ユグドラシル大陸戦記 Collision of nationalism
鳴河 千尋
野心の中に人は踊る
新しい世界、変わりゆく秩序
340年6月19日 正午
タラニスで裁判が開かれ、シェリンガムやアルバーンといった、ブルーノに近い要人が死刑に処された。
その一方で、ホルスの首都トリグラフでは、戦後の世界秩序を決める、講和会議が開かれていた。
「イルダーナに占領された、アルフヘイム、ミッドガルドは、もともとの政治的不安要素を考えれば、大国のよる統治が望ましいものと思います」
アルフレートが、会議の面々に向かって言った。
アルフレートのほか、この場にヒルデブラント、ムスペルヘイムからは女帝アマーリエ、外相マイヤーハイム公、ホルスからは指導者のアルバトフ委員長が列席している。
「そのような膨張政策は、かのイルダーナと変わらないものでは?」
アルバトフが言う。
ホルスとしては、反共主義的な隣国の勢力拡大は、まったくもって望ましくない。
「これはルーン人のナショナリズムの問題です。ホルスの関わることではありません」
立場がないことを明言され、アルバトフは反論の言葉を失った。
「では、例の2か国の処遇をどうお考えで?」
アマーリエの問いかけ。
「ひとつルーン人、いわば大ルーン主義に基づく、我が国の統治を実施すべきです」
彼女の表情が変わった。
アルフレートの発言はあまりにも無礼だ。
ルーン人の統一を理由に2か国を併合するなら、支配民族がルーン人のムスペルヘイムはどうなるのか。
大ルーン主義の名において、ニブルヘイムがムスペルヘイムを統合することも意味しているのではないか。
「それは貴国がルーン人国家である我が国を併合する意思を有している、そういうものと受け止めてよろしいですか?」
怒りに震える女帝に代わり、マイヤーハイムが返答した。
「貴国は純然たるルーン人国家ではないかと。そのことはエゲリアとの同君体制が物語っています」
「我々はムスペルヘイムとエゲリアの代表です。よって先ほどの発言は、エゲリアではなくムスペルヘイムに向けられたものと考えられます」
「このあたりで妥協しましょう」
耳打ちするヒルデブラント。
これ以上の反論は無理と考えた。
「では我が国はアルフヘイムに加え、ルーン帝国を、ルーン人国家であるムスペルヘイムはミッドガルドを領有する、というのはどうでしょうか?」
「首都を国境から遠ざけられますし、このあたりが落としどころです」
今度はマイヤーハイムがアマーリエに耳打ちした。
「それがよろしいですね。では現在占領中のイルダーナは、我が軍が単独で占領しているイシュケ山脈以南は我が国が、北部はニブルヘイムが統治し、こちらの軍は撤退するのでよろしいですね?」
有無を言わせる気のない問いかけ。
「妥結しましょう」
ヒルデブラントが小声で言う。
「その通りにしましょう」
「イルダーナは北部だけでも独立させることが、大陸の秩序のためになります」
割って入るように、アルバトフが言った。
「戦争に大敗した国が、自尊心を守るためにコールマン主義のような、過激なナショナリズムに走る可能性は考慮しましたか?」
再び沈黙するアルバトフ。
「イルダーナは先ほどの通りにしましょう。では現在我が国とムスペルヘイムが統治している、モローズ半島以外のホルス領の処遇について話しましょう」
普通ならそのまま領土を返還するところなのに、わざわざ問題化している。
明らかにそのまま領有する意図がある。
「かの地は以前より我が国固有の領土。当然返還すべきです」
「自力で国土を奪還できなかった国に、かの地を委ねることは難しいことかと。我々は、過去の話ではなく、未来の秩序の話をしているのです」
「しかし!」
アルフレートは反論を片手で制した。
「現在の占領地の状況を鑑みて、ホルス北部を我が国が、南部をムスペルヘイムが、それぞれの施政権を得るという形でどうでしょう。領有権はホルスのものです」
「よろしいかと」
アマーリエの同意。
アルバトフはやむなく同意した
その後、それぞれの国の外交官が擦り合わせて、条約を形にして批准、そして発効するだけである。
******
340年同日 トリグラフ 国内安全保障局本部 局長室
国内安全保障局、いわゆる秘密警察であるこの組織の長官ミハイル・バザロフは、夜に客を迎えている。
「同志クーツェンでよかったね?」
「はい」
そう言ったクーツェンは、口角をやたらに上げて、にやにやしている。
彼はヴァルフコフの監視をしていた政治将校だ。
「同志ヴァルフコフについてです。シズレク奪還戦に際して、上層部の作戦を無能呼ばわりし、ヴェレス防衛戦では情報秘匿のための封印指令を、無意味だと言っていました。このような行動をしておきながら、元帥になったのです。今後、望んだ地位が手に入らないようになると、自らの力で奪い取ろうとしてくるのは必然です」
冗長で飽き飽きする言葉だ。
聞いていたバザロフは内心呆れていた。
「つまり、同志ヴァルフコフを処罰しろ、そう言いたいのだな?」
「その通りです」
処刑されるヴァルフコフの姿が目に浮かんでいるのか、やけに上ずった声で返答した。
興奮をまったく隠せていない。
一方、バザロフは心底冷めている。
どうでもいい、些末なことのために時間を割いたのだ。
彼にはこの後、人民革命党の要人との、大事な会議が控えている。
このような小物の相手をする暇なんてないのだった。
「わかった。裏を取り次第、彼を‘教育’する」
「ありがとうございます!」
証拠として、魔導式ボイスレコーダーを机に置いて、上機嫌でクーツェンは部屋を出た。
このボイスレコーダーは音を感知し、それを記録する特殊な加工が施された魔力水が入っている。
振ることで録音と再生ができる。
バザロフはつまらなさそうな顔で一振りした。
再生されるヴァルフコフの声。
最後まで聞くと、それを机の引き出しにしまった。
「私怨だか、出世のためだか知らないが、つまらんことに時間を使わないで欲しいものだな」
独り言を呟くと、彼は人民革命党本部の小会議室に向かった。
彼にとって、こっちの会議の方がよっぽど重要だ。
自分で車を運転し、本部へと向かう。
小会議室の扉を開けると、党の要人が先に着席していた。
「遅くなってすまない。つまらん用事が入ったんだ」
扉に一番近い席に座ると、さっそく本題に入った。
「現状のこの国の体たらくは何なんだ。軍は足手まといとして、連合軍の後方に回されて、モローズ半島以外は他国が統治して、こちらは何一つ関わっていない。戦争序盤だけで大勢の人命を失って、これからの復興はどうする気なんだ」
モローズ軍管区司令官ゴルスキーは憤りを隠せない。
怒りの矛先を向けられているのは、本来なら講和会議に出席するはずだった、外相のペトロフスキーである。
政権の不満を抱いている者たちを抑えるために、出席せずにここに残っている。
日が昇っているときも、地方に憤懣を覚えている人をなだめに行っていた。
「ちゃんと半島以外の地域も返してもらえるんだろうな?」
他の軍関係者も詰め寄る。
もはや言葉なんて選ぶ余裕はない。
唐突なノック。
怒りをあらわにしていた人たちは、怖いぐらいに静かになった。
訪れた静寂。
ペトロフスキーは静寂を抜け、部屋の外に出た。
数分すると彼は戻ってきた。
「半島以外の領土の施政権は、かの2か国に渡るが、領有権はこちらの手に残ったそうだ」
「それは事実上の支配の固定化では?」
初めてバザロフが発言した。
ペトロフスキーは無言。
反論の余地なし。
「もう話すことはないな」
「同志アルバトフに報告するぞ」
それを鼻で笑って会議室を出た。
「確か将軍はこちらへの帰還の途上にあったな」
彼はいそいそと家に向かった。
******
明日には祖国の土を踏める。
そのような思いを暗い空に浮かべていたのは、凱旋の途上にあるヴァルフコフである。
特に何もなく、ゆるやかに思索に耽っていられる平和な夜。
夜の帳をこじ開けるように、副官が1枚の紙を差し出した。
平文に直された電報が、彼の手に渡った。
「固有の領土を差し出した現政権を打倒する。そのために全軍をもってトリグラフを占領せよ。実行しないなら、政治将校の報告に基づき、同志とその家族を処断する。ミハイル・バザロフ」
嘆息。
長くて重いそれを終えると、一瞬間を開けて言った。
「いつの間に帰ったんだ。あの男は。行動力だけはある無能なのか」
名を言わずにクーツェンを批判した。
「仕方ない、反逆者になろう。従順な犬になっても殺されるんだからな」
恐ろしく早い決断。
国家への反逆を簡単に決定してみせた。
「こちらに選択の考える時間なんてまったくないじゃないか。実に腹の立つやり方だ」
「どうかなさいましたか?」
副官が心配そうな面持ちで顔を見る。
「権力者は度し難いものだなってことだよ。あ、返事はこのような文面で頼む」
なんだかよくわからないと、副官は顔いっぱいに表現してみせた。
午前4時過ぎ、ヴァルフコフの艦隊がすぐそこまで来てる頃のトリグラフでは、重苦しい雰囲気に包まれていた。
国内安全保障局本部前の広場に、保障局の特殊部隊が整列している。
「総員に告ぐ。これよりこの国にたまったゴミを排除する」
バザロフが言う。
朝早くから招集をかけられた隊員たちは、どこか瞼が重そうな面持ちである。
「トリグラフの中枢を制圧する。もちろんそこにいる要人も捕縛する。援軍に英雄ヴァルフコフが動く。各部隊の目標は、それぞれの上官から聞くように。人民革命党万歳!」
引き返す道はない。
各部隊は、まだ暗い通りを駆け抜け、政府の中枢を目指す。
首都を守る軍は気づいていない。
バザロフは局長室で、各部隊の報告を待った。
「人民議事堂、党本部、閣僚邸宅占拠、首都防衛軍司令部、空軍基地では戦闘に入りました」
部下からの報告を、静かに聞くバザロフ。
「アルバトフや閣僚の身柄は?」
「ペトロフスキー外相と、アルバトフ委員長以外の身柄は確保しました」
「ペトロフスキーがこちらの行動を読んでいたのか」
ペトロフスキーも、こんなすぐに動くとは思っていなかった。
戦力なら、首都防衛軍が多いので、他から増援を呼ぶのに時間がかかると考えていたからだ。
先手を打ってバザロフを捕縛しようにも、彼にも軍にもその権限はなく、アルバトフが戻って来るのを待ってからでしか、何もできない。
彼にできたのは、戻ってきたアルバトフを首都防衛軍司令部まで連れていくことぐらいだった。
そこで捕縛を命じたかったが、先にバザロフが動いてしまった。
とはいえ戦力では防衛軍が優位なため、基地の戦闘ではバザロフ側が不利に立たされている。
「基地攻撃部隊が敗走したそうです」
「これ以上戦線を下げさせるな」
「そうするにも戦力が足りないのです」
報告する部下は、暗い面持ちでバザロフを見る。
「ヴァルフコフが来る、今に見ていろ」
彼は部屋のカーテンを開けた。
宵闇に浮かぶ巨体がそこにはある。
「クーデターは成功だ」
ヴァルフコフ指揮下の地上軍が、トリグラフ市内へと突入する。
艦隊が機銃掃射で、空軍基地の防衛軍を一掃する。
ヴァルフコフの到着により、戦局は揺るぎない、決定的なものとなった。
防衛軍司令部は陥落し、空軍基地の湖には、悠々とヴァルフコフの艦隊が着水した。
アルバトフやペトロフスキー、そして他のアルバトフ側の人間はすべて処刑された。
バザロフが党の委員長に就任し、軍を背景にした政治体制の始まりである。
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