあって、ラッシは敢然とアルフレートに意見した。

「陛下! 再び大陸に大戦争を引き起こそうというのですか! 二度も惨禍を経験し、それでもまた戦争を、それも自らの手で起こそうというのですか!」

「黙れ」

アルフレートが立ち上がって、静かに言い放った。

「秩序を守るために立ち上がっただけだ。力ある者は下々を守る責務がある。ムスペルヘイムこそ秩序を破壊し、戦火へ放り込もうとしている。そんな横暴を止めて、平和を守ろうとしている。それをわからずに、臣下の分際で口を挟むな!」


 一同アルフレートに恐怖した。

あれほどまでに感情を露わにしているところを見たことがない。

会議室は静まり返った。


 静かすぎる空間に、アルフレートの声だけが響く。

「ホルスに派遣するのはバルテル将軍だ。速やかに準備を終えて出立するように」

呆気に取られていたコンラート・バルテルは返事することができなかった。


 この日の夜、コンラートは友人にして同僚のマックス・ベーレントを連れて、士官専用のサルーンを訪れた。

「あんな形相の皇帝陛下を見たことあるか?」

頬を火照らせたコンラートが語る。

彼の片手には、氷が軽快な音を鳴らせたグラスがある。

しかし液体は残されていない。

「ないね。自分の意見をあまり言わない、物静かな君主だと思っていたが」


 マックスの感想は、アルフレートを見たことがある者の総意だろう。

「俺なんかブルーメンタール大将のお人形とさえ思っていたよ」

「おい、よせ」

不敬と思われても仕方がない発言に、マックスはヒヤリとした。

周りを見渡すが、今の会話を聞いていた人は見受けられないとわかると、ほっと胸をなでおろした。


 とはいえヒルデブラント傀儡と思われても仕方ないだろう。

即位ヒルデブラント主導で行われ、現在の軍事政権成立も彼の所業だ。

彼がお膳立てした体制で、第二次大陸戦争参戦を誘導し、アルフレートに従ってきた旧トゥオネラ軍人に影響力を持たせる隙を与えなかった。

そういうことがあったからこそ、アルフレート自身に権力欲はなく、ヒルデブラントの傀儡ではないかと、陰でささやかれてきた。


 傀儡に甘んじてきたアルフレートが、ついに実権を欲したのか。

二人は思案するもわからない。

そもそもヒルデブラントが何をしたいのか、そこからの話だ。

彼が本当に傀儡化を望んでいるのか、アルフレートが権力を志向していなかったから、結果的に現状があるのか。


 そんなことを考えていると、この国が薄気味悪く感じた。

ニブルヘイムの実権だって、本当は誰の手にあるのかもわからない。

トゥオネラ軍人として敵対した皇帝を戴き、議会を武力で粛清したが、実権を握っているのか、預かっているのかわからない参謀長が運営する軍事政権。

山頂部は雲がかかって見えないようだ。


 つかみどころのない話より、目前の出来事の方が建設的だろう。

マックスは話の切り替えを図った。

「ところで出撃はいつになるんだ?」

「五日後になる。規模は三個艦隊。陛下からホルス北部駐留軍の指揮権もいただいた」

ホルスでの戦闘を円滑にするための措置だろう。


 マックスはいろいろ知りたかった。

大陸戦争のような規模の戦争が始まるかもしれない。

そう思うと、少しでも多くの外国の情報が欲しい。

「ムスペルヘイムは本気で戦争する気なのか?」

「さあな。ただ航空艦隊含めた大軍をホルスに送り込んでいるのは事実だし、戦後から艦隊の拡張に精を出している」


 そのように言われると、戦争の始まりを意識せざるを得ない。

「ニブルヘイムとムスペルヘイムがにらみ合う世界を想像していたが、世界はもっと過激なものを望んでいるのかもな」

自国の上層部のこともわからないというのに、他国の動向など到底わかるはずがない。


 もっと目前のことに目を向けよう。

コップの中を揺れる琥珀色の海。

からりと転がる氷。

いまマックスが御しうる世界は手の中にある。


 コンラートが何かを思い出したように話出した。

「そういや、アルペンハイム公爵はニブルヘイムの政変に一枚噛んでるのかな」

「知らんね。陰謀論の話か?」

コンラートが首を横に振る。

「アウストリを攻略したとき、ルーン帝国の皇帝もアルペンハイム公爵も取り逃がした。それが恐ろしい」


 マックスには彼が何を恐れているか理解できなかった。

「あの男は途方もない財力と、魔導士部隊がいる。その存在はすでに報告されている」

イリーナ・アハトワがイルダーナに潜入したときのことは、報告書としてまとめられている。

その中に彼女の想い人エフセイ・ヴラーソフ含めた、イルダーナの所属かどうか不明な魔導士のことも書かれている。


 とはいえその魔導士がイルダーナ所属でない証拠はない。

現にイリーナ自身がニブルヘイム出身ではなく、ホルスの人間なのだから。

ホルス旧体制崩壊後に、彼がイルダーナに逃れたとしても不思議じゃない。


 しかしホルス人を差別していたブルーノが、ホルス人を抱え込むだろうか。

イルダーナに協力しているアルペンハイム公クラウスが、自分で雇ったと考えれば納得がいく。

ではなんのためか。

そのようなことわかるはずもない。


 それよりも為すべきことがある。

「よくわからんことより、ボトルを開けようよ。それが今すべきことだろ?」

「そうだな」

コンラートが真っ赤な顔で言った。


 五日後、コンラート・バルテル率いる三個艦隊が、ホルスを目指して出撃した。

これが戦争の呼び水になるか否かはまだわからない。

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