ニブルヘイム動乱
ムスペルヘイムでは、相変わらずアルトゥールが蠢動している。
彼はエゲリアに駐屯しているヘルツォーク将軍の元を訪ねた。
事前にアポを取っていた彼は、基地内部に入り、彼の執務室の扉をノックした。
ヘルツォークは自ら扉を開け、アルトゥールを座席に案内した。
「快適そうな部屋ですね」
アルトゥールはきょろきょろと周りを見た。
帝国の開祖と女帝アマーリエの肖像画を掲げ、デスクには甘い匂いのするディフューザーが置かれている。
窓際には水色の可憐な花を花瓶に挿して飾られている。
「ここに赴任するときに、妻がプレゼントしてくれたものですよ」
アルトゥールが部屋のインテリアを見ていたことに気がついていた。
「奥さんにプレゼントはしてます?」
「してますよ。ただ、高価なものはあげられません。なにせ安月給ですから」
皇子相手に批判的な言葉を投げかけた。
「将官であるにも……ですか?」
アルトゥールは給与の実態を知らないようだ。
「ええ。この国の軍人は貴族の副業的なものでしたから、さして高いものじゃないのです。所領を持たない下級貴族や平民出身の軍人は特に」
「そうでしたか……」
沈鬱な表情を露わにした。
深刻さを全面に表わしている。
「では私がこの国の主になれば、軍属の待遇を改善します。ですので、‘有事’の際は味方していただけますか?」
明らかに含みのある言い方をする。
「私とともに、閉塞したこの国を変えてみませんか? そのための助力がいただきたいのです」
アルトゥールはエギル・ハールヴダンの戦いの時も、ヘルツォークのところを訪ねている。
有力者ではなく、何の力も後ろ盾もないヘルツォークのところへだ。
これほど見込んでくれている人のために、何も為さないというのは、道義に反するものじゃないのか。
「わかりました。その時が来たときは力になりましょう」
アルトゥールは手を差し出した。
ヘルツォークはそれに応じた。
固く握られる手。
その手から繫栄か荒廃が生まれるかは、誰も知らない。
******
341年12月
アマーリエは非常に勤勉で、規則正しい人物である。
それは老齢になった現在でも変わらない。
しかし今日は違った。
彼女が起床していない。
即位して以来、初めての出来事が起きた。
不思議に思った執事がアマーリエの寝室を訪れると、ベットから転げ落ちて横たわった姿で彼を出迎えていた。
女帝倒れるとの報は、一部の有力者にだけ伝えられ、即座に対応会議が開かれた。
出席者は大臣と皇族である。
「急な招集に応じていただき、ありがとうございます」
マイヤーハイムが音頭をとった。
「アルトゥール皇子がいませんね……」
嫌な予感がよぎる。
当然アマーリエの息子であるから、もちろん連絡はされている。
「アルトゥール皇子が叛意を抱いた! 全土に戒厳令を布告する!」
ざわめく議場。
シャンデリアに照らされた部屋がにわかに色めき立った。
「今いないからといって、それは性急すぎるし、宰相とはいえ横暴が過ぎていますよ」
大蔵大臣がマイヤーハイムを批判した。
それをさえぎるように席を立ち、大きな声が響いた。
「宰相を支持する! 速やかに戒厳令を敷き、アルトゥールを捕らえよ! 断頭台へ送り込め!」
マクシミリアンが血走った眼を周囲に向けている。
普段おとなしく震えている子羊が、獰猛な肉食獣へと変化した。
この様相にマイヤーハイムも恐怖した。
恐れがここまで人から残虐性を引き出すものなのかと。
しかし都合はいい。
「皇太子殿下もあのように言っておられる。速やかに彼の居城に人を遣りましょう」
議場の木製の扉が強く叩かれた。
その音は木の悲鳴のようにも聞こえる。
「入れ」
扉を勢いよく開け、壮年の衛士が入ってきた。
「首都防衛軍が反乱を起こしました!」
悪夢は現実となった。
「状況は?」
「省庁と軍事施設はすでに制圧されています」
一同は驚愕した。
あまりにも早すぎる。
「申し上げにくいのですが、ここのすべての門でも戦闘になっています」
宮殿が包囲されかかっているということだ。
宮殿にいる近衛兵の数は、予算不足のために質量ともに貧弱で、とても首都防衛軍と戦えるものではない」
「ここの陥落は免れないということか。降伏勧告は?」
「されています」
「応じよう」
マイヤーハイムの勝手な決定に、他の大臣は反発を露わにした。
「陛下の身柄はどうなるのですか!」
「大丈夫だろう。どうせ反乱の首謀者はアルトゥール皇子です。親を弑逆して即位しては外聞が悪いでしょうから、
冷静に語るマイヤーハイムとは対照的に、マクシミリアンは震えている。
自分の身柄がもっとも危険であることに気付いている。
「殿下は隙を見てお逃げください」
マイヤーハイムにも打つ手がない。
もう運を天に任せるしか道が残されていない。
マクシミリアンはその場で崩れ落ちた。
******
マイヤーハイムたちは首都防衛軍司令部にいるアルトゥールのもとへ連行された。
「これで全員だな」
俯く諸氏。
「あなた方を害する気はありません。ただ自宅以外の所領は没収します」
「皇子、あなた自身はどうなるおつもりですか?」
マイヤーハイムが尋ねた。
「連邦化して初代大統領になります」
彼の予想外な返答だ。
アマーリエから帝位を譲らせて即位するものと思っていたら、皇帝の位を求めていないという。
いま即位しないというなら、何かしらの手段で支持を得て、それを背景にして皇帝になるという手がある。
まさかそれを目論んでいるのか。
その頃、エゲリアもアルトゥール派によって掌握されていた。
後方を遮断され、ホルスに取り残された現地の軍は、まもなくアルトゥール派に降伏した。
アルトゥールが連邦制成立と大統領就任、そしてあらゆる階級に出世の機会を約束を宣言すると、旧イルダーナ中部では若手将校がアルトゥール派への忠誠を宣言し、南部へ守旧派を追いやった。
かくしてローゼンベルク朝ニブルヘイム帝国は崩壊して、アルトゥール・フォン・ローゼンベルク改め、アルトゥール・ローゼンベルク大統領によるニブルヘイム連邦が成立した。
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