泥濘の上の安寧

 バザロフの電話を受け、ムスペルヘイムではホルスへの対応協議が始まった。

メンバーは例のごとく、女帝、宰相などの閣僚、そして皇族である。

「バザロフ議長から支援要請がありました。こちらとしては軍を派遣することも可能ですが、いかがいたしましょうか?」

マイヤーハイムが出席者に問いかける。


「軍の派遣に触れていましたが、ホルスからはそのような要請も受けていたのですね?」

アルトゥールが早速そこに触れた。

「そうです。事態がよほど深刻なのでしょう」

「ならばすぐに返事をせずに、事態がさらに悪化してから派兵すればよいでしょう。外部からの支援無しでは立ち行かない状態の方が、我々がホルス政府を御しやすいです」

彼はこれを機に、ホルスをムスペルヘイムの勢力圏に取り込んでしまおうと画策している。


「そのようなことをすれば、ニブルヘイムを刺激することになるのでは?」

皇太子マクシミリアンが珍しく発言した。

そろそろ何か言わないと、自身の立場の危うさに気付いたのだろうか。

「かの国はルーン人が住んでいる地域を、すべて自国だと思い込んでいるのですよ。何をいまさら恐れる必要がありましょうか」

タカ派の領袖らしく、鋭い目つきでマクシミリアンを睨んだ。

反論に窮した彼は俯いてしまった。


「アルトゥール皇子の言うことはもっともですが、ニブルヘイムが反政府勢力に加担した場合、どのようなことをお考えですか?」

下手に介入すれば、ホルスで壮絶な代理戦争になりかねないことを危惧している。

「即座に介入すべきです。全面戦争も辞さない覚悟で」

出席者一同は唖然とした。

下策ともいうべき戦争を、平然と行うつもりなのかと。


「恐れるべきは戦争ではなく、かの国の脅威です。ホルスを取り込んだなら、次は我が国を狙うでしょう。どうせ戦争が避けられないのなら、せめて彼らではなく、我々のタイミングで始めるのです」

「あまりに無茶だ……」

「これは自衛であり、予防戦争なのです! 安寧を勝ち取るために、武器を手に取るんですよ」

マイヤーハイムの言葉を遮るように語った彼の手は、ぎゅっと固く握られている。

必ず野心を果たすとの決意の表れのように。


「愚かしい! 国は賭けのチップではない。軍は派遣せず、物資の支援は行う。解散」

ついに女帝アマーリエが口を開いた。

死期を悟った者の語気とは思えない気迫を吐いた。

誰も反論する余地がない。


 アマーリエが杖をついて、先ほどの発言とは裏腹に、ゆったりとした足取りでその場を後にした。

「どちらが愚かか今にわかるでしょう」

もはや野心を隠そうともしていない。

捨て台詞を吐いてアルトゥールも後にした。


 彼はその足で首都防衛軍司令部を訪問した。

受付でレンツ将軍が執務室にいることを確認し、その扉を叩いた。

「どうぞ」

扉が開き、アルトゥールが姿を彼に見せた。

「このようなところに殿下自らお越しとは、どういったご用件でしょうか?」

彼は用件を受付から聞いていない。


 訝しむレンツにアルトゥールが話し始めた。

「現場の声を聞いて回るのも、上に立つものの仕事ですよ」

「は、はあ……」

いまいち要領を得ていない様子を見せる。

「ところで今の待遇や環境に不満はありませんか?」


 顔をゆがめ、嫌そうな顔をする。

明らかに答えにくそうだ。

「いえ、平民の私がこのような地位をいただけるとは、不満を抱く余地などありません」

「ここで嘘をつく必要はありません。将軍はこれ以上の立身出世が可能とお考えで?」

レンツは黙り込んだ。

「有力貴族が跋扈する中で、平民である将軍がさらなる出世は不可能です」


 お互いに目を見据えてにらみ合う。

「何が言いたいのでしょうか?」

「革命に参加してもらえますか? 時が来ればこちらから将軍を求めます。その時に求めに応じればいい。それだけです」

再びレンツは黙ってしまった。

「無能に顎で使われ続けるか、実力でのし上がれるかは、将軍の決断次第です。では私はこれで」


 アルトゥールは去った。

彼の言葉は頭に残り続ける。

実力でのし上がれる。

ならばその求めに応じるべきだろうか。


******


 アルフレートはうんざりしている。

例のごとく、ヒルデブラントとラッシが王宮の小さな議場を舞台に争っている。

議題は当然ホルス内戦への対応だ。


「速やかに反政府軍に加勢し、政権奪取後のホルスに対する優位を確立するのです」

ヒルデブラントが言う。

「なぜ反政府軍が勝てるというのです?」

「東部以外の地域で、下層の人民が大勢反乱に参加している。これは民心が離れている証拠に他ならない。もう現政府は長く持たないでしょう」

得意げに持論を展開するヒルデブラントに、ラッシが反撃を開始した。

「もとより現政権と友好的なムスペルヘイムが支援した場合、軍事的な面では展開が読めないのでは? ここは静観を決め込み、趨勢が決まった後に参戦すればよいかと」


 侮蔑的な目をラッシに向けた。

「あなたは恐れている。ムスペルヘイムの影を恐れているのです」

「ええ、恐れていますよ。下手な介入は、かの国との全面戦争になりかねません」

「現状のあの国に、大戦争を行える政治情勢にない」


 アルフレートが反論しようとしたラッシに、制止を合図した。

「もういい。反政府軍側に物資支援を行い媚を売っておく。この件についてはこれだけだ」

アルフレートは議場を出ていってしまった。


 連日に渡る争いに疲れている。

ヒルデブラントとラッシをはじめとした、両派閥の忠言という名の讒言を聞かされ、さらには政治に無縁なはずのイレーネにまで、トゥオネラ軍人の悪口を言われる始末だ。


 いったい両者とも何を恐れているのかわからない。

何かを失いそうな予感を抱えながら、いつも語りかけて来るように感じる。

アルフレート自身によって、この国の利益が損なわれようとしているから、彼らは必死なのだろうか。

皇帝は皇帝として、この国の安全と繁栄を守護しているつもりでいる。

傀儡になるまいとしている自分の在り方は、どこか間違えているのか。

渦の中心にいる彼には、何がどうなっているかなど、到底わからないのだった。


******

341年9月


 ヴァルフコフは反政府軍の総司令官兼艦隊司令官として、自ら軍を率い、モローズ半島の付け根にあるベロボーグ周辺に展開した。

この地はかつて第2次大陸戦争の際、侵攻してきたイルダーナ軍に、ホルス軍が初めて勝利した場所だ。

指揮官として防衛した土地を、今度は首都トリグラフに進むために攻略しようとしている。


 攻撃を加えたものの、ヴァルフコフ麾下の戦力以外は寄せ集めの民兵に過ぎず、政府軍の抵抗を突破できないでいる。

モローズ半島の諸都市は、政府のもとに統率が行き届き、反乱の余地がないという。

外からも内からも崩せず、内戦開始から半年が経過している。


 ヴァルフコフにとって気がかりなのは、ニブルヘイムとムスペルヘイムの動向である。

前者は政府軍を、後者は反政府軍を支援しているが、内戦の経過次第で武力介入もありうる。

もしもニブルヘイムが参戦すれば、ムスペルヘイムも参戦するだろうか。

ニブルヘイムだけが参戦すれば敗北は必至で、ムスペルヘイムだけなら勝利は間違いないだろう。

両国が参戦すれば、それは3度目の大陸戦争の幕開けになるやもしれない。

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