第5話 ー桶狭間の章 5- 城に帰るまでがいくさです

 前方の丘からえいえいと、おおと勝鬨かちどきが上がった。後方より見ていた信盛のぶもりも、つられて勝鬨かちどきをあげる


「えいえい、おおっ!えいえい、おおっ!」


 本当にやりやっがた、あの馬鹿。震える心と身体を抑えきれず、勝鬨かちどきをやめれない。大金星とはまさにこのことだ。手傷を負わすどころか首級くびをとりやがった。これで今川軍は瓦解する。あとは撤退するだけだ。信盛のぶもりは手勢300に本隊の撤退を援護するよう指示を飛ばす。


「さあ、出迎えてやれ、あの馬鹿どもを!」


 毛利新助は槍に、布で包んだ今川義元の首級くびを落とさぬようしっかりくくりつけ、帰路につこうとした。しかしまだ息のある義元近習が首を返せと襲い掛かってくる。完全に油断していた。せっかく首級くびをあげたのに命を落とせば意味がない。


「おっと。きみ、首級くびをとった瞬間が一番危ないのですよ?しっかりしてください」


 義元の近習きんじゅうは膝から崩れ落ちた。背中には素槍が突き刺さっている。その後ろにいるのは確か、信長さまだ。ハハァッと毛利新助は答え、頭を下げた。


「こんなところで礼は不要です。さあ撤退しますよ。急ぎなさい」


 信長さまが手を差し出してくれた。その手を取り、新助は立ち上がり、撤退の準備に取り掛かった。もう一度、槍にくくりつけた布をしっかり結び、槍を肩にかけ、駆け出した。その後ろ姿を見届けた信長は


「さて、ワシたちも帰路につきますか。河尻かわじりくん、利家としいえくん、佐々さっさくん。帰りますよ」


 ひとり忘れている気もするが時間がない。今川方は総崩れを起こしはじめたといえども、さきほどの近習きんじゅのように頑強に反攻してくるものもいるはずだ。時間をかければ、ミイラ取りがミイラになってしまう。皆、それぞれの手柄がわりに首級くびでは重いと、討ち倒した者の耳を削いで腰袋にいれた。


「まずは信盛のぶもり隊と合流します。そこからは中島、善照寺ぜんしょうじ熱田神宮あつたじんぐうを経由し、清州きよすへ戻ります。全軍出立!」



 信盛のぶもりは信長本隊を歓待した。


「おい、馬鹿!おまえ、ほんと馬鹿!やりやがったな、こんちくしょう!」


 ばんばんと信盛のぶもりは、信長の背中を叩きまくる


「ははは、痛いですよ、のぶもりもり。でも、手柄をあげれませんでしたね、きみ」


「そんなことはどうでもいいんだよ!今までただの馬鹿だとおもってたけど、大馬鹿だな、殿との!」


 さらに右腕を信長の首に回し、左手で兜を叩く。こんなにうれしいことは今までなかった。


「重いですよー。はなしてくださいー。はしゃぎ過ぎですー」


「おっと、すまねえ。で、秀吉の姿が見えないけど、どうしたんだ?やられちまったのか?」


 喜びから一転、残念な顔つきに信盛のぶもりは変わりつつあった。


「ああ!なにか忘れてるかと思ったら、彼です。彼。置いてきました」


 うおおおいと信盛のぶもりは信長の胸に右手の甲でがんっと叩いた。


「あいつ、猿だと思われて、見逃してもらえると思うッス!だから大丈夫ッスよ!」


 利家としいえはさらっとひどいことを言いのけた。信盛のぶもりは驚き顔で


「ねえ、きみたち、本当にまぶだち?ねえ、本当に?」


 がははと、河尻かわじりは笑い


「猿か、猿とはひどい言いぐさ。なら大丈夫だろう」


 まだ笑いがおさまらぬのか目じりに涙をためている。信盛のぶもりは、ひとりオロオロしながら


「そうは言っても、置いてけぼりはまずいでしょ。俺ならともかく」


 あっと信長は言い


「のぶもりもり、自覚あったんですね。殿しんがり軍を任せている半分の理由はそうだったりします」


 うおおおいと再び、信盛のぶもりは信長の胸に右手の甲でがんっと叩いた。


「まあ、猿なら大丈夫でしょう。きっとすぐに追いついてきます」


 信長もつい猿と言ってしまっている。信盛のぶもりは右手であご先をかきながら思案にくれた。


「ん…。殿との、そろそろ」


 戦勝ムードに包まれ、つい長話をしてしまった。佐々さっさが先を促している。そろそろ動かなかければいけない。今川残党が恨みはらさざるべきかと襲ってくるかもしれない。信盛のぶもりは、信長に、殿とのと言い、促された信長は一息


「猿のことは信じています。たぶん、まだ何かしているのでしょう。置いて先に帰りますよ」


 信長は桶狭間おけはざま山から視線を外し、北へ顔を向けた。そして、いまや完全に身も桶狭間おけはざま山に背を向け


「全軍、出発!清州きよすに帰ります。道中の今川兵とは極力、戦闘を避けてください」



 戦勝ムードから抜け出せぬまま、2千の兵は帰路についた。道中、信長は兵たちに、こう叫ばせる。


「今川義元。桶狭間おけはざまにて討ち取ったり!」


「我ら、義元を討ち取りし、最強の軍なり!」


「今川軍よ、道をあけよ!さもなくば根切りとする!」


 根切りとは、全員もれなく息の根を止めてやるぞという意味である。


 今川本陣が奇襲を受けた際、義元が発した伝令により、今川の先陣に奇襲の報せは届いていた。しかしまさか、これほどの早さで本陣が陥落し、さらに義元さままで討ち取られようとは。各地の今川兵は蜘蛛の子を散らすように瓦解していった。


 ここ、中島砦を囲んでいた今川兵も例にもれず、戦線を崩壊していった。今川の将、関口は必死に兵たちをまとめようとしたが無駄であった。そして、もたもたしていれば、自分の命も危うい。武器を手放し、鎧を脱ぎ捨て身軽になり、雑兵とともに山に隠れたのである。


 信長本隊は中島砦を無事通過し、善照寺ぜんしょうじ砦をも通過し、熱田までやってきた。ここまでくればもう大丈夫とばかりに進軍速度を落とした。半数の1千と指揮のため信盛のぶもりを熱田に残し、信長はさらに清州きよすへと兵を進めた。


 寄った那古野城では、この城に詰めていた勝家かついえが雄たけびをあげていた。える、おお、ぶい、いー、殿との!と叫んでいたが、なにが何やらよくわからない。ぷろてぃんとやらの飲みすぎで、ついに脳みそが筋肉にかわったのだろうか。


「やっぱ、ぷろてぃんッスよ。原因」


「はい、間違いありません」


 信長と利家としいえは、うなづきあい、少し遠い目をした。信長は近いうちに、ぷろてぃんの輸入に課税を施そうと思った。


 ようやく清州きよす城に着いた一向は、安心したのか皆、その場で泥のように眠りについたのである。



 明けて5月20日 朝。城の広場にて今川義元の首実験が行われた。30分ほどの確認により本人の首級くびとされ、毛利新助には、約束通り、金子きんす50枚が与えられた。


「今後も期待してますよ。近いうちに黒母衣衆入りの報せも届けます。今は十分に休むこと」


 信長は新助にそう言い、はっ、ありがたき幸せと新助は返す。


「さて他のものたちの論功行賞を進めます。名を呼ばれた者から順に前へ」


 あるものは、金子きんす3枚をもらい、またあるものは集印帳に永楽通宝印のすたんぷをもらっていた。


「やったッス!一気にすたんぷ4個もらったッス!」


 利家としいえ金子きんす3枚と、すたんぷ4個を恩賞にもらったのである。自宅謹慎までは解かれなかったが、もらった金子きんすで、おまつに、おいしいものでも買って帰ろう。


 佐々さっさの恩賞は金子きんす3枚、すたんぷ2個であった。


「ん…。精進が足りなかった」


 河尻かわじりに助けてもらわなかったら、最悪、命を落としていたかもしれない。まだまだだと、自分に喝をいれた。


 そうこうしているうちに昼過ぎになり、利家としいえの見知った顔が清州きよす城へ入城した。


「おお、猿。生きてたッスか」


「は、はい。足は、ついてます!と、というより置いて行かれて、大変、でした」


 ちょっと怒っているのか、顔が少し赤い。いや、猿だから元々、赤いッスか。などと失礼なことを利家としいえは思いつつも


「それで何やってたッスか?」


「これ、です。今川本陣で、物色してたら、良さげなものが、あったので」


 見た感じ、銘刀である。ははぁと利家としいえはいぶかしげに


「いくら槍働きが苦手で、褒美の金子きんすの代わりと言えども、あの状況で物色なんかしてたら、そりゃ置いていかれるッスよ」


 ははっと利家としいえは笑った。しかし、秀吉は


「い、いえ。そうではなくて。義元の身元確認になるような、証拠物品がほしくて。それで」


 論功行賞を終えかけていた信長が、こちらに気付いたようで、秀吉に手招きしていた。秀吉はすぐさま、信長の元へ参上し、片膝をつき、腰を落として、両手でさきほどの銘刀を進呈した。


「猿、生きていたのですね、よかった。それで、この刀は?見たところ、かなりの逸品みたいですが」


「はい。義元の所有物、だと、思います。首を取られた義元のそばに落ちて、ました」


 信長はふむと言い、もしやと


「これは、義元が武田信虎より贈られし、宗三ぞうざ左文字かもしれませんね。詳しくは後日、目利きに聞いておきましょう」


 よくやりましたと、ねぎらいの言葉を秀吉に送った


「ですが、命あっての物種と言います。あまり無茶はしないように」


 秀吉は、ばつが悪そうに、にひひと、ほくそ笑むばかりであった。しばらくして、その場に、河尻秀隆かわじりひでたかが現れ、信長に報せをもってきた。


鳴海なるみ城にて、今川方の岡部元信おかべもとのぶが徹底抗戦の構えを見せております」


 信長は嘆息し


「これ以上、戦っても、ただの消耗戦。できればいくさは避けたいところですが」


 皆で、うーんと悩んでいたところ、役人風の男がやってきて


「うっほん、わたくしめの出番ですかな?」


 村井貞勝むらいさだかつが、メガネのつるをくいっと直しながら言いのけた。

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