Déjà vu
ぼくたちがいたのは離れの小屋で、いまから母屋の方角へ向かっていくらしい。
どうも寒いと思ったら、遥かシベリアから運ばれてきたであろう
「…………」
何か言われるかと思ったが、少女はそのまま踵を返し、松や柳、菖蒲の並ぶおおきな林泉の横手をしずしずと歩いていく様子。
「……な、なんだよ?」
振り返ってくる。
「……あ、すいません、目にゴミが入ったかと思ったら、虫けらでした」
「おまえはぼくに何か恨みでもあるのか!?」
自分の叫びが柱廊の床板を伝い、庭園の木々をさわさわと揺らすのを感じた。
本来ならもっと楽しめるだろう風景も、こんな空気では満足に楽しめそうにない。
「わたしのことを、たんなる説明役の助手ポジションと思い上がっていただきたくないんです。が、それとは別にわたしはあなたを軽蔑しています」
「自分の人格が支離滅裂に破綻していること以外で何かひとつでもおまえがぼくに説明してくれたことがあったかな?」
「かりんです」
「え?」
咳払い。
「……おまえ呼ばわりされるのが気に入らないんで、仮の名前を教えて差し上げただけです。勘違いしないでくださいよ? わたしは別にツンデレなどではありませんからね?」
「あ、そう……」
意外にも、女の子らしい名前だった。
かりん。
堅くて脆い、ガラスの響き。
「……なんですか? そのすだれみたいな顔は……。もう少し、面白味のある反応を期待していたんですけれど……。って、なに笑ってんのですか、なんなんですか、気味が悪い……」
「いや、素直にいい名前だなあと思って……」
これはかなりぼくの主観が入るのだが、誤解を恐れずに言うならば、かりんはこのときまるで、唾をつけられた女の子がするような恨みがましい目つきでぼくを睨みつけてきた。
そのまま数秒にわたるお見合いを続けていたら、やにわに赤面したかと思いきや、またそっぽを向いてしまったのだけれど、ぼくは共感能力という、悪魔のもたらした毒にも薬にもならない機能が自分に備わっていることを憎らしく思う。
「……だからツンデレじゃないって言ってんじゃないですか。これだから人は嫌いなんです」
「何に対してだよそれは……なんかぼくのこと誤解していないか?」
「名前を教えてもらったくらいで、対等な立場になったと思われては困ります」
「具体的にぼくのどういうところが嫌いなんだよ?」
「そういうとこです」
「かわいげもない……」
ほんとにもう。
いったん靴を履き替えて石畳の上を歩いていたが、ぼくたちの足は母屋とおぼしき敷居をまたぎ、ふたたび入り組んだ建物の内側へと吸い込まれてゆく。そこからは広く長い座敷がしばらく続くが、奥へ進むにつれて日陰の色と香木のにおいが濃くなってくる。奥の襖を開けるとまた同じような座敷になっていて、直進したり曲がったりしながらどんどん進んでいく。とても道順を覚えていられそうにはない。たぶんこの娘の案内がなければ確実に迷ってしまうことだろう。
「しかしほんとうに広い屋敷だね、時代錯誤的だけど、室町時代の荘園を彷彿とさせるような造りだ。それともなにかの寺院だったのかな。この太い柱なんかは、結構な歴史を感じるね」
「いえ、それとかは比較的新しいですよ。元々は
じゃあこの神さびた感じは、ほとんど見かけ倒しなんだろうか。
言われてみれば今風な、へんてこな趣味のオブジェも多い気がするが。
もしかしたらこれは部外者の侵入を立ち拒むためにこんな迷路になっていて、あちこちにある掛軸や置物やらがなんらかの暗号になっているのかもしれない。
なにせ、MAYUの研究は秘匿事項だと言われるぐらいだから。
「いいなあ……金持ちなんだなあ……」おっと本音が出そうになった。「……で、ここに住んでいるわけなのか、たった二人で?」
「はい。それが何か?」
なんか、いわくがありそうだなあと思って。
あえて聞かないことにするけど。
「……着きました。こちらです」
話し込んでいるうちに最奥部まで辿り着いていたらしく、かりんが足を止めている。
そして荘厳な趣きのある目の前の遣り戸のほうへ向きなおり、
「先生――
二重の意味で、期待と不安と、緊張が高まる。
『――入ってよい』
中から返ってきたその低い声に、ぼくは一瞬、重くのしかかられたような気持ちになった。なんとなく苦手な感じなのだ。初対面ではないけれど、あのいかつい顔の印象が残っていて、やっぱり気圧されてしまうと言わざるを得ない。
だって、僧だし……。
「……浮き足立ってますね。もしかして緊張してんのですか? まあ、気持ちはわからんでもないですが……」
声につられて振り向いてみれば、一歩引いたところから、かりんが気遣わしげな視線を送ってきていた。そんなことされたら、実はなんだかんだで世話焼きなタイプじゃないかと勘違いしてしまいそうになるんだが。
「あのさ、これはちょっと思ったというか、気になってたことなんだけどさ」
小声で。
「なんです?」
「いま、こうしてぼくが目覚めているということは――つまりぼくが地下室の〈繭〉から出たということは、もう実験が一通り済んだと考えていいんだな? これについて、いまはっきりとした答えがほしい。というのもあの装置の中で眠っていたあいだ、ぼくはなんだか長い夢を見ていた気がする。そしていまこの瞬間も、もしかしたらその夢の続きなんじゃないかという不安が少しだけあってね。自分でも馬鹿げた質問だと思っているよ。けどこの疑念をいま取り除いておかないと、ぬか喜びになりそうで怖いんだ。だってそもそもMAYUという装置が、夢を扱う装置なんだからね」
するとかりんは、少し眉をひそめて問い返してきた。
「それはどんな夢だったんですか?」
「いや、どんな夢だとか、いついつに何があってだとか、そういう言葉で説明できる夢じゃないんだ。ただなんとなく、今と同じような場面で、同じような会話をしたような気がするだけだ。
「その点についてはご心配なく」と彼女は言った。「抽象的で観念的なあなたの夢は、きちんと小説になっております」
「ああ……」そこでぼくは、さらに小声になって耳打ちをする。「つまり言い方を換えれば、それはもうとっくに出来上がっていると……そういうわけだな?」
「あの、近いんですが……。なんでそんなに躍起になってるんですか……?」
「そりゃだって、ぼくの人生にとって一大事の問題だからさ!」
そう……ぼくがこの怪しい実験にあえて参加しようと決めたのは、この取引がどう転んでも自分にとって得にしかならないと踏んだからである。
今まで何度も「小説を書いてみたい」と思ってきたぼく。
だけど
蝶のように美しい文章を書ける人たちが死ぬほどうらやましかったぼく……。
そんな雑魚ワナビの自分とはもうおさらばだ!
科学の力で、誰でも空を飛ぶことができる。
そう、MAYUならね。
「……お疲れさまでした、とだけ言っておきます」
なんだか煮え切らない反応のかりんに対し、ぼくは思いきって訊ねることにした。
「……もう、読んだ?」
「……は?」
「いや、だから、もう読んだのかって訊いてんの。ぼくの脳を使って書かれたぼくの名義の小説を、つまりぼくの小説をもう確認したかと訊いてんの」
ちょっと驕慢なぼくに対し、彼女は目にあからさまな困惑を浮かべつつ言った。
「それはつまり、わたしにあの萌え萌えライトノベルについての感想を言えと?」
「え、なんだって? も、も……」
「萌え萌えライトノベル」
も、ももも萌え萌えライトノベル~~~っ!!!???
予想してたけど。
そっかあ……まだ見ぬぼくの処女作は、萌え萌えライトノベルになったのかあ……。
「もうわかってるとは思いますが――」こほん、と咳払いをしてかりんが註釈する。「あなたが頭部を器具で覆われて夢を見ていたあいだ、MAYUはその脳に人工的に働きかけることによって、『意識の糸』を『物語の意図』に変換していたと考えてください。そうしてなんらかの
「いや……待った! オーケーわかった、もういい、何も言うな! うん、それがきっとお互いにとって最も望ましい選択であることは、今のでもう……完全に理解した!!」
彼女のことだ、歯に衣着せない言い方で絶対にぼくの
そもそも自分でどんな話か確認しないことには、心の準備のしようもない。
「わかってるならいいんです。でもわかってなさそうなので言います。あのですね――」
「言うなつってんだろ!!!」
ドスをきかせたぼくの声には、さすがのかりんもやや引いていた。……一通りぼくの自意識を粉砕したあと(それは筆舌に尽くしがたい)、彼女はぺこりと一礼して下がっていくのだが、
「……では、わたしはここで失礼します。あとの話は、先生から直接お聞きになってください。あと注意ですが、茶室の中では、先生の言う通りになさってください。さもなければ死にますよ」と不謹慎にも言い放った。
「え、なんだよ、一緒に来てくれないのか。ていうか、どこ行くんだよ?」
「仕事がありますから。貧弱な……いえ、半熟な見本さんのために、精進料理を作って差し上げます。体よく厄介払いができたなんてことは、寸毫たりとも思っていません。やはり何事も、ご自身の目で確かめるのが一番ですからね」
「思ってなければそんな言葉は出ないはずなんだがなあ……」
いよいよ一人になってしまって、ぼくは一気に心細くなる。あんなやつでも、茶を濁す程度の役には立っていたのだ。減らず口を叩いていたのも結局のところ、この先に待ち構えているであろう相手に対する畏怖の念をごまかすためだった。
さて……。
目の前の遣り戸からは、ゴゴゴゴゴ……というオーラが発されているのを感じる。
うー。入りにくい。
だけどかりんは最後にぼくの心中を察してか、ぽん、と背中を叩いてくれていて、それはなんでもないほんの軽い一押しだったのに、なぜか時間差で勢いを増し、最終的にはぼくが部屋に入れるぐらいの推進力になっていた。
「し、失礼します……」
しかし遣り戸を開けたぼくは、その先にひろがっているものを見て、呆気にとられてしまうのだった。
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