第20話 ー千客万来の章12- 神に祈れ

「あらあら、のぶもりもりったら、本当に連れてきちゃいましたかあ」


 信長は佐久間信盛さくまのぶもりの行動に、あっけにとられた。


「確かに先生、少し煽り気味でしたが、本当に人妻をさらってくるとは思いませんでした」


 信盛のぶもりは、小春を背負い、津島の合婚ごうこん会場まで戻ってきたのだ。小春は熱をだしており、着き次第、医務室に運び込んだ。医者が言うには、身体のところどころにあざはあるが、死に至るほどではないそうだ。ただし、これだけのあざ。日常的に暴力を振るわれていた可能性が強いという。


「しょうがねえだろ。状況が状況だったんだ。あのまま、あそこに置いておいたら、命に関わったかもしれねえ」


 信盛のぶもりは、信長に喰ってかかる


「それに決めたんだ」


「そうですか、やっと決めましたか」


 信長がやれやれ、やっとですかという顔をする。


「ああ、小春は俺が責任もって引き受ける」


 信盛のぶもりの意思は固かったのである。


「で、殿との、このあとのことなんだけど、なんか良い策ないか?小春があいつらから解放されるようになる、なにか」


 信盛のぶもりは、小春を連れてきたのはいいが、その後のことは何も考えてはいなかった。信長は、うーんと唸りながら


「ひとつ、手があります」


「お、まじか。どんな手だ?」


 信盛のぶもりは信長のほうへ身を乗り出す。


「神に祈ります」


「はあ?何言ってんだよ。こんな時に冗談か?」


「まあ、わたしに任せておきなさい。のぶもりもり、疲れたでしょう。とりあえず、今夜はもう休みなさい」


 でもよ、と言いかけ、信盛のぶもりは膝から崩れ落ちる。いくら健脚といえども、妙齢の女性を担いで、5キロメートル以上をひた走ってきたのだ、疲れないわけがない。


「くそっ。殿とのすまねえ。最後は殿とのに頼っちまって」


「いいのです。早く休みなさい。明日は忙しくなりそうですからね」


 信盛のぶもりは宿に戻り、休息をとることにした。まずは明日だ。明日、殿とのがなにかしら解決案を明示してくれる。重度の疲れのなか、布団に潜り込むと、そのまま、朝まで眠り込んでしまうのだった。



 明けて、9月20日 合婚ごうこんは6日目を迎え、いよいよ明日は合同結婚式だ。会場の4分の3の男女が花柄のわっぺんを胸元に身に着け、春の到来を喜んでいた。そして残された者たちは、最後の希望にすがるかのように


「もう俺たちには、あとがない!ここは誇りを捨てて、条件をさげるんだ!」


「胸がでかくなくてもいい。きれいじゃなくてもいい。家事全般できるだけでいいんだ!」


「眼鏡をかけていなくてもいい。一人称が僕。それだけでいい!」


「立てば芍薬しゃくやく、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。すいません、高望みしすぎました。僕とおしゃべりしてくれるだけで充分です!」


 佐々さっさ成政は、残りものの男性陣を横目で見ながら


「ん…。もう手遅れかな」


「なっちゃん!望みは捨てちゃだめなんだよ、最後まで戦ったものが勝利者なんだからね!」


 梅は、佐々さっさに説教をはじめた。佐々さっさは、梅の言葉に思い直し


「ん…。がんばれ。死ぬ気で」


 と言い直したのだった。そこに、山内一豊やまうちかずとよと千代が現れて、佐々さっさたちに挨拶をする


「やあ、佐々さっさ殿、梅殿、お久しぶり」


「みなさま、お久しぶりでーす。5日ぶりなのでーす」


「ん…。一豊かずとよ殿と、千代殿、おひさ。どうしてたの?」


「なっちゃん、駄目だよ。野暮なこと聞いちゃ!逢瀬を重ねてたにきまってるでしょお!」


 はははと、一豊かずとよは笑う。少し、頬がこけているが、元気なようだ。見ない間、よっぽど千代に振り回されていたのだろう。千代は一豊かずとよの元気を吸い取ったかのように、艶々している。


「ええ、5日間、たっぷりと、津島の町を堪能させていただきましたのでーす。一豊かずとよさんといっしょに」


「ん…。楽しんでるようでよかった」


 佐々さっさも、一豊かずとよと千代が仲良さげで、うれしい気分だ。それからしばらく後、滝川一益たきがわかずますこうも合流して、机を囲んでわいわいとお茶や、漬物を味わい、時間をすごした。そこに珍客が現れたのだった。



「わーい、佐々さっさくん、一豊かずとよくん、それに一益かずますくんじゃないですか。にわちゃんは、みなさんに会えてうれしいのです」


「げげ、丹羽にわっち、どうしたすか。いきなり現れて」


 一益かずますは、丹羽にわの最初のインパクトが強くて、こいつを危険人物扱いしている。


「えへへ。にわちゃんは、信長さまに呼ばれて、参上したのです」


 すごく嫌な予感がする。絶対、こいつ、なにかとんでもないことを考えついたにちがいない。


「あれれ?信長さまはどこなのですか?にわちゃんは困ったのです」


「ん…。信長さまなら、さっき、舞台のほうに向かって行った」


 佐々さっさが、舞台のほうを指さした。その舞台の壇上には、佐久間信盛さくまのぶもりと、もうひとり中年の男が縄に縛られ、正座をしている。ん…、なにがあったんだろう?


「あー、信長さまったら、もう、準備がおわったんですねえ。にわちゃんも驚きの早さなのです」


丹羽にわっち、一体これからなにが始まるすか?」


 それはと丹羽にわが言う


「それは、えんたーてぃめんとの花形、裁判からの即、刑執行のいべんとなのです」


 えんたーてぃめんととは、なんだろう、南蛮語なのかなと、ハテナマークを頭に浮かべる一益かずますであった


「えんたーてぃめんととは、人々を楽します娯楽という意味なのです。にわちゃんは、考えましたのです。信盛のぶもりさまの人妻さらいの罪を裁く、えんたーてぃめんとを」


「織田家、こわいすね。裁判は、えんたーてぃめんとなんすか」


 別に織田家に限ったことではない。戦後処理でのはりつけや、京の河原で晒し首など、裁判や処刑は、古今東西のエンターティメントのひとつだったのである。統治者は自分の正しさを証明するために、公明正大な裁判を民衆へのショーの一環として行ってきているのだ。


「で、信長っちは、あそこで何をやるんすか?丹羽にわっち」


「えーとですね。我が国古来から伝わる火起請ひぎしょうをします」


 火起請ひぎしょうとは、鉄の棒や斧を、あっつあつにこんがり焼き、裁判官がそれを手にして、熱さで落とせば有罪。落とさなければ無罪という裁判方法である。


「まった、えげつないのやるっすねえ」


 一益かずますは、裁判の内容に戦々恐々とした。でもですねと丹羽にわは言う


「にわちゃんは知っているのです。信長さまは昔、一度、火起請ひぎしょうで裁判官役を買ってでたことがあるのです」


 まじすかと思わず、一益かずますは唸った。



 壇上では、信長が火起請ひぎしょうを執り行っている。裁判官の信長は訴状を読み上げる


佐久間信盛さくまのぶもり、その方、中村の酒屋の嫁をかどわかしたのは誠ですか?」


「あちらの言い分通りなら、そうなんでしょう」


 信盛のぶもりは縛られながらも、悪態をつく


「だがよ。あのまま、小春を置いといたら、確実にこいつらに殺されてたさ。それでも、俺が悪ってなら、裁いてくれや」


「信長さま。騙されてはいけません。わたしたちは折檻なぞしておりません。どうせ、他人の嫁ほしさについた嘘なのでしょう」


 酒屋の大旦那は、こちらも縛られながら、言いたい放題言う。


 信長は、ふうと嘆息し


「では、これより火起請ひぎしょうを行う。ワシが熱さで斧を落とせば、佐久間信盛さくまのぶもりの有罪。佐久間信盛さくまのぶもりに重い処罰を与える」


 酒屋の大旦那はしめしめと思う


「ひるがえって、ワシが斧を落とさなければ、佐久間信盛さくまのぶもりは無罪とし、酒屋の大旦那が嘘をついているとして処罰を行う」


 斧は、たき火の上に置かれた網の上で、真っ赤になるまであっつあつに焼いてある。あんなもの手に持てるものなどいるわけがない。これで佐久間さくまの有罪が決まったようなものだ。大旦那はほくそ笑む。


「さあ、信長さま。はやく裁決を下してください」


 大旦那は余裕しゃくしゃくだ。信盛のぶもりは小さく舌打ちする。このまま、斧を持てば、殿とのは大やけど。そして俺は処罰を受ける。軽くて織田家および、尾張おわりから追い出されるであろう。火起請ひぎしょうによる裁可では、追放など、命を取られないだけ、まだましだ。


 たき火からパチッパチッと音がする。


 斧は持つ者すべてを焼くがごとく、業々ごうごうと真っ赤に変色している。


 火起請ひぎしょうとは、神に自分が正しいということを証明する儀式である。


 神に守られているものは、熱く焼けた斧だろうが、熱さを感じずに持つことができると言われている。


 信長は神を信じている。


 熱田神宮に座する神が、信長を守り、今川義元を討ち取らせたのだと。


 そして、再び、神は、正しい信長を守ってくれると信じている。


「いざ、参る」


 信長は、熱く焼けた斧の取っ手をがしっと掴み、その斧を天高く掲げ上げた。


「熱くないぞ!神は信長を支持した。よって、佐久間信盛さくまのぶもりは無罪!」


 おおおおと会場中が沸き立つ。


「嘘だ、そんなの嘘だ!」


 大旦那は泣き喚き散らす。


「酒屋の大旦那は嘘をついてるとし、有罪。火起請ひぎしょうにのっとり、死罪とする!」


 信長は、その泣き喚き散らす頭に向かって熱く焼けた斧を振り降ろした。

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