Story1「あの日の私」

 取り込んだ洗濯物は、おひさまの香りがした。抱え込んでいる衣服は、急ぐように終わりを迎えている夏をいっぱいに吸い込んでいるのか、いつもよりも暖かくてついつい顔を近づけて笑顔になってしまう。

 開け放たれた窓の向こうで、微かに虫の鳴き声と子供たちの声が聞こえる。

 時間に身を委ねることが辛くなるのは、きっと今が幸せだから。その一瞬、一瞬を大切にすることを、私は彼に学んだのだから。

「りつ・・・」

 部屋に入って名前を呼びかけたところで、テーブルに突っ伏してすやすやと眠る彼の姿を見つけた。柔らかな風が頬をなぞって、早足に駆けて行く。

 私はそっと、洗濯物にあった暖かいタオルを彼の背中に掛けて、その横顔を眺めた。

 初めて見た時から変わらない、優しい笑顔を浮かべている。本当は不器用で、変なところで面白いなんて、こんなに静かな寝顔からは分からないから、なんだかおかしくなる。

「ふふっ」

 思わず笑いを漏らすと、突っ伏していた律也が微かに動き出して、ゆっくりと目を開けた。

「・・・・・・優芽」

「あ、起こしちゃった?」

 小さな声で聞くと、律也は眠たそうな目で笑って軽く姿勢を正して、肩に掛かるタオルに触れた。

「暖かいね、これ」

「おひさまのおかげだよ」

「ゆめを見ていたんだ」

「へぇ。どんな?」

「優芽」

 次の瞬間、唐突に律也が私の手を強く引いた。驚いて膝をついてしまう。

 繋いでいた両手が離れて、暖かな衣服たちがゆっくりと床に舞い降りる。

 辺りがキラキラとオレンジ色に照らされた衣服とほのかな洗剤の香りに包まれて、そんな中、私は律也に手を引かれたまま、彼の手のひらのなかでそっと息を潜めていた。

「初めて‘あまいゆめ’を見た日のこと」

 律也が懐かしそうに、楽しそうに私を見て話した。繋がれた両手が日に照らされて、いつの日かの思い出のように、テーブルに長い影を作り出している。

 懐かしい思い出に、私の頬も自然と緩んでしまう。

「私も覚えてるよ。その日、律也が――」

 待って。そう、律也が少し焦った声で私の話を遮った。

 律也が私の話を遮ったのは、出逢ってから今日までの間、これで二回目。

「優芽、前と同じようには言えないけれど、でも」

 真っ直ぐとした眼差しが、私の瞳を射抜くようだった。

 私はそっと緊張した。長い、長いその一瞬を、彼の瞳に縋るように見つめ続けた。

「うん、うん・・・」

 律也はその焦点を私の瞳の中に入れたまま。

 急いで話すこともなく、目を泳がせたりしない、それでもほんの少し、手を通して伝わる体温がいつもより、熱っぽい。

 いつもなら、面白くて笑ってしまう私も、今は余裕がない。

 その言葉を聞く前に、フライングして泣きたくはない――。

「・・・ずっと、一緒にいよう」

 時間が、風と共にゆっくり、ゆっくりと流れた。

 贅沢な時間の中で、涙が頬を伝うのが分かった。

 前は、笑いながら聞いていたのになぁ。だって、律也、やっぱりおかしくて、でも嬉しくて、どうしたらいいか、分からないんだもん。

「うん、うん。これまで、ずぅっと一緒にいたもんね」

 だから私は、律也に悪戯っぽく笑ってみせる。涙を拭いながら、

「これからも、ずぅっと、一緒にいようね」

 嬉しいんだって、暖かくて、時を止めてしまいたいんだって、絶望の淵でまた、首を傾げて微笑んだ。

「優芽、前よりも泣き上戸になった?」

 律也が少しからかうような笑顔で優しく私の頬を撫でる。

「だって、律也、変なところで面白いんだもん」

 笑い過ぎの涙じゃないって、分かってるくせに。

 律也も、私も、小さなこのせかいの隅で、素直じゃない鳴き声を響かせ合っている。

「ふふっ」

「そんなに、おかしかった?」

「うん、やっぱり、変なところで面白い」

「今日は、二回目は言わないからね」

 こんなやりとりが、何よりも大切なんて。お互い分かっていても、言葉で言わない。

 なんだか、私も素直じゃないなぁ、と心の中で呟いた。





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