第19話 ー千客万来の章11- 禍福はあざなえる縄の如し

 佐久間信盛さくまのぶもりと木下秀長は、中村に向かって、歩を進めていた。中村は津島から歩きで2時間ほどの距離である。信盛のぶもりは心がざわめく。早く、早く着けと心が急く。


「佐久間さま。佐久間さまは、小春さんとはどういった経緯で知り合ったので?」


「ああ?合婚ごうこんで同じ席になっただけだ」


 ええ、と秀長は疑問の声をあげる。


「たったそれだけで、こんな夜更けに尋ねるというのですか?」


「そうだ、たったそれだけの接点だ」


 だが、と信盛のぶもりは言う


「ほうっておけねえと思っちまった。だから向かうんだ」


 やれやれと言った表情を浮かべる秀長をよそに、信盛のぶもりは歩く速度をあげていく。



 ようやく、中村の入り口にやってきた2人は、まず、秀吉、秀長の実家に立ち寄った。


「かあちゃん、元気しとったか?」


「あれまー。秀長、どうしたんのー?そっちこそ、秀吉のあと追って、家を飛び出しといて。で、秀吉のもとで働いとるんか?」


「まあ、そういったところだ。で、かあちゃん、今日は俺の話じゃなくて、織田家のおえらいさんがきとるんじゃ」


 秀長がそういうと、家の中に信盛のぶもりを招き入れた。信盛のぶもりは秀長の母親のなかに


「秀長のお母さん、はじめまして。佐久間信盛さくまのぶもりともうす。息子さんには無理いって、ここまで連れてきてもらった」


「あれまー。これはこれは。今、お茶でもいれますので、汚いとこですがどうぞ、中へ、中へ」


「いえ、急いでいるのでこのままで。ところでお母さん。この村に小春という女性は知りませんか?」


「小春、小春。ああ、あの小春ちゃんねー。今年の春に酒屋に嫁いだ娘だわさ」


 だどもと、なかは続ける


「1週間ほど前に嫁の小春ちゃんが、家からとびだしたとかなんかで、そらもうえらい騒いでたもんだわさ」


 1週間前と言えば、津島で合婚ごうこん参加者の受付が執り行われていたときだ。


「小春を捕まえたものには賞金を出すとまで、酒屋の婿夫婦が言い出しおってからに、大変だっただわさ」


「その小春のやつが、この村に戻ったらしくて、それで探しにきたんです」


 信盛のぶもりはここに来た理由を言う


「あれまー。それは大変だあ。小春ちゃん、何事もなければいいけど」


「すいません、お母さん。酒屋の詳しい場所を教えてください」


「それはいいだども、佐久間さま、あんた、どうする気だわさ」


 信盛のぶもりは辟易する。これで何度目になるだろう、どうするのかという周りからの疑問。そして未だ、はっきりとした答えを出せない自分に辟易する。


「わからねえ。でも、とにかく今は動かないとまずい気がする。小春の身になにかありそうでな」


 なかは、そうかそうかとうなずき


「ここから大通りに出て、那古野なごやに向かって東に300メートルほど行ったところに、その酒屋があるだわさ」


 ただしと、なかは付け加える


「行くなら覚悟せえ、佐久間さま。ひと一人の人生を変えようとしてるだわさ、あなたさまは」


 秀長はたまらず、口を挟む


「母ちゃん、そこまで言わなくてもだな」


「いいや、言わせてけんろ。小春ちゃんは、家に戻ったなら、あの酒屋の婿夫婦の性格じゃ。折檻されてるかもしれん」


 なかは続ける


「その場に佐久間さまは居合わせるかもしれん。そのとき、あなた様はどうなさるのじゃ」


 折檻されている。その言葉を聞いて、信盛のぶもりの心に怒りの炎が立ち上がってくるのがわかる。ああ、そうか、そうなのか、俺は小春のことを


「連れて帰る」


「連れて帰ってどうなさるのじゃ」


「連れて帰って、俺のものにする。小春をいじめるやつは、俺が許さねえ」


 その言葉を聞き、なかは、うんうんと頷き、次は秀長に言う


「秀長。あんた、いっしょについて行ってやりんさい」


 ええっと秀長は驚き、うーんと唸り、少し間を置き


「わかった、母ちゃん。佐久間さまの身は俺が守る」


 なかは、にこっと笑い、二人を送り出す。


「いってくるだわさ、馬鹿ども」



 くだんの酒屋の前に、信盛のぶもりと秀長はたどり着いた。秀長は、酒屋の勝手口に回り、たのもおと声を張り上げ、戸を叩く。丁稚が戸を開き、こんな夜分になに用かと聞く


「ここに小春さんがもどってきてるはずだ。会わせてくれ」


 丁稚は怪訝な顔をして、店の大旦那に聞いてくるから少しまってくれと言い、戸を閉めた。


 しばらくすると、家の奥からどすんどすんと言った音が聞こえ、大旦那と思わしき人物が閉められた戸の向こうから


「なんだ、お前ら。うちの小春になにかようか。帰れ、帰れ!人を呼ぶぞ!」


 一方的にまくし立ててきて、まるで話が通じる様子はない。


「今、うちは、逃げていった息子の嫁に、教育をほどこしてるんだ。お前ら、邪魔だ、とっとと帰れ!」


 信盛のぶもりは頭のなかで緒がきれる音が聞こえた気がした。勝手口の戸を蹴破り、中にはいり、酒屋の大旦那の左肩に、右手で手刀を叩きこみ、丁稚の静止も聞かずに強引に、家の中に入り込んだ。


 土間で、倒れ込んだ小春を見つけた。小春はずぶぬれであり、腕には棒かなにかで叩かれたかのような、あざができあがっている。


「おい、しっかりしろ、小春!生きてるか?」


「ああ?信盛のぶもり、なんであんたがここに」


「もう大丈夫だ、小春。こんなところから、連れ出してやるからな!」


 激しい折檻だったためか、小春の意識はもうろうとしている。さらに怒りが信盛のぶもりに込み上がってくる。


「てめえら、よくも小春にこんなことをしやがって!」


 信盛のぶもりは怒りでどうにかなりそうだった。だが、秀長が信盛のぶもりを一喝する


「佐久間さま!殺しはだめです、小春さんの立場が悪くなる!」


 ぐっと信盛のぶもりは怒りを腹に収めていく。可能ならば、この家のもの、全員を斬り裂いてやりたい。


「逃げましょう、佐久間さま!殿しんがりは、わたしが務めます」


 信盛のぶもりは、いまだ意識がはっきりしない小春を左手で抱き上げ、そこらにあったクワを手にとって、大旦那や丁稚たちを威嚇する。信盛のぶもりのやや前方には、長さ1メートル半の竹竿を手にした秀長が、信盛のぶもりたち2人を守る位置に立つ。


 じりじりと、信盛のぶもりたち3人は、後ずさりし、勝手口までくると、秀長は右横に積まれた籠を2,3個掴み、床にばらまいた。そして一気に外へ走り出した。


 追って、外に飛び出した大旦那は周辺に響き渡る声を上げ


「嫁泥棒だ!みんな捕まえてくれ、報奨金をだすぞお!」


「ちっ、あの野郎、もう一発、殴っておけばよかったぜ」


 信盛のぶもりは、吐き捨てるように言う。



 3人は、村を飛び出し、稲刈りの終わった田園地帯をひたはしっていた。中秋の名月が3人を煌々と照らしていた。今宵は満月。人間たちの奥深くに眠る遺伝子を呼び覚ますには頃合いだったのかもしれない。追手たちは、しつこく追いかけてきているようだった。


「こっちだ!急げ、追いつかれちまうぞ!」


 信盛のぶもりが荒げた声で叫ぶ。対して小春は


「む、むり!も、もう走れない!」


「お前、こんなところで捕まっていいのか?運命なんてクソくらえって言ってたろ!」


「そうだけど、で、でも、もう足が」


 ちっと短く信盛のぶもりは舌打ちし、腰を落とし身をかがめ


「乗れ!おぶさってやる!」


「え、え、ええ!?い、いいの?わたし、そんなに軽くは…」


 小春は先ほどまで折檻されていたため、意識がどうもはっきりとしない。相手が信盛のぶもりなのに、つい声がうわずってしまう。


「こっちは毎日、俵かついで走ってんだ。女のひとり、どうってことはないぜ。ほら、急げ」


 小春はおずおずと、信盛のぶもりの背中に体重を預ける。頬の温度が少しあがり紅潮してくる。


「あ、ありがと。なんか色々、世話になっちゃって。でも、お前、いいのか?」


 信盛のぶもりは、へっとこぼし


「俺の心配より、自分の心配してな。それじゃ、いくぜ!」


 男2人、女1人の逃走劇は続く。行く先は津島だ。そこには信長がいる。そこまで逃げ切れば信長がなにか策を考えていてくれているはずだ。


 運命の歯車がまたひとつ、カチリと音を鳴らした気がする。信盛のぶもりは急ぐ。みんなが待つ、津島へ。

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