鉄鎖を打ち砕け

「片親の私は、父と国営工場で働いていました。ですが門に貼られた紙切れ1枚でクビになりました。いきなりですよ、前日も普段通り出勤して、急にこの仕打ちです」

ヴァルフコフは軍人とはいえ、国営工場の厳しい懐事情は、一般常識として知っている。

この国の法律では、解雇の1ヶ月前に本人に通達しなければいけない。

国家は法を犯したのだ。


「父はもともとバラネフ社の銃器工場で働いてましたが、戦後の大幅な需要削減のせいで、クビになったのです。ちょうど国営工場ができたので、生活難もあって親子で働いていました」

「そして今に至るわけだな。父親は殺されたのか?」

彼女は控え目にうなずく。

「ところで君は何歳なんだい?」

「18です」


 その年齢で、体中煤まみれにして労働をしている。

そのことにヴァルフコフは胸が痛んだ。

この国は子どもをこんなになるまで動員しなきゃ、経済を維持できないのか。

もはや病気ではないか。

プロレタリアートの時代とはそういう意味なのか。


 ヴァルフコフだって良心はある。

たとえ体制側の英雄だとしても。

「マルタと言ったね。しばらくうちに住むといい」

「ありがとうございます!」

傷心の彼女が可動域いっぱいに、口角を上げてみせた。


 適当な党員に何とか、状況打破を進言しなくては。

心の重い任務を背負った彼は、心なしか笑顔だった。


******


 この国は歪だ。

マイヤーハイムは思う。


 その地域に住む最大民族が運営する役所と学校があり、少数民族にも議席が用意された議会があるエゲリア王国。

一方、地方議会はあるものの、領主が議会の決定をひっくり返すことが可能な国。

皇帝と有力貴族の会議の決定を、ただ追随するだけの中央議会を擁する国。

それがムスペルヘイム帝国だ。


 無論エゲリアにも問題はある。

例えばエゲリア中央議会は、少数民族の意思を反映することを掲げながらも、エゲリア人有力貴族の力が強すぎることなどが挙げられる。


 しかしこんな国情の違う国同士が、同君連合としてやってきているのも事実。

ムスペルヘイム・エゲリア共通会議で、対外政策や税率といった、国全体に関わる問題を扱っているため、破局に至っていないだけに過ぎない。

このままでは崩壊してしまう。

マイヤーハイムの思考は、破滅的な未来を予測している。


 凡庸な皇太子に、現状を打開できるほどの能力は期待できない。

ならばいっそのこと、自分を宰相に任命してすべてを任せて欲しい。

そう思わずにはいられないような男だ。


 みすみす破滅させるなら、国家を賭けるような男に任せるしかなくなってくる。

しかし賭けに勝つかもしれない。

そこにすべてを託すしかない。

この国の歪みは、それほど深刻なのだ。


 当の賭けに出ようと望む者もまた、思案している。

アルトゥールは以前にも対話した、件の3人の議員を館で待っている。

今日はもっと具体的な話をするつもりだ。


 来客を知らせる執事の声。

彼らがやってきた。

革靴を響かせ、こちらにやって来る。


「ようこそ」

言葉短めな挨拶で彼らを出迎えた。

着座するやいなや、アルトゥールは話し始めた。


「陛下の死は近いだろう」

大きな衝撃が3人を覆う。

彼らはこれをクーデターの示唆だと考えた。


「では陛下の崩御後、速やかにフェンサリルを掌握し、皇太子殿下を害する……という算段でございましょうか」

ガストーニが恐る恐る問いかける。

しかしアルトゥールは首を横に振る。

無言の所作に、困惑を禁じえない3人。


「それでは遅いのです。死の間際に義挙を行い、私が陛下より正式に次期皇帝に指名していただくのです。私が陛下のもとにいたという事実さえ作れば、どんな批判も単なる邪推に過ぎません」

自分の正統性を確保するために、このような時期に決起するというのだ。


「それはいいのですが、軍事力はご自身の私兵のみですか?」

カラハンの指摘。

大貴族は私兵を有しているが、せいぜい自分の居城の警備をする程度の規模に過ぎず、首都を押さえるほどの戦力はない。

「それについては、2人の将軍を味方につけようと考えています。すでにそのうちの1人には、アプローチをかけています。現在進行中の、艦隊増強計画によって創設される、新艦隊に将来有望な指揮官が着任すれば、そのものも味方につくやもしれませんね」


 イルダーナ南部を領有後、その地の巨大な軍用湖を使えるので、元来少なかった艦隊戦力を強大なものにしようとしているのが、当の計画である。

これにより、元来艦隊戦力の脆弱だったこの国が、大国に相応しい戦力を有するようになる。

そこに若手の指揮官がやってくるかもしれないという話をしている。


 ニブルヘイム軍上層部のポストは有力貴族か皇族ぐらいしか就任できず、爵位の低い貴族や平民出身者にはまったく門戸が開かれていない。

そこでクーデター成功の暁に将来の栄達を、優秀な下級身分の軍人に約束することで、クーデター軍の戦力に引き入れるという算段だ。


「ところで先ほど言った2人の将軍とはいったい誰なんですか?」

食い入るようにぺルシエが聞く。

「艦隊司令官ウルリヒ・フォン・ヘルツォーク中将と、首都防衛軍司令官ヴィルマー・レンツ少将です」


 前者は下級貴族、後者は平民の出身だ。

ヘルツォークはエギル=ハールヴダンの戦いの際に、アルトゥール自ら信任の言葉をかけている。

2人とも先に述べた事情により、さらに上の役職は望めない状況にある。


「特にレンツ将軍を引き入れることができれば、フェンサリル掌握は確実と言っていいでしょう。ヘルツォーク将軍は現在エゲリアに駐屯しています。この方面の主力は南ホルスで展開中のため、ヘルツォーク艦隊がエゲリア最大の軍事力となっています」

エゲリアで事を起こせば、事実上エゲリアは勢力下に置いたも同然だ。

この事実に、3議員は末恐ろしさと歓喜の融合体のような表情で応じた。


「あとは我々の根回しと組織化、それが求められるということですな」

ご機嫌なガストーニ。

あまり歯並びのよくない歯列を見せ、自分の機嫌のよさをこれでもかと誇示している。

「そういうことです」

この場にいる4人みな、未来の勝利の美酒に酔っていた。


******


旧イルダーナ帝国西部砂漠地帯


 荒涼とした大地。

そこに敷き詰められた肌色の粒子。

遠い遠い先には、砂漠に眠る魔力水の採掘プラントが見える。


 植物にとっておおよそ不毛なこの地の底に、滅びた国の亡霊が巣くっている。

イルダーナ軍の兵器研究所にしてに秘密基地に、イルダーナ軍とCDFの残党が結集している。

理想郷アヴァロンと自嘲を込めて名付けられた場所の一角に、エイブラムを筆頭にCDF副総隊長ホーガン、この基地の指揮官ジンデル、同じく研究所の所長のサザーランドが集まっている。


「ホルスの情勢変化に伴い、戦略の練り直しを行う。なお、クラウス・アルペンハイム公はムスペルヘイム外遊のため、欠席とする」

クラウスとその主君一行は、祖国が陥落したのちにイルダーナへと亡命している。

そしてイルダーナ滅亡の際には、残党と共にこの地に逃れている。


「ここはいち早く祖国を取り戻すべく、タラニスへ進軍すべきです。情勢の安定しないホルス方面に、ニブルヘイム軍が集まっている今こそ好機では?」

そう述べたのは現在CDF残党をまとめているホーガンである。

「すぐに彼らは戻って来るでしょう。現状の軍事力では迎え撃つことは不可能です。いくら主導権を握りたいとはいえ、さすがに無理がありますよ」


 この残党は正式には指導者がおらず、ここまでの撤退を指揮したエイブラムがそのまま仕切っているだけである。

「先帝陛下のお友達というだけで、ここの指揮官とは認めることはできない。よって陛下の思想を受け継いだ組織であるCDFこそが、ネオ・イルダーナの旗手にふさわしい。エイブラム将軍も指揮下に入るべきだ」

「権力闘争のために、無謀な作戦を立案する人物が果たしてふさわしいでしょうか」


 ホーガンは件の作戦を実行する気はないし、そもそも無謀だとわかっている。

軍事侵攻案だけ許可を取り付け、実際には破壊工作しかしない。

その場の主導権を握り、何かしらの実績を残して、それをもって指導者と自他ともに認められる状況を作ろうと画策していた。

しかしそれもエイブラムに看破されてしまった。


「そこまで言うならタラニス侵攻は取り下げる。代わりにエーリューズニル付近での破壊工作を実施する」

「許可します」

指導者の体裁を取りつつ、CDFのガス抜きのためにそれは許可した。


「ところで空中要塞の完成度はいかかですか?」

エイブラムがサザーランドに問う。

「まだかかりそうですね……。要塞に搭載する新型爆弾の小型化に手間取ってまして」

サザーランドが申し訳なさそうにする。


「発射はできないのです?」

今度はジンデルが尋ねた。

「それはできません。現在の技術では地上軍が投射可能なほどに小型化は不可能です」

「ここの防衛には使えないということか」

「ここが戦場になるようでは、我々の負けです。今日はお開きとしましょう」

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