礼拝詞

「おかえり。どうだった?」

 沙駒美が飲み物を彦七郎と望に差し出しながら訊く。

「ああ、カニって連絡だったけど、コウモリがいたよ」

「え!? コウモリ!? カニはいなかったの?」

 沙駒美が彦七郎に驚きの表情を見せる。

「どうやら、それが奇妙なんだよ。現場でカニとコウモリが戦ってて……」

「仲間割れ? 今まで、そんなこと無かったのに……」

「でさ、カニの方は鎮めたんだけど、コウモリの方は逃げられちまってさ。アイツ、痛がってはいたんだけど回復までが速くて」

「そう。珍しいね」

「そうだな。こちらとしては、飛行型に対しては戦う手段がほとんど無いから、出てこないでくれると、ありがたいんだがな」

「そう、最近は地上型と水中型がメインだったもんね」

「あ、そうそう、ただら杖、ありがとな。これが無かったら、流石に今回はきつかったかもな」

「本当に珍しいね。散々俺にはそんなもの要らない、とか格好付けてた癖に」

 沙駒美はそっぽを向いて言いながら、内心、彦七郎を心配していた。沙駒美の記憶では、今まで彦七郎が妖怪を取り逃がしたなんて事は無かった。例え何匹現れても、必ず全て鎮めてきていた。飛行型も、全て。そうだ、逃がしたのが飛行型でかつコウモリである、というのも心配の種であった。沙駒美は、彦七郎が『ヒビキ』であり続けられるように祈った。

「ま、そんなこと言うなって。こんな俺に、今度から新たにサポーターが付くことになったからさ」

 そう言って、彦七郎は望の方を見る。

「え、あ、あの、よろしく、お願いします」

 戸惑いながらも、望は沙駒美にお辞儀をした。

「え? 本当? じゃあ、これから修行?」

 彦七郎は、ふっと笑い、

「いやいや、気が早いな。まだ正式に決まったわけじゃ無いし、そんなすぐには修行できるわけじゃ無い。お互い、な」

 と言って望の肩をポンと叩く。が、撫で肩のため、ズルッと滑り落ちる。

「おっと。そうだったそうだった。まだコイツもこんなんだしな。修行する前に鍛えて、鍛える前に鍛え方を教えないとな」

 今度はボンっと望の背中を力強く叩く。

「痛って」

 彦七郎はハハハと笑い、

「取り敢えず今日は、いつも俺が戦いの最後にやってる、鎮魂行について教えてやるか」

 と言った。

「え、あの、今日は疲れてるんじゃ・・・・・・」

「え? あ、うん、いいんだよそんなの」

 彦七郎は言い放った。


      卍


 それから望は、『鎮魂行』について教わった。『鎮魂行』には、主に『人の道』が説かれているとのことだ。人としてどう行動すべきかを説き、精神統一をし、それとともに体を整える目的があるようだ。そして、最終的には心と体を鍛える、ということらしい。

 また、普通『鎮魂行』とは、修行の前にやるものであるのだが、彦七郎だけは実戦も含めて『鎮魂行』とし、実戦の後にも普段修行の前に行っているものと同じものを行っているということが分かった。望が、それは何故か、と問うと、妖怪を鎮めた後にも、その場にまだ何か清めきれてないものがあるような気がする、と彦七郎は答えた。まだそこに、悪の気配が残っている気がして気持ちが悪い、と。もう一つの理由は、息が荒くなって、興奮しきった自分をなんとか落ち着かせようとしているらしい。どれだけ鍛えてもまだ鍛えたり無いらしく、そうやってコントロールしないと、人間を失いかけそうになる自分がいるのだ、と。だから毎日『鎮魂行』とともに鍛えているとのことであった。

「鍛えたり無きゃ鍛えるだけだ」

 彦七郎は望にそう言った。

 次に、『鎮魂行』の中に何度も出てくる言葉である『ダーマ』について教えてもらった。『ダーマ』とはインドの古い言葉で『法』と訳される。詳しい意味としては『宇宙の真理・法則の実相・大いなる働き』を表すそうだ。

 しかしこれだけではよく分からない。『ダーマ』とは一体どういうものなのか。簡単に言えば、世界は全て繋がっている、ということになる。例えばここにお茶があるとする。そしてそのお茶を望や彦七郎が飲むことがで散るのは沙駒美が作って出してくれたからだ。もっと言うと、お茶っ葉を作った農家に人がいなければならないし、それを工場で袋に詰める人、スーパーで売る人、などがいなければお茶を飲むことは出来ない。さらには、そのお茶っ葉が育つ為に、土や水、太陽の光も必要だ。と、まあ考えれば考えるほどたくさんのものが関わっていることが分かる。その関わっているものだって他のものが無いと成立し得ないであろう。しかしここで一つ注意しておかなければならないのは、これは『神の力』では無く、『大自然の法則』である、ということだ。そしてこの『ダーマ』の力によって自分を変えることが出来るのなら、良い方向へ変えよう、成長しよう、という考え方のようだ。

 望は修行するにあたって、彦七郎からこんなことを教えられた。しかしまだ正式に鎮魂隊本部に連絡していないので、修行はまた今度ということになる。日も落ちかけている夕方、時間も時間なので、三人は帰ることにした。

「あれ? そう言えばは? 来てるんじゃなかったの?」

 彦七郎が突然言う。

「もうとっくに帰ったわよ」

 沙駒美が答える。

「え? ここから? どうやって?」

「車で送ってくって言ったのに、歩いて帰るって言って」

「アイツも頑張るな。じゃ、俺達も歩いて帰るか」

 彦七郎が望に目を向けて言う。

「何考えてるの。最初っからそんなこと出来るわけ無いでしょ。まだ本部にだって連絡してないんだし、もうこんな時間だし、何かあったらどうするの!?」

 沙駒美が怒鳴る。

「あ、すまんすまん。つい気合いが入りすぎてちゃったな」

「まったく。望くんにもね、帰りを待ってる家族がいるんだから」

「い、いえ」

 望が言う。

「今日は、僕一人なんで。親は、帰ってこないんで・・・・・・」

「え? 親二人とも仕事なの?」

 沙駒美が訊く。

「母は看護師をしていて、今日は夜勤なので帰ってこないんですよ」

「じゃあ、お父さんは?」

「父は、死にました。十年くらい前に、地震で家が倒壊して・・・・・・」

「そ、そう、ごめんね。変なこと訊いちゃって」

 気まずい顔をして答える沙駒美に望は、

「いいんです。彦七郎さんに、皆さんみたいな人に会えましたから」

 と答えた。

「じゃあ今日は長崎屋に泊まっていく?」

「大丈夫ですよ。もう高校生ですから」

「そうだよね。本当に、ごめんね」

 言って、望たち三人は車に乗り、そして、それぞれの家に帰った。


      卍


 それから何週間か経ち、本部に連絡が行き、望は正式に鎮魂隊の組織に入った。今日は修行開始の一日目だ。望は集合時間よりも早く長崎屋に到着してしまった為、店内で少し待たされることになった。今日は日曜日なので客も無い。何もすることが無く、スマホの画面を眺めていると、誰かが店に入ってきた。

「おはようございます」

 初めて見た顔で、誰かは分からなかったが、一応挨拶をした。

「あ、おはようございます」

 店内に入ってきた女性が挨拶を返す。

「ん? あ、もしかして彦七郎くんの弟子になって今度から鎮魂隊で修行をするのって、あなただったの?」

「はい、そうですけど・・・・・・」

「初めまして、榎澤です。まだ始まるまで時間があるなら、ちょっと来てみる?」

 そう言って榎澤は店の奥へ奥へと進んでいく。そう言えば望が店の奥へ入るのは初めてだ。しかし店の奥というと和菓子を作るところか、おやっさんや沙駒美さんが生活している二階へと続く階段しかなさそうであるが、何があるのだろうか。望は興味本位で、まだ名字しか聞いていない正体不明の女性の後ろをついて行くことにした。


      卍


 奥へ奥へと進んで行き、二階へ続く階段も通り過ぎると、遂に行き止まりの壁にぶち当たってしまった。

「榎澤さん、ここは?」

 訊くと、榎澤はふふふっと笑い、壁を押した。するとそこにはなんと、地下に続く階段があったのだ。

「え、榎澤さん、これって?」

「ここは山梨県支部だからね」

 そう言って階段を降りていった。


      卍


 地下には古い書物のある部屋や、この前彦七郎さんが戦闘に使っていた杖と同じものなどがずらっと並んだ部屋などがあった。望は榎澤に連れられ、一台のパソコンが置いてある部屋に入った。榎澤はパソコンの前の椅子に、望は近くに置いてあった椅子に榎澤と向かい合って座った。

「改めまして、初めまして。榎澤みかりです」

「初めまして、飛鳥望です」

 榎澤の挨拶に望が応える。

「実はね、地下が本当の山梨県支部なの。ここ、地下には江戸時代とかもっと前の時代からこの山梨県に伝えられてきた妖怪たちに関する資料とかを収めてあったりするの。もちろん最近の記録もあるのよ。最も手書きじゃ無くてパソコンで記録するんだけどね。私はそういう記録をしたりして最近の妖怪について詳しく研究したり、その妖怪の対策法を、ここで日々考えてるの」

 そう言って榎澤は立ち上がり、彦七郎さんが使っていたものと同じような杖を持って来た。

「この杖はね、その対策法として開発されたものなの。目には目を歯には歯をって言うなら妖怪には妖怪をってことで開発したの。このカイタマっていう球体を、妖怪一本ただらを模した杖の目玉にセットすることでザリガニとかカマキリとかクモとかの巨大生物を召喚できる。研究に研究を重ねてやっとの事で開発した代物なの。まだ鳥みたいなのは研究中で、召喚できないんだけどね」

「榎澤さんが作ったんですか!? 凄いです!」

 望が感動して声を上げる。

「私だけの力じゃ、無いんだけどね」

 そう言って榎澤はパソコンの横に置いてある写真立てに目をやる。その写真には二人の男性と、その間に一本ただらの杖を持った一人の女性が写っていた。日付は2003年4月17日とある。

「この写真って・・・・・・」

「この真ん中にいるのが私でね、右が彦七郎くん。そして左が、指宿いぶすきくん・・・・・・」

 指を指しながら榎澤が言う。

「この杖はね、三人で協力して、この日にやっと完成したの。それで記念に撮ったのがこの写真」

「三人で? 彦七郎さんも制作者の一人なんですか?」

「そう。ていうか、私達三人は元々同じ大学に通ってた同期で、三人とも科学者なの」

「え?」

「あ、やっぱり聞いてなかったか。私と指宿くんは化学専門で、彦七郎くんは生物学専門なの。だからこれは三人の知恵を絞って作り上げたものなの」

「そうなんですか」

「最近彦七郎くんは妖怪退治やら修行やらで忙しいから、もう研究はほとんどしてないんだけどね」

「この、指宿さんって人は?」

 望が訊くと榎澤は首を振って答えた。

「この人は行方不明なの。丁度この杖が完成して、少ししたらいなくなってた。妖怪の発生原因について調べなきゃってずっと言ってた・・・・・・」

「す、すみません、なんか・・・・・・」

「いいの、こっちの話だから・・・・・・。でも、そんな時だからこそ、新メンバーは助かるよ。最近は若い子が減ってるからね・・・・・・。皮肉なことに、鎮魂隊はここ何年かは人手不足で大変なのに対して、妖怪は数年前から異常なほどに増えてるのよね」

 そんな会話をしている時、地下室のこの榎澤の部屋に、誰かが入ってきた。

「あれ? おはよう九尾さん、どうしたの?」

 榎澤が部屋に入ってきた少女に向かって言う。

「この前のコウモリとカニに関するデータを持ってきました」

 望は振り返って、少女の顔を見る。少女も、目の前にいる少年の顔を見る。

「「あれ?」」

 少年と少女、二人の声が重なった。

「望くん!?」

「桐子!?」

 そう、この部屋に入ってきたのは望と同じ学校に通う同級生の桐子だった。

「「どうしてここに?」」

 再び二人の声が重なった。

「九尾さんはずっと前から鎮魂隊に所属してるの。あの日も、妖怪がいるかもしれないって九尾さんが連絡してくれたから彦七郎さんが現場に向かうことが出来たの」

 榎澤が桐子の方から説明した。

「そして、望くんはね、今日から正式に彦七郎くんの弟子になることが決定したの。今から修行と稽古始めって事で礼拝に行くみたいよ」

「え!? 望くんが!?」

「ま、まぁ、そんな感じです」

「こんな頼りない望くんに出来るの?」

「え・・・・・・、まぁ・・・・・・」

「彦七郎くんに厳しく指導してもらうらしいから心配ないよ」

 と榎澤が一応フォローをいれる。

「あ、そう言えばもうそろそろ時間じゃない? 九尾さんも、望くんの記念すべき稽古始めを見送ってあげましょう、ね」

「はい」

 三人は階段で一階に上った。


      卍


 持永は、スマホの画面を見ていた。そこには持永と、中央に虎の絵が描かれたツバ付きの帽子を被った少年――虎太郎の姿があった。何十枚もの同じ様な写真を、持永いくみは眺めていた。そう言えば、あの日も、この帽子被ってたっけ? 虎太郎はいつもこの帽子を被ってたよなぁ。そんなことを想っていた。どれだけ悲しんでも、どれだけ憎んでも、彼はもう戻ってこない。彼を選んだのは間違いだったか。少なくとも彼を選ばなければ、ここまで苦しい思いをしないで済んだのに……。いや、そんなことは無い。そんなことは無い。望なんかよりは遥かに私のことを解ってくれる素敵な人だった。私が何も言わなくても、私のことを気遣ってくれて、私が一番して欲しい対応をしてくれる。適切な行動、適切なアドバイス、適切な返事……。彼は、何もかもが素敵だった。彼と私は心が通じ合っている様な気さえした。まるで一つになっているかのようなあの感覚……。でも、もうあの時には戻れない。あのような感覚は一生体験できないかも知れない。そんなことを、あの日からずっと考えている。何もする気が起きない。ただただ、スマホの中の幻を見続けているだけである。

 ふと、以前学校で望に言われたことを思いだした。確か、長崎屋に来てみないか、みたいなことを言ってたっけか。そういえばあの日、長崎屋でも六十代くらいの、おやっさんと呼ばれた男性も、困った時には相談に乗る、みたいなことを言ってたような……。

 ちょっと気晴らしに外へ出てみようか。持永は立ち上がり、玄関へを進めた。


      卍


 一階に上がると、既に彦七郎とおやっさん、沙駒美とその妹がいて、望が来るのを待っていた。

「おう、やっと来たか。地下には色々あって面白かったか?」

「はい」

「じゃ、行きますか」

 と、そこへ、来るはずのない客がやって来た。今日は、日曜日は定休日なので、普通は誰も来ない。

「こ、こんにちは」

 俯き加減に入ってきた少女、それは……、

「も、持永!?」

「え!? あれ? 望……くん。それと……」

 持永は、望の隣によく知る顔があるのに気が付いた。

「き、桐子も? どうして……」

「あ、ああ、あのね、九尾さんはよくこの店でアルバイトしててね、縁があるの。で、望くんは……」

 沙駒美が咄嗟に説明をする。

「望くんはね、今日もまたカウンセリングに来たの。これから彦七郎さんと一緒に気晴らしに外へ行くらしいから、君も見送ってやってくれ」

 沙駒美の説明をおやっさんが受け継いで説明する。部外者にはなるべく、鎮魂隊に入っていることなどを話さない方が良い、という考えの下、おやっさんは嘘をついた。なぜなら鎮魂隊は昔から批難の対象であるからだ。例え相手が批難するような人でなかったとしても、それが口伝えで広まるのを避けているのだ。

「そう、なんですか……」

「望、そろそろ行くぞ」

「はい」

「「「「行ってらっしゃい」」」」

 おやっさん、沙駒美の妹、榎澤、そして桐子が言う。その光景を見た持永は、咄嗟に作った愛想笑いで、

「い、行ってらっしゃい・・・・・・」

 そう言って見送った。が、彦七郎と望、それからドライバーの沙駒美が店から出て行った後、一瞬にして持永は暗い表情に戻る。

「もしかして、望と桐子って・・・・・・」

 持永は、誰にも聞こえない声で呟いた。

 その後、店の中に案内された持永が、悩みを打ち明けることはなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る