第1話 火群紅
六月第二週の月曜日、朝。
ホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴り響く中、紅は後ろのドアをそっと開けて教室に滑り込んだ。
セーフ……。
まだ担任教諭の姿はない。厳しい担任教諭のことだ、チャイムが鳴っているところで入室したと知れば遅刻扱いにされることもおおいにあり得る。
「おはようございます、紅ちゃん。今日はどうされたのですか?」
自分の席にたどり着くなり隣の席の親友、
「もう散々よ。目の前で人身事故なんだもん……。電車止まるものだから、バスで来たわ」
一歩間違えば自分も巻き込まれていたかもしれない至近距離。思い出せばゾッとする。
「顔、青いですよ。保健室で休んでも良いのでは?」
親友の心配顔が目に入り、紅は努めて笑顔を作る。
「大丈夫大丈夫。バス降りて走って来たから、貧血起こしたのかも」
「元陸上部の短距離選手が言うセリフ?」
「朝食を食べ損ねてしまったのもあるからね」
目覚まし時計が止まっていた
「おはようございます」
担任教諭が入って来ている。挨拶とともに号令がかかり、一同が起立して挨拶をする。いつもの変わらぬ日常。しかし、そこでちょっとした違いがあった。
「今日は皆さんと一緒に勉強する新しい仲間を紹介します!」
妙齢の明るい女性教諭はそう告げるとドアを見た。開けっ放しになっていたドアの外に、一人の少年が立っている。
わぁ……。
クラスの空気が一瞬で華やいだ。
癖で跳ねた漆黒の髪、長めの前髪から覗く意志の強そうな瞳。一方で童顔なので、キツイ印象にはならず、そこがむしろ魅力的に感じられる。背は高めで、スポーツをしているか武道の心得がありそうながっしりとした体格だ。緊張しているのか、表情が強張っているように見えた。
「初めまして。
教室に入ると、少しぶっきらぼうな口調で転入生は自己紹介をする。頭を下げて、上げる――と、何故か目が合ったような気がした。
こっちを見た? 何で?
「金剛くんはご両親のお仕事の都合でこんな中途半端な時季に転入することになったそうなの。今までワシントンにいたんですって」
担任教諭がざっくりと転入の経緯を語っているが、その間の彼は無表情で、でもどこか不思議な魅力を感じさせる雰囲気を纏って立っていた。
帰国子女ってことかぁ。やっぱり英語は得意なのかな?
語学の成績が今ひとつ伸び悩んでいる紅としては、なんとなく距離を感じてしまう。
ここ、宝杖学院は中高一貫校で、この辺りではそこそこの進学校として有名な私立である。設備やカリキュラムが充実していることから、どこぞの御子息やら御息女も通う。親の仕事で海外を点々としていた帰国子女も珍しくはない。だが、そういうところが普通の家庭で育ってきた紅にはしんどく思うこともある、と言うだけのことだ。
「――では、火群さん。今日の放課後、彼を案内してあげてくださいね」
「はいっ⁉︎」
急に自分の名字を呼ばれて妙な声をあげてしまう。周りはクスクス笑っているが、転入生――抜折羅は紅を見ただけで表情を変えなかった。
「なんであたしなんですか⁉︎」
「最後に教室に入ったのがあなただからです。それに座席も前後になるのですから、良いでしょう?」
確かに先週、担任教諭の指示で机を運び入れていた。窓際の一番後ろの席――つまり今の紅の席の後ろが空いている。
「……わかりました」
言い返す言葉が浮かばなくて、紅は渋々頷く。担任教諭は満足げに頷いた。
「じゃあ、席について」
言われると素直に抜折羅は紅の後ろの席を目指して歩いてくる。
「よろしく、火群さん」
すれ違い様にそう挨拶し、軽く右肩を叩いた。想定外の馴れ馴れしいボディタッチに驚くも、紅は一応の笑顔を作ってみせる。
「よろしくね、金剛くん」
今日は楽しみにしている美術部の活動日なのに厄日だわ、と思ったことも表情に出さずに隠すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます