国の在り方

 ホルスでのクーデターは、大陸全土に伝わった。

この新政権をどのように扱うか、アルフレートの周辺でも話された。



「陛下、新政権の承認と引き換えに条約の履行を迫りましょう」

ヒルデブラントは提案した。

「ムスペルヘイム側がどう出るだろうか。旧政権支持に回れば、対立は避けられない」

アルフレートは懸念を示した。

「お互いに占領地の統治安定に忙しいので、対立の先鋭化はあり得ないでしょう。ここはこちらの利益の最大化を図るのです」


 相手が動かないと分かった上で、自国の利益を最大限追求しようというのだ。

「条約の履行を要求する以外に何をする?」

「施政権だけを求めるのではなく、領有してしまうのです。領有を認めるのと引きかえに、新政権を認めましょう」

「それはあまりにも危険です」


 割って入った声。

声の主はラッシ・アハティラだ。

「我が国の行動を認めず、問題を引き延ばされれば、態勢が整ったときに反撃を受ける恐れがあります」

「具体的にどのような反撃があるというのです?」

侮蔑的なヒルデブラントの言い方。

ラッシの眼光が鋭くなる。


「条約違反を大義名分にした、我が国に対する宣戦布告です」

「向こうから仕掛けたとしても、持久戦に持ち込めばいい。非ルーン人が厭戦気分に陥る前に、戦争を終わらせなければ、あの国はもたない。ゆえに短期決戦しかできない。そこを利用すれば勝てる」

「戦争する気ですか!」

狼狽するラッシ。

「いずれはひとつの旗のもとに。大ルーン主義の名において」

「それは陛下が決めること。傲慢が過ぎますよ」

ヒルデブラントが無言でにらみつける。


「今後のことは予が決める。それが皇帝だ。わざわざ平地に乱を起こす必要はない。条約履行を条件に、新政権を承認する」

「御意」

手ぬるいと言いたげな目で、アルフレートを見つめるヒルデブラント。


「会議はこれまでだ」

離席する軍人たち。

この国が軍部独裁国家であることを物語っている。

ニブルヘイムの政治の実権を握っているのは、ヒルデブラントを筆頭にした軍の上層部である。


 トゥオネラやホルスとの対立から、以前から軍の力は強かった。

しかし、各地方の貴族で構成された議会により、辛うじて軍部独裁は阻止されていた。

アルフレート即位に際して、彼の即位に反対した議員を、軍部の力を背景に、ヒルデブラントが虐殺したため、現在の軍部独裁が完成した。


 部屋を出たアルフレート。

果たして自分はリーダーシップを発揮できたのか。

自分をコントロールしようとするヒルデブラントに、抗うことはできたのだろうか。


 当のヒルデブラントは、王宮の中庭を歩いている。

デイジーの花が咲き乱れ、木々が生い茂り、人工の中に自然を添える。


 傍らのテラスに佇む、1人の女性。

「イレーネ様ですね?」

女性が振り返り、ヒルデブラントの顔を正視する。

口元に微笑をたたえ、ラピスラズリの瞳を、その男に向ける。

 

 対し、彼の暗く青い目には、何も映っていない。

空虚、冷徹、軽蔑。

それらが複雑に螺旋を描き、交錯したような瞳。


 彼女はそれに気づいていない。

それを見抜けるほどの修羅場はくぐっていないし、兄の温かい眼差ししか知らない。

だからこそ、このようなほんわかした表情を浮かべられるともいえる。


「私をどうしてここに呼んだの?」

世間知らずの彼女ができる、精一杯の怪訝な顔を、非情な男に向ける。

「お時間をいただき、ありがとうございます。お呼びしたのも他でもない兄君、陛下のことでございます」

さっと彼女の眼の色が変わった。


「お兄様の身に何か危急のことでも?」

穿つほど鋭い視線で、ヒルデブラントを見据える。

「トゥオネラ人が蠢動している可能性があります。一緒に過ごしていたときに、トゥオネラ人が陛下に近づいてきたことはありませんか?」


 ブラフだ。

彼はそこまでアルフレートや、イレーネのプライベートまで把握していない。

この質問で、イレーネからプライベートな情報を引き出そうとしている。


「あの女……アイラ・アロネン。あの人はいつもそばにいる。私がついているのに、あの女はお兄様の周りをうろちょろしてる……」

ヒルデブラントは軽蔑の眼差しを彼女に向けた。

アイラは副官という立場上、アルフレートの近くにいるのは、なんら不思議なことではない。

それをわかっていないのではないのか。


 もしわかっていないとしたら、これは彼女の嫉妬ではないか。

それはイレーネがアルフレートに恋愛感情を抱いていることになる。

単なる兄弟愛で、こんなに嫉妬するだろうか。

とても考えられるものではない。


 仮に分かった上でのことなら、なおさらまずい。

それはアルフレートの周囲に、自分以外の女性がいることを許さないということだからだ。

イレーネはアルフレートのことを、恋愛的な意味で好意を持っていると、ほぼ断言してもいい。


 地雷だ。

彼女はあまりにも危険すぎる。

小さな体に途方もなく大きな、劣情という名の爆弾を抱え込んでいる。

爆発したとき、国を揺るがすスキャンダルになりかねない。


 しかし、穏健派のトゥオネラ軍人の政策ではなく、ムスペルヘイムと雌雄を決することも辞さない、大ルーン主義に舵を取らせるには、彼女を利用するしかない。

縁故主義的なアルフレートには、身近な存在からの言葉が最も威力を持つ。


「彼女を含めたトゥオネラ人が、何やらよからぬことを策しているようで。どうかお気をつけください。何かあれば、私のところまでご連絡ください」

それだけ言うと、制止を振り切って踵を返した。


******

エーリュズニル ラッシ・アハティラ邸


 ラッシは焦っていた。

ロックグラスを握る力が本人の意思と関係なく強まる。

グラスの中で、彼の気持ちを表すようにウィスキーが揺れる。

波打つ琥珀色に視線を落とす。

溶けて小さくなりつつある氷。

琥珀色の海に沈んでいく。

まるで自分のようだと自嘲した。


 ヒルデブラントという巨大な勢力の前に、沈みゆくトゥオネラ人。

大ルーン主義というタカ派の台頭。

それを推し進めようとするヒルデブラントの存在。


 危険だ。

大ルーン主義をもしも実現するようなことがあれば、トゥオネラ人の立場はどうなるのだろう。

もはや敵のいないニブルヘイム、ルーン人の前に、少数のトゥオネラ人は、一顧だにされない可能性が高い。

それはアルフレートの意思ではなく、ヒルデブラントの意思によってなされる。


 亡国の人間として埋没するのが嫌だから、アルフレートと共に、ニブルヘイム軍人となった。

トゥオネラ人の地位を守るために、ここにいることを選んだ。

それができないというのなら、ヒルデブラントを失脚させる他ない。


 それでも後世に、同じような人物が現れるかもしれない。

そうならないために、トゥオネラ人の立場を強化しなければいけない。


 独立は論外だ。

どうあがいても、生存のために強力なニブルヘイムと戦う道しかない。

何のためのアルフレートだ。

ニブルヘイムで生まれ、トゥオネラで育ったあの男こそ、両国に君臨するにふさわしい。


 ならば同君連合だ。

ムスペルヘイムのように複雑な民族構成ではないから、かの国より上手くいくはず。

これなら対等の地位になれる。


 どうやって同君連合を認めさせるか。

トゥオネラを無視できない状況を作るしかない。

しかしどうやって。


 トゥオネラ軍人による軍閥の形成。

されど数で劣っている。

ヒルデブラントの前では塵芥も同然。


 大ルーン主義に難色を示す国、ムスペルヘイムの軍事介入。

それに加えて首都エーリュズニルと、トゥオネラの旧都ポポヨラで武装蜂起を敢行する。

ニブルヘイム皇帝を戴いたトゥオネラの独立と、ヒルデブラントの処刑を求めて立ち上がる。


 ムスペルヘイムの軍事介入の口実のために、緊張を高めなければいけない。

そのためにしばらくはヒルデブラントの方針に従うしかないだろう。

別にそれで構わない。

経過でどれほど勝利を挙げても、しょせんは戦術的勝利。

最後にだけ勝てばそれでいい。


 思考を遮るノック音。

「ご主人様、ヒルヴィ少将がお越しになられました」

高い少女の声。

彼女はトゥオネラから連れてきたメイドである。

「ここまで通してくれる?」

「かしこまりました」


 神経質そうに眼鏡を胸ポケットのハンカチで拭き取り、再び形のいい耳にそれをかける。

棚からグラスを取り出し、氷をそこに流し込む。

カラカラと小気味よい音を立てて、グラスに収まる。

そこにウィスキーをグラスの3分の2まで流し込む。

残りは水で満たす。

それを木目のきれいなテーブルへ置く。


再度のノック。

「お連れしました」

「入ってください」

木製の扉が開かれた。


「お越しいただきありがとうございます」

お辞儀するラッシ。

「まあまあ、戦友なのだからそう堅苦しくしないでくれ」

「水で割っていますよ」

視線をテーブルに置かれたロックグラスに向けた。

「準備がいいな」

ヒルヴィはソファーに腰かけた。

精悍な体つきに合わせて、ソファーが沈み込む。


「早速本題に入りましょうか。この国と民族のあるべき未来について」

鋭い視線が眼鏡越しに彼に送られる。

それに対し、ただ笑みを見せた。

「楽しませてくれよな」

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