第二章
娘が男子を連れてくるにも関わらず、彼女の両親はあっさりとそれを認めた。むしろ僕の方が外泊許可を取るのが大変だったくらいである。泊まる先は「友達の家」ってことにして、性別は話していない。向こうはきっと男友達の家だと思っているに違いないが、嘘は言っていない。
「……ほんと、うん、ありがと」
彼女の家へと向かう地下鉄で、彼女は、呟くように言う。少し照れ臭くなって、小さい声で「どういたしまして」と返した。それからは無言が続く。俺の左腕はまだ彼女の胸元に抱かれている。そんな状態で、周りが噂しているのに気付きつつも、ロングシートに腰かけた隣の彼女が立ち上がるのを待っていた。
彼女が立ったのは、乗ってから八番目の駅。デパートをはじめとした大型商業施設が多く立地する、繁華街の駅だ。一旦改札を出た後、地上には上がらず別の改札へ。会社は違うが、ICカードの定期券なので改札にタッチするだけで通り抜けることが出来た。階段を降りて、停まっていた赤い色の電車に乗る。
電車はしばらく地下を走った後やがて地上へ、高架へと上がり、窓の景色は真っ暗なコンクリートから、右から左へと流れる住宅の明かり達へと代わる。
「そうだ、こんな話、知ってるか?」
無言の支配から抜け出すため、僕は口を開いた。
「……ん、何?」
少し間を置き彼女が反応したので、僕は話し始める。
「とある高校での噂らしい。そこは男女共学の、一般的な公立学校だったそうだ。でもある時、そこに不思議な組織が出来た」
二層に重なった高速道路の下をくぐり、地上に出て初めての駅。といっても高架上に設けられた駅だが。
「不思議な組織って?」
予告音代わりの笛の音が聞こえた後扉が閉まり、再び電車は動き出す。
「机の上に書かれた詩を集めて評価する、二人だけの同好会。しかも学校非公認の」
線路は少し左へと曲がり、すぐ次の駅へ。その駅を出ると右に曲がって進行方向を戻し、しばらく直線の区間が続く。
「けどそれ、いいかも。ロマンスがあって」
「同好会じゃなくて、変わったカップルだったって説もある」
「あ、男女のペアだったんだ。……私達みたいに」
彼女は微笑む。その笑顔が、可愛い。
電車は先程よりもキツいカーブ。体が座席へと押し付けられる。小さなターミナル駅へのアプローチ。ここまで来て、自分も過去この路線を使ったことがあると思い出した。確か、ずっと先の終点で催される有名な祭りに行った時。
電車はそして、駅へと停まる。ここでたくさんの人が乗り込んできた。乗り換えの手間さえ考えなければ彼女もここから乗る方が安いはずだが、気軽に繁華街へ遊びに行けるというのもあって彼女の定期は路線の始発駅を通しているのだろう。
「私も人の記憶に残る、そんなことができるのかな。記憶ってのは儚く消えちゃうけど、自分が生きた何倍もの期間、残り続けたらうれしいよね」
駅を出ると大きくカーブし、地上へと降りていく。小さな駅を経由し、低速で急カーブを曲がり、川を渡る。堤防上には通過を待つ自動車が、列を成していた。
「まあ、難しいだろうな。今だと八十ぐらいまで生きる人が多いから、となると百年以上話が語り告げられなければならない」
「……そうだね。でもさ、三十年ぐらいならどうにかなりそう」
すぐに、僕はそれが示す裏の意味に気付いてしまった。やはり彼女は、自分が死ぬことに確信を持っているのだ。何となく彼女から目を逸らす。
川を渡った赤い電車は右へ曲がり、住宅地の中へ入っていく。ふと、目の前が銀色で遮られた。ボロくて赤い電車と、ステンレス製の新型車両の邂逅。世代交代の途中の路線らしい光景だ。
駅名に「自衛隊前」と付く駅。その駅を出発すると彼女は僕の肩を叩いた。
「あともう少しだよ。次の、次の、次の、次の駅」
まだまだある気がしたが、気にしないことにする。
***
地名と学校名が組み合わさったひたすら長い名前の駅で降りて、僕達は住宅地の中を歩き始める。普段彼女は自転車で駅まで来るらしく、自転車を押しながらだ。僕がこいで彼女が後ろで、でもよかったが「道交法違反だから」と、やんわり断られてしまった。
「本当に、泊まっていっても大丈夫なのか?」
念のため、再度確認。
「うん、男の子だって言ったけどあっさりOK出た」
それは信頼されているからか? 会ったことがない人間に信頼を寄せるのもどうかとは思うが。
「最近優しくなったんだよね。ちょっと気持ち悪いくらい」
「自分の親に『気持ち悪い』って……」
「もちろん内緒だよ? でも、面と向かって言っても大丈夫な気がする」
両親は、彼女の死が近いことを知っているかもしれない。ふとそう感じた。無論僕にとっては信じたくないこと。信じられないではなく、信じたくないになっていた。
「叱られなくても、内心はショックだと思うぞ?」
「それはそうだね。でもさ、何をしても怒られなくてさみしいってのはあるかな」
「不思議だな、怒られるのも怒られないのも寂しいって」
「うん」
そんな他愛もない話をしているうちに、彼女の家へと着く。テレビドラマで主人公の家という設定でもおかしくない、二階建ての一軒家。彼女は自転車を停めると、僕の手を引き玄関へ。
「──ただいま」
普通の家庭よろしく、ドアを開けると中へ向かっていう。「おかえり」と返ってきたのは女性の声。ドタドタと足音がして、その声の主らしき人間がこちらへとやって来た。
「えっと、×××××くんでしたよね」
「はい。お世話になります」
彼女は事前に伝えてくれていたようだ。
「お母さん、とりあえずごはんにしよ?」
「ええ」
僕はリビングらしき部屋へ通された。
「ごはん作るから、待っててね?」
彼女はそう言って、すぐに奥へ行ってしまう。独り残されすることもなく、何となくケータイに手がいく。だが、すぐに戻ってきた。
「今日はお母さんだけで作れるからって、追い出されちゃった」
何となく気遣われた気がするのは、思い込みなのだろうか。
「あ、女の子の家だから緊張する?」
「え、あ、いや」
「慣れてる?」
「……いやいや」
その顔は「冗談で聞いたんだよ」と言ってくれている。
「何かね、私は緊張してないな。迎え入れる側だからかもしれないけど。でもね、言いたくても言えないこともたっぷりある。だから、──自然と無口になっちゃうかも」
そう言っている彼女は自然な笑顔で、言っていることが本当だと裏付けている。
「言いたいことはこの際、全部言ってもいいんじゃないか?」
「ダメダメ、だって純真華麗な乙女だもん」
自分で言うのか? それより
「ということは、純真華麗ではないことを考えてるってことだよな?」
「──い、今の取り消し!」
彼女は顔を真っ赤にした。さて、何を考えていたのやら。
***
夕食が出来上がるまでに、彼女の父親も帰ってきた。僕が今日泊まることを伝えても彼は
「そうか、ならゆっくりくつろぎなよ」
と言うだけで、拍子抜けしてしまった。そして四人で食卓を囲み、ちょうどいい量の晩御飯を頂いた。
急いでコンビニへ行き替えの下着を調達した後お風呂も入れされてもらい、寝間着代わりに学校から持ってきた体操服を着る。そこまではいいがさてどこで寝るかということになった。あろうことか
「私の部屋で寝てもらう!」
と彼女が主張すると、さすがに父親は表情を曇らせたが、それでも結局は通ってしまう。確かに、「気持ち悪いくらい」彼女を気遣っている。
彼女の部屋は暖色系の壁紙が張られたカーペット敷き。ベッドもあったがもちろん彼女用で、僕は客間の方から敷布団を運んできた。だが、
「え、一緒にベッドで寝ないの?」
と、当然のように言う。
「いくら両親が甘いとはいえ、一応一線は維持しておかないと。そもそも付き合ってないんだし」
正論のはずだ。傍目にはカップルに見えても、付き合う「約束」はしていない。
「ふうん?」
すると突然彼女は僕の方に近付き、正面から抱き着いてきて、ちゅっ、と僕の唇にキスをする。
「これでいい?」
「……まあ、いいけど」
「うわー、照れてるー」
そう言う彼女の頬も、赤く染まっていたが。
そんなことをしているうちに夜も更けたので、僕達は明かりを消し寝ることにした。
「本当に、ベッドじゃなくていいの? 敷き布団って寝慣れてないとキツいらしいよ?」
なおも彼女は誘っていたが(語弊はない)やんわり断り、
「おやすみ」
と言って布団に潜り込む。
それから数分後。
「捕まえたっ」
「……何やってるんだか」
彼女は布団の上から静かに抱き着いてきていた。
「敷き布団は寒いと思って」
「この光景を見られる方が冷や汗モノだけどな」
「食べられてる訳じゃないから大丈夫」
「『純真華麗な乙女』は『食べられた』とか言わない」
「もう×××××くんのカノジョなのです」
「……そうですか」
まあ色んな意味で、暖かかった。
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