第9話 トラブルの結末

 最初に『それ』に気付いたのは、龍人と対峙していた薙胡だった。

 鉄刀がクリーンヒットした龍人は壁に激突し、壁の瓦礫と共に土煙の中で倒れているはずだ。今の手ごたえからして、意識を飛ばしているだろうと予想していた。

 そのはずなのに。

 薙胡は先ほど対峙した時と同等かそれ以上のプレッシャーをその身に受けていた。

 そして。

 今、その違和感が現実となってを姿を表す。

「…………主人公は、負けない」

 彼の身を包んでいた土煙が強風に煽られて霧散する。その中から出てきたのは、灰色の人鎧ではなかった。

 漆黒に染まった……闇と呼んだ方が納得のいく禍々しい色をした人鎧。全体的に鋭角になったその第二形態の人鎧は彼の名前にもある龍を想起させる。

「君は意外と負けず嫌いなのか?」

 龍人に向け刀を構える薙胡。しかしその声からは、すでに余裕は感じられない。

 問いに対して回答はない。ただゆらりと龍人は歩を進めた。

「負けない強くなりたい強くならなきゃ……」

 意識があるのかすら分からないようなおぼつかない足取りの龍人はうわ言のようになにかをぶつぶつと呟いている。

 ある程度まで薙胡との距離を詰めた龍人はその足を止め、突然左腕に炎をまとった。そのまま腰を深く落とす。

 突進してから炎で威力の底上げをした左拳を打ち込む。そんな次の手を全く隠す気がないのか、黒い龍の瞳はただただ薙胡をしっかりと捉えていた。

 薙胡も彼を注視し次のアクションに対応できるように構えていた。、

 しかし、全ては無駄になる。

 彼はやはり構え通り、目にも止まらぬスピードで薙胡の懐に入り込みそのまま無造作に構えた拳を下から上へと振るった。

 単純、ゆえに高速。薙胡の防御は間に合わず、拳が胴にクリーンヒットする。皮肉にもそこは彼女自身が先ほど攻撃を決めた場所だった。

「かはっ!」

 拳の衝撃は人鎧を越え彼女の腹部へと伝わる。その衝撃で薙胡の肺から強制的に空気を吐き出させた。

 人鎧が衝撃を受け止めきれなかったのも無理はない。彼女の人鎧は――すでに壊れてしまったのだから。

 龍人の攻撃により人鎧に入ったひびは一秒もしない間に全体へと広がり、世界最強の補助装置であるところの人鎧をいともたやすく砕け散らせた。

 最悪なことに、アッパー気味の攻撃だったため彼女の体は空高くへと放り出されてしまった。

 生身のまま数十メートル上へと。しかも気絶した状態で。

 このままいけば怪我は免れないだろう。けれど、そんな光景を見ても龍人は動じない。それどころか。

「負けない勝たなきゃ勝つしか許されてないんだ……!」

 まるでなにかに取り憑かれているかのようにぼそぼそと呟き続けている。ようやく思考が現実に追い付いてきた観客が落下し始めた薙胡を見て次々に騒ぎだす。

 それでも龍人は変わらず自分の世界に――

「勝つ倒すぶっ殺……ってこんなことしてる場合じゃない!」

 ――閉じ籠ったりすることは特になく、急にいつもの調子に戻ったかと思えばそのまま自分がいましがた宙空に吹き飛ばしたばかりの薙胡を急いで受け止めに行った。

「とおっ!」

 唖然とする観客を尻目に、掛け声と一緒に脚に貯めた気を一気に解き放ち、数十メートル真横に跳ぶ龍人。

 重力に従って落下してくる薙胡はもうほんの数秒で地面へ激突してしまう。龍人は意識を脚のみに集中させながら全力で落下地点へと走る。

 残り二秒ほど。まだ龍人は落下地点に辿りつけていない。けれどそこで彼は固い人鎧をつけたままではどちらにせよ怪我をさせてしまうことに気づく。急いで人鎧を粒子へ変えるが……人鎧を解いた瞬間体が一気に重くなる。

 自分のことを補助してくれていた人鎧を外したのだから当然だ。龍人にはそのことを後悔している時間も再度装着し直す時間も与えられない。

 残り一秒。地面と薙胡の間には一メートルほどの隙間しかない。龍人は体の中に残る気を全て足に込める。

 足が焼けるような熱さ。オーバーチャージ独特の痛みを龍人は無視し足の気を全て放出する。

 限界を超えた気の運用に体が悲鳴をあげる。その悲鳴を掻き消すように龍人は叫んだ。

「間に合ええええええええええええ!!」

 残り0秒。

 会場には人間と大地の衝突音が響き渡る――ことはなかった。

 受け止める、というよりは間に滑り込ませるという形になってしまったが間一髪のところで龍人は間に合った。

 ……間に合ったのはいいのだが。

「あ、あれ、ちょっ」

 最後の全力スパート、そして重力に従って落下する薙胡を受け止めた衝撃は龍人の体からほとんどの力を奪っていた。そのせいで慣性の法則を体現し今もなお地面に平行に突き進む自分の体にブレーキをかけられないでいた。

 だんだんと近づいてくる壁。このスピードでは激突は避けられない。

 龍人は躊躇なく自分の体を盾にする。薙胡の体を放ってしまわないように強く抱き締めるが、数瞬後に背中に来た予想以上の衝撃に意識を持っていかれ手を離してしまった。

 薙胡、次いで龍人という順番で地面に二人の体が落ちる。落ちるといっても一メートルもない程度の高さだ。壁にぶつかった龍人はともかく、彼によってその身を守られた薙胡はほぼ無傷である。

 ここで終わっていれば龍人はまさしく主人公だった。自分で起こしたことの尻拭いをしただけではあったが、それでも薙胡のことを体を張って守ったことは生徒たちにそこそこ評価されて終われるはずだった。

 けれど――トラブルはそんなに甘くなかった。


***


 目が覚めると、白い天井が見えた。

「……ここ、は……?」

「ようやく目が覚めたか」

 僕の寝ているベッドを囲うように薄ピンクのカーテンがかけられている。そのカーテンを開けて声を掛けてくる女性の姿があった。大人びた容姿と白衣がとてもマッチしている。

「……誰ですか?」

詩園麗うたぞのれい。君をそこに寝かせてあげた優しい保健室の先生様だ。敬いたまえ」

「……はあ、どうも」

 何か変な人出て来た。寝起きでこの人の相手はだるそうだ。

 って、そうだ。そんなことより。

「あの……藤城先輩は……」

 詩園先生は僕の横にあるカーテンを指で指しながら答えた。

「彼女は打撃を受けた際の衝撃で意識を失っていただけだ。外傷も内傷もこれといって酷いものはない。すぐ目覚めるだろう」

「良かった……」

 そう言いながら体を起こそうとしたが……なぜか力が入らない。安心して力が入らなくなったのかな?

「藤城君よりも君の方が危険だったよ」

「え?」

 そんなことを言い出した先生は僕の周りのカーテンを全て開くと、ベッドから少し離れた場所にある机に腰掛けた。

「君はまだ不慣れな人鎧を、なんとか使いこなしながら藤城君に挑んでいた。実力差を埋めるために効率を無視してバンバン気を使いながら」

「その通りですけど……それがどうして危険な事になるんですか?」

「君、戦う事に夢中で気の残量を考慮していなかったろう。そのせいで酷いガス欠状態だったぞ」

「……あー」

 そうだ、確かに人鎧に早く慣れるためとか、先輩に喰らいついていくためだとかで、なんにも考えてなかった……。

「もともと人鎧に慣れていない人間には気を使いすぎる傾向が見られるが……特に君なんかは人鎧に慣れないまま第二形態へ進化してしまったものだから余計セーブが効かなかったんだろう。その上最後には後先考えずに藤城君を助けに行っていたしな」

「あ、あはは……」

 怒涛の理由説明に気圧されながら反省する。確かになんにも考えていなかった。

「……まあ、最たる理由は人鎧を粉々にしたあの一撃だがな。いくら第一形態の人鎧とはいえ、破壊するとなるとちょっとやそっとの気では足らんからな」

「ですよね」

「なあ、高原君」

 机に座りながら、コーヒーを作っていた先生はその手を一度止めてこちらに向き直る。

「試合の最後、君が彼女を吹き飛ばす前に見せたあの時の様子は普通ではないように見えたが……アレはなんだ?」

「僕って主人公なんで、負けるわけにはいかないんですよ。なので強い相手と戦ってる最中に、ちょうどあんな感じで意識が朦朧とすると執念からあんな感じになるんです。簡単に言えば主人公補正です」

「そ、そうか……主人公か……」

 机の上にあるコーヒーメーカーでコーヒーを作りながら若干困り気味に先生は呟いた。保健室にコーヒーの香りが満ちていく。

 え、ビーカーにコーヒー入れようとしてるよこの人……。

「……ん」

 先輩が目を覚ました。カーテン越しに先輩の声が聞こえる。同じく先輩のことに気付いた詩園先生がコーヒーを作っていた手を止める。

「ふう、これでようやくベッドが空く」

「ちょっと」

「冗談、冗談」

 先生は飲みかけのコーヒーを机に置くと、先輩がいるであろうベッドのカーテンを開けた。

「具合はどうだ?」

「……問題ありません」

 先生は若干眠そうな先輩に構わず、目を見たりいろんなところを触って具合を確かめる。

「異常は無さそうだな」

 ひとしきり触診をした先生は先輩に説明をしたあとまた机に戻り、コーヒーを飲み始めた。それだけではなく、何かの書類を書き始めたのでなんかもうとても話し掛けずらい。

 仕方ないので体を起こ……起きれないんだった。っていうか体全体が全然動かない。なんとか首を動かせるくらいだ。

 首を動かして先輩の方を見ていると、体を起こした先輩とおもいっきり目が合った。うわぁ……気まずい。めっちゃ気まずい。

 そんな事を考えていたら、僕と違い普通に動けるらしい先輩がベッドから降りてこちらに歩いてきた。

 なんで! なんで僕が動けない時に来るの!

「おはよう、高原君」

 先輩は動けない僕の頭に手を当て、優しく撫でる。ふんわりとした触り方が少しくすぐったいが……気持ち良かった。

「えっと……お、おはようございます」

 僕の返事に気を良くしたのか、眠そうながらもいつも通りの笑顔を浮かべた。

「あの……先輩?」

「なんだ?」

 先輩は近くに椅子があるのにも関わらず、ベッドに腰掛けてきた。

「……怒ってないんですか?」

「ああ、少し怒っているぞ」

 当然だ。下手したら死んでしまうようなことをしてしまったのだ。

 僕はどんな罵詈雑言も受ける覚悟で先輩の言葉を待つ。僕の頭から手を離し腕を組んだ先輩はゆっくりと口を開く。

「あれほどセクハラはダメだと言っただろうに……あんな公衆の面前で私にセクハラをするとは本当に君は困ったセクハラ君だな」

「は?」

 先輩の言っていることが理解できずすっとんきょうな声を出してしまう。離れたところで聞いていた詩園先生が僕に補足してくれた。

「君は壁に激突して意識を失い、そのまま藤城君の上に覆い被さるように地面に落ちたんだ。藤城君の胸に顔を埋めてな。しかも右手でしっかり胸を揉みしだいていたぞ」

「…………」

 確かにそれはセクハラだ……。むしろそれ以上だ……。

 先輩の顔を見れば、改めて言われて恥ずかしいのか顔を少し赤らめていた。そ、そりゃ怒りますよね。

「全く君は……」

「ご、ごめんなさい……」

「意識を失ってもセクハラをしようとする君には驚きだ」

「そこまでセクハラに貪欲じゃないですよ!? っていうか今回のはただの事故じゃないですか!」

「む、そう言われてみれば」

「最初に気づいてほしかったんですけど!」

 疲労困憊の人間にこんなツッコミをさせないでほしい……。

「……でも言われてみれば、気絶しててちゃんと覚えてるわけじゃないですけど……確かになにかすごい柔らかいものに顔を埋めていたような……」

「た、高原君。口に出すのはやめてくれ……」

「それに右手で大きなマシュマロを掴む夢を見ていたような……」

「それはさすがに本気でセクハラだぞ!? というか私がセクハラ扱いばかりしているから若干怒ってないか!?」

「ははは、そんなわけないじゃないですかマシュマロ先輩」

「ほう、動けない体で私に喧嘩を売るとはいい度胸じゃないか!」

「え、ちょ、ほんの冗談なんですけど! きゃーやめてー!」

 起き上がることすらできない僕に、先輩はちょっと怖い顔をしながら手を伸ばす。なんとか逃げようと体を動かすとするが……ああダメだ! 動かない! 首しか動かせない!

「べ、別にそこまで怖がらなくても……」

「め、目が本気だったんですもん……」

「まあ少し本気だからな」

「助けて先生! 生徒が目の前で汚されそうになってます!」

「保健室では静かにしたまえ」

 先生に当たり前のことを言われて先輩も僕も冷静になる。先輩が『こほん』とわざとらしく咳をして話を戻してくれる。

「あのとき君が意識を失っていたというなら私が怒ることは特にない。むしろ君は私が何に対して怒っていると思ったんだ?」

「先輩の人鎧壊しちゃいましたし……殺しかけましたし」

「それはただ単に私の力不足だ。君が気に病むことではないよ」

 先輩はさも当然のことだと言わんばかりにこちらを見ている。

 ……すごいな、この人。

「どうした?」

「先輩はすごいなって」

「そ、そうか?」

 僕の発言の意味がよく分からないのか戸惑いながら先輩は喜んでいた。照れ隠しなのかさっきと同じようにまた僕の頭に手を伸ばし、優しく撫で始めた。

 と、そんな時扉が開いた。

「失礼します。龍ちゃ……高原君いますか?」

「優美?」

 優美は僕の声を聞くなり、先生の許可も得ずに僕の方に走ってきた。

「む」

 ベッドに座っている先輩を見た途端になぜか優美は急に頬を膨らませた。先輩がどうかしたのか?

「優美、どうした?」

「え? あ、ううん。なんでもない」

 優美は慌てたように手を振ると、先輩の方を向いて挨拶した。

「初めまして、龍ちゃんの幼なじみの白宮優美です」

「ああ、初めまして。もう知っているかもしれないが私は二年の藤城薙胡だ。よろしく」

 それに応じた先輩は、今まで僕の頭に置いていた手を離して、優美へと差し出す。それを見た優美はやっと、不機嫌だった顔をいつも通りのポケッとした顔に戻し先輩と握手した。そんなに先輩と握手したかったのかな。

 ……ああ、そうだ。

「なあ、優美。聞きたいことあるんだけど」

「ん、なあに?」

「……試合の最後のアレ見てさ、周りどうだった?」

「あー……聞かない方がいいと思うよ」

 その言葉を聞いて思わずため息が出る。

「あー、引きこもりになりたい……」

「学校にはちゃんと来なきゃダメだぞ」

 そりゃ、分かってますけど……分かってるけれども……。

「だって先輩。多分僕明日から――」

 そこまで言った時、甲高いサイレンの音が響いた。

『!?』

 その場にいた全員に緊張が走る。な、なんだ? これはなんのサイレンだ?

 身構える僕達に対し、数秒後に流れてきたサイレンはこうだった。

『テステス。えー皆さん。今のサイレンはシステムの誤作動によるものです。申し訳ありません。繰り返します――』

「なんだ、びっくりしたー」

 サイレンに一番びっくりしていた優美が安堵の声を漏らす。優美ほどではないにしろ、僕も緊張していたので安心する。だが、先輩だけは違った。

「……またか」

「また? どういう事ですか先輩?」

「前に言った設備の不具合だよ。前にも二回程同じことがあったんだ」

「二回も……?」

 なんだろう、この感じ。何か……嫌な予感が……。

 なんとなく視線を外に向ける。太陽は沈んでいて、もう夜と言っても差し支えがない。室内の掛け時計を見るともう七時を過ぎている。僕につられて時計を見た先輩は『もうこんな時間か……』と、呟くと立ち上がった。

「もう外も暗いし、私は帰るよ」

「え? あ、はい」

 先輩はグラウンドから直接連れてこられたようで持ち物は特にないようで、そのまま立ち上がると真っ直ぐ扉の方へと向かった。

「高原君、白宮さん。それではまた」

 それから先生に一礼したあと、先輩は何回かこちらを見てから帰っていった。

「僕どれだけ寝てたんだろ……」

「あれから私達が授業終わるまでなら、少なからず八時間は寝てるね」

「今日授業がなくて良かった……」

 さっきとは別の意味で安心する。

 …………。

「龍ちゃん?」

「なんか……急に眠く……」

「まだ疲れが残っているんだろう。なに、ぐっすり寝て、たくさん食べれば気の補充などすぐ終わる」

「家に……電話を……」

「私がしておくから早く寝なさい。ほら、白宮君もそろそろ帰りたまえ。親御さんが心配するぞ」

「今日は一晩中龍ちゃんの看護を……」

「帰りなさい」

「……はい」

 優美はがっくりと肩を落としながらイスから立ち上がる。

「また明日ね。龍ちゃん」

「ああ……また明日」

 優しく手を振って優美が離れていく。僕の意識があったのはそこまでだった。

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