第3話 最強の鎧

 先生に二人して『腹痛です!』という言い訳をしまくり、なんとか許しをもらった僕達は今、校舎から少し離れたグラウンドにいた。服装はもちろん体操着。あの後一分で着替えた。

 一周が四キロだか五キロだかあるというこの馬鹿げたグラウンド。ところどころに盛り上がったり抉れたりしている箇所があるのは異立ならではとでも言うべきだろうか。

 っていうか、こんな広いグラウンドがまだいくつかあるってどんだけ金もらってるんだよ、異立。

 僕たちが今から行うのは、人鎧のフィッティングだ。

 人鎧……人類用人型特別補助鎧は名前にもある通り、鎧のように全身を包み込み、肉体と異能を補助アンド強化してしまう。

 国は災害現場や工事現場などでの活躍を期待している、なんて綺麗事を言っているが、入学前に散々人鎧について予習させられていた異立の生徒はさすがに全員分かっているだろう。

 これは兵器だ。

 しかも恐らく世界最高の。

 そして……最強の。

「じゃあ、人鎧のフィッティングを始めます。出席番号一番から十番までの人達は私に付いてきてください。その他の生徒はこの紙に書かれたメニューをしておくように。あ、さぼっちゃダメですからねっ!」

 思考の海から意識を戻すと、先生がトレーニングメニューをクラス委員の女子に渡していた。それから先生は出席番号一番から十番……つまり、僕とクラスメイトの女子九人を連れてグラウンドから少し離れたところにある人鎧の格納庫へと向かって歩き始めた。


 格納庫に着いた僕達はその光景を見て絶句していた。

 静かな重圧が支配する格納庫は、普通の一軒家ならしまえそうなほどに巨大だ。そしてその中に並んでいるのは、光耀高校の生徒の半数以上の生徒の人鎧だった。

 灰色一色しかない無機質なボディ。全体的に丸みを帯びた人型の鎧はパッと見では機械だと判別ができそうもない。事前に人鎧の画像を見ていなければただの人型の形をした金属の塊にしか見えないだろう。

「えーと確かここら辺に……あ、あったあった」

 先生は格納庫に入ると、人鎧が置いてある台座を確認しながら右に進み『A1‐001』と書かれている台座の前で止まった。それが僕専用の人鎧なのだろう。

「高原君。こちらへ」

 先生に手招かれるままに人鎧のもとへ歩く。僕が歩き始めたのを見ると、先生は人鎧へ視線を戻し……そして、人鎧を片手で軽々と持ち上げた。

「おぉ……」

 女子から感嘆の声が出た。先生は一瞬何に驚かれているの分からないという様子だったが、すぐに人鎧を持ち上げていることだと気付くと、豊満な胸を張って説明を始めた。

「皆さんも知ってるとは思いますが、もともと『異能』とは体内に流れる『気』を皮膚表面から放出する際に炎や水に変換する力のことを指しています。異能使いはその変換される前の『気』を体内で操作することによってこのように人間の限界以上の怪力を出せるようになりますっ。そしてなんと! 人鎧はこの怪力をも強化してくれるのです!」

「気って他には使えないんですか?」

 女子からそんな疑問が出る。先生は解説をするのが好きなのか、明らかにテンションが上がっている。その姿はまるで無邪気な子供の様で、最終的には人鎧振り回しそうで怖い。

「少し練習すれば気をそのままの状態で体外に放出出来るようになるんです。そうすればなんと! ほんの少しの気だけで空を自在に飛ぶことだって出来るんですよ!」

 ちょ、ホントに人鎧振り回してるよ! 危なっ!

「そ、それでこれからどうすればいいんですか?」

 先生をなんとか落ち着かせながら話を逸らしていく。いまだテンションの高い先生は人鎧を僕の横にゆっくりと置いてから、説明を始める。やっぱり楽しそうだ。

「まずはこの中に入ってもらいます」

 そう言って先生は隙間に指をかけて人鎧をぱっくりと開いた。前後に真っ二つになった人鎧の前半分を先生が持ち、そのままになっている後ろ半分を先生は指さして言った。

「はい、じゃあ入ってください」

「入るって……どうやってですか?」

 僕の想像では人鎧の中身はアニメに出てくるロボットのように、色々なものがごちゃごちゃと付いていて、それをこう『装着!』みたいな感じでフィッティングすると思っていたんだけど……。

 人鎧の中身は見た目から想像の通りで、本当に何もない灰色の空間が広がっているだけだった。

「そんなに難しく考えないでいいですよ」

 僕が不安そうにしていたからか、先生が優しい笑顔で説明をしてくれる。こんな表情も出来るのか……。

「ここに背中を預けてリラックスして。それで……まあそのあとは話すより感じてください」

 あれ、なんか急に不安になってきた……!

 しかし不安よりも好奇心が勝り、先生の言うとおりに真っ二つになった人鎧に少し苦労しながら入る。金属特有の冷たい感覚を感じながら手や足の位置を合わせて『大丈夫です』と言うと、先生は人鎧の前半分の部分を後ろ半分に綺麗に当て、人鎧を閉めた。


 そして世界が変わった。


 何かが体の中に入ってくる感覚。しかしそれは僕を侵食しようとしているのではなく、溶け込んでこようとしているようだ。

 少しずつ、僕とその何かが一つへと混ざっていくのがよく分かる。僕と何かの境界線が曖昧になっていくほどに、僕の五感が研ぎ澄まされていっているような感覚に襲われる。

 灰色の鎧で視界が完全に遮断されているはずなのに、周りの物がよく見えるし、音がよく聞こえる。しかもまだ限界じゃない。世界がどんどん綺麗になっていく。

「……ん」

 途中で体に違和感を感じる。今までよく見えよく聞こえた世界がぐにゃりと歪んでいく。

 音が、色が、世界がねじれ狂い歪んでいく。なんだこれは、何を見せられているんだ。

 気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持――

 ぱんっ!

「はい。フィッティング終了です」

 乾いた音が僕の意識を強制的に現実に引き戻す。今のは先生が手をおもいっきり叩きあわせた音だろうか。

 ぐにゃりとしていた世界はいつも通りに戻っている。いや、むしろ人鎧の補助のおかげかいつもより綺麗なくらいだ。その気になれば足元の埃が見える。

「高原君、大丈夫ですか? ちゃんと気持ち悪くなりました?」

「大丈夫です……って、ちゃんと?」

「それがフィッティングが終了した合図なんです。人体と人鎧の五感を融合してリンクさせるので違和感を感じる人が多いんですが、だからこそ気持ち悪くなったってことは成功したってことですよ」

 融合……そんな単語を聞いてしまうとどうしてもイメージ的には人体と人鎧自体が融合するのを思い浮かべてしまうが、そんなことをしてしまえばもうフィッティングなんてものではないだろう。人間をやめることになってしまう。

 五感の融合ということだったがどんなものなのだろうかと、とりあえず軽く人鎧を動かしてみる。おお、なんかすごく……変な感じ。

 一度フィッティングをするとその後の開閉は自分の意志で簡単に出来るらしく、僕は違和感を少し楽しんでから人鎧から出てきた。

 人鎧から出てきた僕を不安そうな顔で見てくるクラスメイト達。フィッティングが怖いんだろうと予想は出来るけど、だからといって何かフォローが出来るわけでもない。 先生が言った通り、確かにあれは感じなければ分からない。

「うぅ……あんなのがホントに『進化』なんてするのかな……」

「近くで見ると信じられないよね……テレビで見たことはあるけど……」

 出席番号が八、九番あたりの女子の会話が耳に入ってくる。特に進化という単語が強く届いてきた。

 人鎧は使用者の心の叫びを聞いて進化する。

 進化した第二形態の人鎧は補助力の向上はもちろん、光の粒へと変化する『粒子化』、その粒子から金属質の物質を自在に作り出す『顕現』という能力も備わるようになる。今ここに人鎧が生徒の数だけないのは進化させた人鎧を好きな形に顕現し、自分で所持している生徒が多くいるからだ。当然、その粒子化から第二形態の人鎧を『装着』することだって可能だ。

 数分の間、自分の人鎧が進化した姿を妄想していると、出席番号十番の子がフィッティングを終えて人鎧から出てきた。

「全員のフィッティングが終わったのでグラウンドに戻りますね。グラウンドに着いたらトレーニングをしておいてください」

 そう言って先生はグラウンドの方向に歩き始めた。どうやらフィッティングはなんのトラブルも無く終わったらしい。

 世界最強の兵器との出会い。そんな状況で何も起こらないことが、僕の背筋に寒いものを感じさせる。

 その悪寒を振り払うように、僕は先生の後ろを追って歩き始めた。


***


 校内で一、二を争う豪華な木製の扉を叩く音が、少々の喧騒を伴った廊下に小さく響く。

 中からの返事はない。

 扉の前に佇む若い女性は困りながらももう一度ノックする。が、返ってくるのは静寂だけだ。しかし、その女性は中に人の気配を感じていた。ならば何故、返事が無いのか?

 最悪の事態を考慮して女性は失礼しますと小さく呟き、扉を控えめに引く。緊張に顔を強ばらせている彼女の目に飛び込んだものは、眠り惚けている部屋の主だった。

「……」

 眠っていたから報告が遅れました、などという報告をしたくない彼女は申し訳なさそうに部屋の主の肩を揺らす。主である老年の男性は深い眠りについているらしく、目を覚ます気配はない。

 時間に比例して彼女の揺さ振りから優しさと遠慮が消えていく。揺らし方はゆさゆさからぐらぐらへと少しずつ変化していった。

 ついに遠慮がゼロになった彼女は男性に向かって大声で呼び掛ける。

「起きてください! 神之校長!」

 ぴく、と瞼が微かに反応する。そのまま瞼は上へと持ち上げられ、瞳は女性の顔を認識する。彼女がだれか、自分は何をしているのかをしっかりと認識した上で、校長と呼ばれた男性は言った。

「あと、五分だけ……」

「ダメですよ!!」

 彼女の本気の揺さぶりは彼の意識を覚醒させるには少々威力がありすぎた。


「すまないね、最近徹夜が多くて」

 ボサボサの髪にヨレヨレの服を着た男性、神之誠は苦笑いをしながらそう言った。彼の服装を見れば一体どれだけ激しい揺さ振られ方をされたのかは容易に想像がつく。

「えっと、用件は何ですか? 立華先生」

「……今回の洗礼についてです」

 彼女の声はいつもの彼女に比べて明らかに小さい。それは彼女が件の『洗礼』を好いていないからというのも一つの理由だが、最も大きな理由は単純に誰にも聞かれたくないからだ。

 二人が会話をしている校長室は職員室のすぐ横に位置する。放課後の今も職員室に用のある生徒は少なくない。その生徒達に声の届く事が絶対に無いように、彼女は声を潜めているのだ。

 つまりそれだけの意味が『洗礼』にはある。その言葉を聞いて神之からも笑顔が消える。

「洗礼ですか」

「私は今年が初めてなんですけど、やっぱり……辛いんですか?」

「えぇ、なんというか……見ていられないというか、特に当事者は……」

「そうですか……」

 二人の声のトーンはどんどんと下がっていく。まるで、重い雰囲気が支配しているこの部屋に元気を吸い取られているようだ。

「それにしても随分と早かったですね、今年の厳選は」

 神之は年上の責任として話を進める。その気持ちを無駄にしない為に立華も話を繋げていく。

「はい、他クラスの担任の方達との話し合いがすぐ終わったので。それくらい圧倒的です」

「圧倒的?」

「圧倒的です」

 その言葉を聞いて彼の顔に僅かに笑みが戻る。

「圧倒的ですか……それは、もしもの事態を期待……ではなく懸念してしまいますね」

「本音が漏れてますよ」

「おっと失敬。まあ、もしもの事態があったところで辛い事に変わりはないんだがね……」

 深刻そうなセリフを言っている神之だが、その表情は明らかにセリフとマッチしていない。

「校長、笑顔になってますよ。そんなに期待しているんですか?」

「まあ……ね。もしもの事態に、というよりはそのもしもの事態を起こせる、不可能を可能にする、そんな――」

 神之は笑顔を隠そうともせず、こう続けた。


「――主人公みたいな人間に」


 その瞳はまるで世界を知らない夢見る少年のように輝いていた。

「それで誰なんです? 今年は」

「それは――」

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