第3話

 「ママ、ママ」

 カイルの声にメリッサは目覚めた。

 「ああカイル、帰っていたの。台所にクッキーがあるわ」

 「うん。それとありがとう。部屋を片付けてくれて」

 「いいえ、ちょっとしか片づけなかったけど」

 「ううん、とても綺麗だったよ」

 「えっ?」

 かみ合わない会話にメリッサは起き上がって2階のカイルの部屋に入った。

 部屋の中はとても綺麗に整理されていた。ぬいぐるみも本も棚に並んでいた。

 「そんな…」

 「今度ソフィと遊んだら、ちゃんと片づけるから」

 「ソフィ…」

 メリッサはその名前を聞いて表情が凍りついた。

 「そのソフィって子はどうやって入って来たの?」

 「起きたら立っていたよ」

 「そう。じゃあ今度会ったらママに教えてくれる?」

 「いいよ」

 カイルはうなずいて部屋を出た。メリッサは綺麗になった部屋を見渡した。

 「この家に何かいる…」

 まだ夢から覚めきれない感覚が残ってメリッサはこめかみを軽く右手で押さえた。

 その晩、メリッサは物音で目が覚めた。2階からゴトゴトと音がしていた。

 ブラットに声を掛けたが起きる気配がなかったのでメリッサは静かにベッドを抜け出して2階に上がった。物音はカイルの部屋からだった。

 「カイル、何をしているの」

 メリッサはドアを開けたが暗闇で何も見えなかった。ゴトゴトと物音が響いた。

 何かが足にぶつかった。そして次々と何かが体中にひっかかってきた。暗闇でわからないが、感触から誰かの手だとメリッサは感じた。沢山の手がメリッサの体を掴んできた。

 「いやあ!」メリッサは叫んだ。

 沢山の手はメリッサの体を突き上げ天井に押し付けた。その手は細く肉付きが薄くゴツゴツしていた。まるで手の骨に掴まれている感覚だった。

 メリッサがそう自覚した時、視界が明けてきた。メリッサの体には沢山の手の骨がしがみついていた。

 「うわあああ!」

 メリッサは再び悲鳴を上げた。天井に押し付けられたメリッサはドンと大きな音を立てて床に横たわった。部屋が明るくなった。

 「メリッサ!おい、しっかりしろ!」

 ブラットはもうろうとしているメリッサを抱きかかえた。メリッサの体が小刻みに震えていた。ブラットは救急車を呼んだ。カイルは倒れているメリッサを無表情で見ていた。

 搬送先の病院でメリッサは軽い打撲と過労と診断され1日入院して帰宅した。

 「ほら着いたぞ」

 ブラットに肩を抱かれてメリッサは車を降りた。

 「この家には何かいる。何かいるのよ」

 「大丈夫だよ。何もいない。一人にさせてすまなかった。疲れていたんだな」

 「違うの。何かいるのよ」

 メリッサはふと2階の窓を見ると誰もいない部屋に人影が見えた。

 「ほら、あそこに誰かいる!」

 「落ち着いて、さあ入ろう」

 怯えるメリッサの手をブラットは強く握って玄関に入った。

 ブラットは車に戻りメリッサは玄関から家の中を見回した。特に人の気配はしなかった。

 リビングに入ると目の前の壁に大きく文字が書かれていた。

 『君を忘れられない』

 メリッサは目を閉じて気持ちを落ち着けてまた目を開いた。

 『秘密は誰にもある』

 壁に書かれた赤く刺々しい文字は粒状に流れて消えた。

 メリッサはこめかみを押さえてソファに座った。


 時間が経つにつれて家族の会話が減っていった。カイルは食事を終えるとすぐに部屋に戻り、ブラットは朝早く出勤して日付が変わる前に帰ってきて食事もせずに軽くシャワーを浴びて眠り、メリッサは家事の時以外は殆どリビングでテレビを見たりしてくつろいでいた。家族というよりルームメイトの様な感覚でそれぞれが時間を過ごしていた。

 その間もメリッサの前に赤い文字が浮き出て、カイルは部屋で物音を立てていたが家族にとってそれも日常の出来事になっていた。

 ある日曜日の午後、ブラットとメリッサはリビングのソファでくつろいでいた。

 「おい、何か匂いがしないか」

 ブラットがふと呟いた。

 「いえ何も」

 向かいのソファに座って雑誌を読んでいたメリッサは気だるく答えた。

 「いや、これは人の匂いだ。男の匂いがする」

 「何を言い出すの。あなたの匂いじゃないの?」

 「違う、何だろう。そうコロンだ。俺はつけないぞ」

 「コロン?そんな匂いしないわよ」

 ブラットとメリッサの口調が少しずつきつくなった。

 「メリッサ、まさか浮気にしているのか」

 「何言っているの。そんな事しないわ。どうしたの?」

 ブラットの目つきが鋭くなったのをメリッサは感じた。

 「誰だ!ジェフという奴か!」

 ブラットが口に出した名前にメリッサは思わず言葉が詰まった。

 「ちょっと何なの!」

 「いつも寝言で言っているジェフって奴は何だ!寝たのか!」

 「それは…」

 「何だ!言ってみろ」

 ブラットのまくしたてる口調に苛立ってメリッサも喧嘩腰になった。

 「昔の恋人よ。もう死んだけど」

 メリッサの血走った眼差しにブラットは圧倒された。

 「そ、そうか。いや…すまない」

 ブラットが急に小声になった。

 「全く何なの。あなた少しおかしいわ」

 メリッサは雑誌を手に取り吐き捨てる様に言った。

 二人に気まずい空気が流れた。

 カイルの部屋から物音がした。

 「全く何だ。いつもゴトゴトうるさいな」

 ブラットは立ち上がってカイルの部屋へ向かった。

 「うわあ!」

 上の階からブラットの叫び声が聞こえた。メリッサは反射的に起き上がり階段を駆け上がった。

 メリッサはカイルの部屋のドアを開けようとしたが、びくともしなかった。

 「ブラット、どうしたの!開けて!」

 ドアを叩きながらメリッサは叫んだが、中から物音がするだけで返事はなかった。

 窓のブラインドが全て下りた。家の中がうす暗くなった。

 「ドアを開けて、カイルもいるんでしょ」

 ドアに向かって呼びかけるメリッサの前にまた赤い文字が浮き出た。

 『待っている』

 その途端、メリッサの足元の床が崩れると声を上げる間もなく落ちていった。

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