第4話
イェズラムの遣いの者は、居心地悪そうに族長の居室まで付き従ってきた。
リューズはイェズラムがこの若者を選んで寄越した理由を、重々承知していた。
彼は優秀な治癒者で、まだ二十歳を超えたばかりの年頃だが、戦場でも華々しい活躍を示していたし、リューズは彼に個人的な借りもあった。
敵の虜囚となっていた妻子を、半死半生で救い出した折、その治療をしたのが、この若者だった。名はエル・ジェレフだ。頼み込んだわけではなく、リューズの窮状を察して、彼が勝手にやったことだったが、それだけに恩は大きかった。
「時間がないので、話は着替えながらだ。俺がいかねば皆食事にありつけない。一族を餓死させるわけにはいかないからな」
せかせかと慌ただしい侍従たちに命じて、リューズは着替えの衣装をとりにやらせた。女官たちが、やたらと何着も華美な長衣(ジュラバ)を持ってあらわれ、選べというように示すので、リューズは苛立って癇癪を起こしそうになった。
そんなものは、どれでもよかった。リューズは身につけるものに、全く興味がなかったからだ。
しかし族長たるもの、それしきのことで怒鳴るわけにもいかなかった。宮廷に納められる族長の衣装は、部族の職人が丹精したもので、場合によっては、その一着に何者かの生涯がかけられているかもしれないのだ。
リューズは選んだふりをして、適当な一着をさも気に入ったふうに指さした。
宮廷というのは、馬鹿げた場所だった。
説得にやってきたのがジェレフなら、リューズも邪険に追い払えはしないだろうと、イェズラムは読んだのだろう。腹立たしいが、その通りだった。
もしかすると、あの道をこの時刻にリューズが通ることを見越して、わざわざこの若者を連れ、たまたま通ったような顔をして、リューズを引き留めたのかもしれなかった。そこまでして朝儀に参列したくないのかと、向かっ腹が立つ。
なぜイェズラムが正式な場での面会を嫌うのか、リューズは分かっていた。あの男はリューズに跪くのがいやなのだ。宮廷では、廷臣は族長を跪拝しなければならない。
時代を追うごとに大仰になっていた叩頭礼を、リューズは即位後にかなり簡略化したが、それでも臣下は恭順を示すため、膝をついてリューズに頭を下げねばならない。竜の涙たちは厳密にはリューズの臣下ではなかったが、リューズは彼らにも略式の叩頭を要求していた。どちらが上か、それを示す必要があったからだ。
イェズラムはリューズが幼髪を垂らした、兄たちのおまけのような、取るに足らない王族のひとりだった頃からの幼馴染みで、長い間、宮廷での序列は、英雄譚(ダージ)を持った竜の涙である彼のほうが上だった。向こうにすれば、俺がお前を族長にしてやったのだから、もっと敬えとでも思っているのだろう。
「あの娘はなんなのだ、エル・ジェレフ」
口火を切りかねている若者に、リューズは話すきっかけを与えてやった。
「竜の涙です。居住区で火災があり、あの娘が火元でした。頭の中のほうに石があって、これまで見いだされなかったようで。火炎を使いますが、力の制御が上手くできません」
女官たちが猛烈な手際で着替えさせていく族長の姿を、エル・ジェレフは話しながら、どこか興味深そうに見ていた。それはそれは可笑しいだろう。宮廷でのリューズは、この女たちの着せ替え人形のようなものだった。
「火災を起こした時に、家族も含めて近隣の者をすべて焼き殺したようで、娘は参っています。透視者の見立てでは、娘の石は内部に向かって育っていて、状況は思わしくありません。エル・イェズラムは娘に火炎の制御を教えようとしていますが」
煙管に火をつけさせていたイェズラムのことを、リューズは思い出した。あれは訓練か。
竜の涙たちは、魔法を使うごとに石が成長するので、その力を浪費することは避けねばならなかったが、それでも実際に使わなければ、制御法は身に付かない。
子供時代の育ちぶりを見て、力を御しきれそうにない者は、早いうちに命をとりあげられる習いだった。彼らの強大な魔力が暴走すると、部族に大きな被害を与えるからだ。惨い仕打ちだったが、それは慣習だった。彼らは守られるためではなく、監視されるために、ここへ来ている。
「娘は墓所に名前を記されていません。名前が必要です、族長」
言いにくい話を、押しつけられたようだ。エル・ジェレフは淡々と説明していたが、内心複雑そうだった。彼が示唆しているのは、娘が結局、竜の涙としては認められずに、近々葬られる可能性だった。
「なぜ朝儀に連れてこられないのだ。赤ん坊でも儀式のために出廷するのだぞ」
「カナは我々のことは仲間と認めたようですが、石のない者を警戒しています。一人にすると、誰彼かまわず攻撃しようとするので、公の場には……」
廊下で行き会った時の娘の目つきを、リューズは思い返した。
朝儀の広間を火の海にしかねない娘を、王族全員も居並ぶ状況で、玉座に近づけることを考えると、それは無理だと言うイェズラムの言い分も納得がいった。
「先程のように、お前たちが付き添ってもいい。エル・イェズラムに後見させろ」
「はい……しかし……」
ジェレフはやむを得ず頷いただけというふうに、渋々返事している。
この宮廷で、リューズに真っ向から逆らえる者は稀だった。族長が白と言えば白、黒と言えば黒だというのが、この部族の習わしだ。強い独裁が、この宮廷では古から許されており、リューズは即位した折りに、自分に反逆する者はすべて粛正した。そうしなければ治世が立ちゆかなかったからだ。
敵の軍勢が版図深くにまで侵略しており、あわやタンジールに迫ろうかというときに、先代は病床にあり逃げるように死のうとしていた。兄弟たちは愚かに相争うのに忙しく、誰かが受け継ぐ前に、玉座が消え失せるかもしれない心配があった。
とにかく父はリューズを指名し、族長冠を引き渡した。意外な人選に皆驚いたが、いつまでも意外がっている宮廷をそのままにはできなかった。反逆しようとする者からは命を奪い、服従する者だけを連れ行くしかない。シャンタル・メイヨウはこちらの兄弟げんかが終わるまで、おとなしく座って待っていてはくれないからだ。
その時代から、リューズは反逆する者を殺す族長なのだという印象が、宮廷には強く残されていた。実際には多くの意見を聞き入れ、反論する自由を皆に与えているはずだが、族長に異をとなえる者の顔色は、今もおしなべて優れない。
自分は敵にだけでなく、味方にとっても、残酷な男として知られているのかもしれなかった。
「エル・ジェレフ。そなたが返事をする必要はない。イェズラムに答えさせろ」
髪を結うために座って欲しいと女官が言うので、リューズは大人しく用意された腰掛けに座った。
ジェレフがひどく安堵したようだったので、リューズはため息をついた。
族長位と対等とまで言われる地位を与えられた竜の涙たちでさえ、即位後に長じた者たちは、リューズを畏れ、崇めていた。彼らが新しい族長に心酔できるよう謀ったのは自分だが、実際にそうなると、どこか重荷だった。名君を演じる自分の嘘が、勝手にどこまでも一人歩きしているようで。
「族長」
部屋を去りかけていたジェレフが、迷ったすえに話を向けてきた。リューズは視線だけで彼のほうを振り向いた。髪結いの女が、頭を動かすことを許さなかったせいだ。
「人質の件ですが。スィグル・レイラス殿下をお遣りになると聞きました」
「誰から聞いたのだ」
誰だか分かり切っていたが、リューズは思わず早口に聞き返していた。自分の耳で聞いても、それは質問ではなく叱責だった。
「エル・イェズラムです」
「おしゃべりなやつだ」
リューズは小声で吐き捨てた。イェズラムが噂を垂れ流している意図は分かり切っている。彼は籤引きでの人選を宮廷中に漏らして、それを既成事実にしようとしているのだ。そうでもなければ、本来は石のように口の堅い男だった。
「申し訳ありません……でも、そのことでお話が」
口ごもるエル・ジェレフの淡い紫の目が、ちらりと部屋の女官たちを見回した。人払いしてほしいらしい。
リューズが、時間はあるかという意味で、予定を管理している侍従に目をやると、視線を受けた彼は、これ以上遅れるなら、いっそ殺してくれというような顔をした。リューズは天井を見て、顔をしかめた。
「そなたたちは、しばらく退出しろ。ジェレフと話がある」
そう命じながら、リューズは侍従が哀れに思えてきた。彼が大人しく服従して、すごすごと部屋から退がっていったからだ。女官たちも、あらかた仕上がった族長の着替えをそのままにして、音もなく引き上げていった。
「伝承では、幼いうちに双子を引き離すのは不吉だと」
話の糸口として、ジェレフは部族の者なら誰でも知っている言い伝えを話した。彼が言っているのが、スィグルとスフィルのことであるのは明白だった。ふたりの息子はエゼキエラがいちどきに産み落とした双子で、他の例に漏れず、赤ん坊のころから常に一緒にいた。
「やむをえない」
リューズは答えた。
人質に差し出すのは一人だけだ。双子ではない息子だけから選ぶというのでは、不公平だった。
傍目には、引き離される双子は悲劇なのかもしれないが、自分自身が双子ではないリューズは、そういう者たちの気分は理解しかねた。仲のいい兄弟を引き裂くのは双子でなくても不幸なことだし、それが双子であれば不吉だというのは、迷信だ。
「スィグルがいなくなれば、スフィルは死にます」
そう断言するジェレフに、リューズはあぜんとした。彼がどういう意味で言っているのか、とっさには判断しかねたからだ。
「なぜ、そう思うのだ」
「スフィルはスィグルの手からでないと、食事をとりません」
「そんなものは、もう治ったはずだ」
スフィルはリューズにとって、いちばん末の息子だった。母のエゼキエラに似て、物静かで気弱な風情のある子だ。リューズはいつも、ひ弱そうなスフィルのことを心配し、守り役たちには強く育てるよう命じていた。
虜囚の身から救い出され、母親同様、スフィルの心の安定が失われているという侍医たちに、なんとしても治せと命じたはずだ。あれから一年も過ぎている。生ける屍のようなのは、エゼキエラだけで十分だった。
弟はもう治ったと、兄のほうは言っていた。まだ本調子でなく、広間に列席するのは遠慮しているが、そのうち一緒に連れてくると、スィグルはそう言っていた。
あの子は父親に嘘をついたのだ。
「治っていません」
戸惑ったように、ジェレフの声は小さかった。
「お会いになったことは」
訪ねるたび、スフィルは深く眠っていた。昼となく夜となく。
そういえば、おかしかった。
よく眠っているなと安易に納得したものだったが、なぜいつも寝てばかりいたのか。その傍らにいたスィグルの機嫌がよく、いつもにこやかだったので、あれの口から近況を聞き、それを鵜呑みにしていた。
リューズは腰掛けから立ち上がった。
「スィグルは広間にいるのだろうな」
尋ねると、ジェレフはどこか表情を曇らせた。
「おそらく」
「スィグル・レイラスはお前にも嘘をつくか」
リューズはエル・ジェレフに確かめた。
あの子が嘘をつくのは、自分にだけで、卑怯だからではない。父親を喜ばせたかったのだ。そう思いたかった。
ジェレフはほんの少しの間、言いよどみ、そして口を開いた。
「殿下は、嘘をついているわけではなく、願望を口にしているだけです。それがあの子の心の支えなのです」
「民を支配しようという者が、己に都合のいい嘘に浸ろうというのか」
「スィグルはまだ十三才です、族長」
「王族は、産み落とされた瞬間から支配する責務を負っている」
それより先の反論を、ジェレフはしなかった。それでも彼が納得したわけではないことを、リューズは理解していた。
それは無理だ、と、自分もしれっと言うべきだろうか。イェズラムがあの女児をかばっているように。我が子は幼く、傷ついているので、人質にやるのは無理だ、と。
他の子を選ぶのも無理だ。みなまだ幼く、虚弱で、敵地に遣られると想像しただけで母親の腕に逃げ込もうとするような、意気地のないものばかりだ。だからどうか、同盟は人質なしでやってくれ。他のことなら何でもするから、我が子を傷つけないでくれ。
深く息を吸って、リューズは支配者らしい態度を保とうとした。
こちらを畏れているらしいジェレフの目を見れば、自分がそれらしい顔をしていることは想像がついた。
「息子に会いに行ってみることにする」
僅かに裾を引いた長衣(ジュラバ)を重く感じながら、リューズは歩き出した。衣装は芸術ともいえる出来映えで、こんなものを着て歩く者がいるのが信じられないほどだった。
この服を作ったやつは馬鹿だ。自分が着て歩いてみたことがあるのか。華美なばかりで、ろくに歩くこともできない。
ずかずかと大股に部屋を出てきたリューズを見て、待ち受けていた侍従たちが慌てて付き従おうとした。
「ついてくるな」
面と向かって、そう命じると、侍従たちは捻子(ねじ)のきれた人形のように、その場に立ちすくんだ。
「どちらへ……、先触れを」
やっとのことで問いかけたのだろう、振り返ると侍従は明らかに震えていた。
リューズはこらえずに怒鳴った。
「必要ない。さっさと行って、広間にいる連中に飯を食わせろ。俺より先に食ったぐらいで、首を刎ねたりしないと言ってやれ」
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