第2話 金剛抜折羅1
放課後。紅は抜折羅を連れて宝杖学院の案内をしていた。
「――このフロアの東側が物理室と地学室。その下の三階は生物室と化学室ね。二階は進路室と生徒会室。あとは――」
高等部のある西棟の教室をざっと説明しながら移動をする。
紅の説明に抜折羅は相槌を打つ程度で言葉数は少ない。雑談も特になし。思い返せば、休み時間にクラスメイト達に質問攻めにされていた返事はとても簡潔で、元々口数が少ない人なのかも知れない。
「……今日は付き合わせて悪かった。予定、あったんだろう?」
何か説明に不備はないかと黙ったところで、急に抜折羅が謝ってきた。
「え、あー、別にいいのよ。気にしないで」
そんなに表情に出ていただろうか、と思って紅は反省する。気分を害したに違いない。
笑顔を作って対応すると、彼は眉根をわずかに寄せた。これは困っている表情なのだろうか。
「転入前に施設の位置は把握している。だから、案内はいらないんだ」
その告白にポカーンとしてしまい、紅は立ち止まる。階段の踊り場、三階と二階とを繋ぐ場所。部活をしに生徒が移動したあとで、周囲の人間は疎らだ。
「先生から言われた手前、そういうポーズは必要だろう。仕事を放棄したとなれば後でいわれのない文句をつけられかねないからな。適当な頃合いをみて、切り上げてくれ」
「だったら、最初から『用事があるから、今日は遠慮します』って断れば良かったんじゃ……」
紅が言ってやると、抜折羅は小さく唸った。何か悪いことでも言ってしまったのだろうか。
「それは、だな……二人きりになって様子を見たかったというか、その……」
「はい?」
歯切れの悪い説明である。顔を窓の方に向け、言いにくいらしく口ごもる。
二人きりになりたかったって、どういうこと?
もう一言を――と口を開きかけた、そのときだった。
「危ない!」
抱きつかれた、わけではない。
勢い良く押し倒すように抱きつかれて、紅の身体は宙に浮く。頭部は彼の右手で保護するように押さえられ、彼の左手はしっかりと腰に巻き付けられる。状況判断をしている間に、窓ガラスが砕ける甲高い音が階段に、廊下に響き渡った。
「ひゃうっ⁉︎」
身体が飛んで行った先は女子トイレの中。扉を押し開け、床へと強かに身体を打ち付けたはずだが、思いのほか痛くはない。咄嗟に抜折羅が庇ってくれたからだろう。
「大丈夫か? 怪我がないと良いのだが」
紅のどっしりとした胸に埋めていた頭を起こした抜折羅が、神妙な顔で問い掛ける。よく見ると――。
「金剛くんこそ、大丈夫? 鼻血、出てるんだけど」
鼻を打ったのかもしれない。ハンカチを取り出して差し出そうとすると、彼は顔を真っ赤にして紅の上から退いた。そして、几帳面に折り畳まれた自身のハンカチを取り出して、鼻を拭く。
「こ、これは気にするな。と、とにかく、け、怪我はないのか?」
動揺している。こんなにあからさまに狼狽えている人はお目にかかったことがない。
「えぇ。あなたが守ってくれたおかげで」
ハンカチをポケットにしまったところで、彼はすっと自然に手を差し出した。男の子らしい大きな手を借りて、紅は立ち上がる。
「でも、何があったの?」
女子トイレのドアの外、踊り場の部分には粉々になったガラスが四散している。上りの階段の下に野球のボールが転がっているのに気付く。
「どうやら、ボールが窓を割ったようだな」
抜折羅はボールを拾うことなく近付いて観察し、割れた窓を見る。その先は梅雨らしからぬ晴天が広がっていた。
「嘘。校庭からはだいぶ離れているのに、なんで?」
校庭と校舎の間には体育館と同じくらいの面積を持つ池が広がっている。そこを超えて校舎に飛んで来たのだとは考えにくい。
「さぁな」
俺に言われても、と言いたげに抜折羅は肩を小さく竦める。
やがて騒ぎを聞きつけたらしい生徒が集まって来た。誰かが呼んだらしい教諭の姿もある。
「俺が状況説明をするから、君は先に帰れ。また何かあるといけないし」
「え?」
耳元で告げられた「何かあるといけない」という台詞の意味がわからない。
「ほら、話長くなるから、行け」
「でも」
ここから追い出そうとしているようにしか感じられないが、何故そんなことをする必要があるのだろう。
困惑していると、抜折羅はやって来た教諭に率先して歩み寄る。
「あの、先生。彼女、避けたときに足を捻ったみたいなんで、保健室に案内してやってくれませんか?」
「あ、じゃあ僕が連れて行くよ!」
二階にできた人集りの中から聞き覚えのある声がした。
周囲がざわめく中、姿を現したのは長めの銀髪が目立つ少年。一見線が細くて、顔立ちも中性的なところから女性に間違われることも多い、その美少年の名は
「お願いします」
「了解。――んじゃ、しっかり掴まっててね」
抜折羅が告げると、遊輝はさらっと紅を横抱きにした。この細腕からどうしてそんな力が出るのだろう。
「え、あのっ⁉︎」
この体勢が恥ずかしすぎて、顔から火が出てしまいそうだ。たくさんの人の目がある中でお姫様抱っこで退場させられることなど、この先きっとあるわけがない。しかも、抱きかかえてくれた相手は学院内のアイドルなのだから。
状況に飲まれてしまい、「怪我なんてしていない」と弁解することができないまま、紅は保健室に運ばれたのだった。
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