誓願

 木々の中で、一人の男が安坐している。声は発さず、ただ静かに安坐している。その男とは、先程、巨大な蜘蛛を爆散させた、あの【おじさん】だ。今、望は負傷した持永をみんながいるところまで連れて行き、戻ってきたところだ。【おじさん】の前には、土の塊と時期的におかしな枯れ葉、それから、虎太郎の亡骸があった。その様子を、望は黙って見ていた。

 しばらくすると、

》》》

 という物凄く気合いの入った大きな声が木魂した。突然のその大きな声に、望は思わずその場に足を滑らせて倒れてしまった。

「うわっ」

 望のそのだらしない声も気にせず、【おじさん】はその場に直立した。

》》》

「一、我等は、魂をダーマよりうけ、身体を父母よりうけたる事を感謝し、報恩の誠をつくさんことを期す」

 と、なにやら言い始めた。暫くして、全てやるべき事が終わったのか、正面に合掌をすると、大きく息を吸い、踵を返し、こちらを向いた。その目は、まっすぐだった。


      卍


 それから、望をはじめ、中学同窓会という名のバーベキューをしていた一同は【おじさん】の知り合いが運転する何台かのワンボックスカーに乗せられた。車の中には、ただただ泣く者、黙って下を向く者など様々であったが、望はボーッとしていた。そうすることしか出来なかった。今日、自分達の身に何が起こったのか、実感が湧かなかった。


      卍


 三時間ほど経つと、車は長い歴史を感じさせる古い店に駐まった。そこで全員降ろされ、店の中へと案内された。店の中に入ると、中には二人がけと四人がけの長方形の机が幾つかあり、丁度一同全員が座ることが出来た。机の上にはメニューが書かれたプレートが立ててある。どうやらここは甘味処らしい。暫くすると、奥から六十代ぐらいの男性がやって来た。

「いやぁ、みんな大変だったね。今日の事はみんなの学校の先生達に知らせておくから……」

 そう言って、椅子に腰を掛ける。

「山の中には、昔から、ああいった生物がいるから、これからは、君達だけで行くのは……」

「大人がいたら」

 男性の話を遮り、山元が悲しみの声を発した。

「大人がいたら、安全だったんですか? 大人がいたら、虎太郎は助かったんですか?」

「それは……」

「すみません、おやっさん……」

 息詰まった男性――おやっさんに【おじさん】が謝る。

「あ、いや……」

 急に謝られたおやっさんは咄嗟に反応する。

「大体、ああいった生物ってなんですか? そんなもの、知りませんよ」

 山元が強く訴える。そりゃそうだ。普通は、知るはずもない。

「あの生物は、実は我々にも正体が分からないんだ。分かっているのは、遥か遠い昔から、幾度となく発生し、その度に人間を襲ってきた。そしてそれは『妖怪』として伝えられてきた」

「妖怪……」

 その話に一同は響めいた。

「そしてそれを我々は、自然災害、もしくは事故として隠している。だから明日、自然災害か事故として報道され……」

「ふざけないでよ」

 山元が声を上げる。

「嘘の報道を黙って聞いてろって言うの?」

「本当に、本当に申し訳ないことだが、上からの命令でな。悲しいことに、これが大人の世界だ」

 おやっさんは、そう言って目を擦った。

「みんな、今日はここで休んで行ってくれ。そしてこれからは、強く生きろ」


      卍


 ゴールデンウィーク明け、学校へ行くと生徒達は体育館へ集められた。校長がマイクの前に立ち、重い表情で語り始めた。

「ゴールデンウィーク。本来であれば楽しい連休であるはずでありますが、とても悲しい知らせが入ってきています。単刀直入に言いますと、えー、その……、一年C組の飛倉ひぐら虎太郎が……、この世を、去りました。詳しく説明しますと、五月五日に友達とバーベキューをしていた時に、誠に信じがたい話ではありますが、日本にいるはずのない毒蜘蛛に……、刺された、と鎮魂隊から連絡を受けました」

 鎮魂隊、という言葉を聞き、バーベキューに行った一同は顔を見合わせた。そうか、あれが鎮魂隊だったのか。新聞やテレビ、それからネットニュースなどで時折目にするあの謎の組織――鎮魂隊。よくマスコミや野党に叩かれている組織だ。確か、公式的な活動内容は特殊自然災害の対策とかで、実際何を行っているのかはどこのメディアも報道していない。ただの税金泥棒だと言われ続けてもうじき一世紀半となる組織だ。

「皆さんにとって最も大切なものは、命。この命が失われたことは、本当に残念です。鎮魂隊のこれからの活動により、この毒蜘蛛が何故、どうしてその場所にいたのか、少しでも判明することを願います。では、二度とこのようなことが起こらないよう、飛倉虎太郎くんに対して、これから一分間、黙祷を捧げます」


 ――黙祷――


 授業が始まり、ガランとした虎太郎の席を見て、初めて虎太郎が死んだということを実感した。すると涙が溢れ出し、目を擦っても擦っても止まらなくて、黒板が見えなかった。勝也はいつもと百八十度別人で、物凄く静かだった。持永は泣き疲れたのか、授業中寝ていることが多かった。起きている時は焦点の合わない目を向けていて、一番重傷ではないかと思われた。そんな持永に、望は掛けてやる言葉が思いつかなかった。こんな調子だったのは望を含めたこの三人だけでなく、教室中が、いや当然ながら学校中がそうであった。


      卍


 望は、その日の学校が終わってすぐ、例の店へ足を向けた。あの日、帰る前におやっさんと呼ばれた男が一同に、「また何かあったら、いらっしゃい。何でも相談に乗るから……」と言っていたというのもあるし、色々と聞きたいことがあった。店の戸を開けると山元とおやっさんの姿があった。

「はい、いらっしゃい」

 おやっさんがゆったりとした口調でこちらに言う。

「ど、どうも」

 望はそう受け答えをすると、おやっさんに手招きされ、山元の隣に座るように促された。

「ま、お茶でも飲んで……」

 おやっさんは望にお茶を差し出した。

「あ、あの、その……色々とお聞きたいことがあるんですが……」

 お茶を出され、一礼した望が言う。

「あなた達は一体……」

「あ、そうかそうか。自己紹介がまだだったか。いや私はね、この店の店主で……、気軽に、おやっさんって呼んでくれればいいから……」

「あ、いや、そういうことではなくて……、あなた達は……」

 言いかけた時、店の奥から見覚えのある顔がやって来た。

「あ、おやっさん。例のツチグモのデータが出来ました」

 望は反射的に「おじさん!」と叫んでしまった。

「おう、久し振り」

 おじさんは望に手を振りながら言う。

「え、なになに? 君達、知り合い?」

 その光景を見たおやっさんはそう反応せざるを得なかった。

「いやぁ、あの、最近さ、万引き男に絡まれてたっていう例の……」

 と、おじさんは軽く説明する。

「ああ、君か。君がその……。それはまた大変だったねぇ」

「あ、その節はどうも」

 望が軽くお辞儀をする。

「あ、あの……それでは、私はここで……、あ、あの……、用事が、あるので……」

 と、山元は席を外した。

「あ、そうか。じゃあまたゆっくりしにおいで」

 おやっさんが愛想よく言う。

 山元は去り際、

「あ、それと望。いくみのこと、ちゃんとフォローしてあげてね」

 と言い、この店を後にした。

「じゃ、私はちょっとツチグモのデータの確認でもしとくかな」

 おやっさんは店の奥へと消えていった。その場には望とおじさんの二人が残された。おじさん――そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。

「改めまして、飛鳥望です。おじさんは……」

「彦七郎です」

 おじさん――彦七郎が間髪入れずに答えた。

「あ、あの……、みょう」

「彦七郎です」

 望の質問を遮り、彦七郎が答える。

「いや、そうでなくて……みょ」

「彦七郎です」

 何度も質問を遮られるので、今度は素早く、

「彦七郎さんの名字は?」

 と言った。

「俺の名字なんて訊いてどうするの?」

「そ、それは……」

「名前で呼んでくれればそれでいい。それより少年、他になんか話したいこととかあってここに来たんじゃないのか?」

 そうだ、それよりもっと重要なことを幾つか訊きに来たのだった。

「あ、その、彦七郎さん達って……、鎮魂隊なんですか?」

「ああ、そうだよ。世間じゃ叩かれる一方だけどな。ま、世間から嫌がられようが、罵倒浴びせられようが、俺は除隊する気は無いぜ」

「なんで……、なんで彦七郎さんはそんなに強くいられるんですか? ただ叩かれるだけで良いんですか? 僕は、この事があるまで鎮魂隊が、どんな組織か全く知りませんでした。多分、みんなそうだったと思います。妖怪がこの世に存在していることだって……、もっと世間に知られれば……」

「外出する時に注意できれば、人が死ぬことがなくなるって? そんな甘いことはないなぁ。国民を恐怖に陥れたところで何も変わらないよ。みんな、身動きがとれなくなってしまう。事件現場とかっだって本当だったら写真とか撮って公式活動記録として報道しなくちゃならないんだけど、それも撮影困難だとか撮影できても画がグロすぎるとかで規制がかかって報道できない。ただ言葉で妖怪退治してますなんて言っても信用してくれない。等々の色んな事情があって、活動内容を極秘にせざるを得なかったんだよ。そんな組織が、もうじき一世紀半になっちゃうっていうことだな」

 なるほど。大人の事情って奴か……。しかし、望にはもう一度訊き直したいことがあった。

「でも、だからって……、叩かれるだけなんて……」

「俺さ、この仕事初めて十五年経つんだけどさ、思うんだよね。英雄は、英雄になろうとしたら、アウトなんだってね。それにさ、こういった活動が明らかになって、俺達が英雄として崇められたら、もう終わりだと思うんだよね。何もかも……。英雄が生まれるのは不幸な時代。悲しい時、何か悲しいことが起こっている時だろ? この世に妖怪がいるって事が知れて、俺達の活動が日々報道されてみろ」

 望は、そんな最悪の事態を想像し、納得した。

「もう一つお訊きします。彦七郎さんは、何でそんなに強くいられるんですか?」

「鍛えてますから」

 即答し、腕の筋肉を見せた。

「ま、縁の下の力持ちってとこかな」

 それを聞いて望は笑った。落ち込んでいた心が、少しすっきりした感じがした。同時に、またここに来たいと思った。


      卍


 翌日、望は少し元気に登校することが出来た。昨日、山元に持永をサポートするようにと言われたので取り敢えず持永を例の店へ誘ってみることにした。

「あ、持永。今度さ、あの店に行ってみない? おじさん達と喋っ……」

「いいよ。気を遣わなくて良いから……」

「え……」

「一世紀以上もヒーローがいたにも関わらず、なんで虎太郎が……、どうして虎太郎が……」

 持永はまた泣き出し、走って行ってしまった。そうか、よく考えてみれば一世紀以上もヒーローはいたのか。それを知らなかっただけで。ということは今までずっと不幸な時代だったのか? はっきりと平和な時代でした、とは言えないかも知れない。でも、不幸ってのともちょっと違う気がする。難しい話だ。それにしても親友の持永一人誘うことも出来ないとは、僕は鍛え足り無いのか……。今度の日曜日にもう一度一人であの店へ行ってみることにした。


      卍


 日曜日、開店時間に店を訪れたが何分待っても開かない。どうしたのかと思っていると、二階の窓が開き、おやっさんが顔を出した。

「おお、来てたのか。ごめんごめん。日曜日は定休日だっていうのを伝えるのを忘れてたよ。今行くから、ちょっとそこで待ってなさい」

 そう言って窓から顔を引っ込めた。それから暫くして、ドアが開いた。

「さ、いらっしゃい」

「あ、どうも。彦七郎さんは?」

「ああ、彦七郎はここで寝泊まりしてるわけじゃないから、普段はいないんだ……、けど今日はいるよ。残念なことにここ最近はヤツラが頻繁に発生するようになったからねぇ。そのデータ解析とかで忙しくて……」

「あ、そうなんですか」

 店の椅子に座るよう促され、望は椅子に座る。おやっさんは店で普段売っている和菓子とお茶を二人分持ってきて椅子に座る。

「昔じゃあね、県内で月に一体出るか出ないか位だったのが、最近じゃ毎週のように出るようになっちゃって……」

 週に一体。それでも昔は月に一体も出ていたという頻度に望は驚いた。そんなに多くの危険が自分の身の周りで頻繁に起きていたということに……。

「ところで、前に来た時に訊き忘れてたんですけど、鎮魂隊と、このお店の関係って……」

「ああ、それはただしょう寿じゅけん長崎を山梨県支部として利用してるだけだよ」

「しょ、しょうじゅ……?」

「ん? この店の名前だよ。松寿軒長崎。屋根上の看板に書いてあるはずだけどな……」

「あ、ああ、店の名前ですか。そう言えば、横書きで、右から左に書いてあるのをちらっと見ました。戦前の書き方ですよね。左から右にしかなれてなくて、戸惑いました」

「まぁ、それだけ昔からやってるって事だなぁ」

「鎮魂隊が設立されて、もう一世紀半ですもんね」

「ああ、国から正式に設立されたのは明治時代だが、江戸時代にも存在していたという記録が古い資料にはあるんだよ。正確にはいつ頃から存在していたのかは分かっていないんだよ」

「でも、どうしてお店に?」

「まぁ、それはあれだな。資金稼ぎに……」

「え、でも国からお金が出ているんじゃないんですか?」

「そこを突かれると痛くてね。まぁ、先祖代々鎮魂隊の活動の傍ら、こうして団子なんかを作っては、ちょっとした資金稼ぎをね」

 そう言い、おやっさんはどうぞと机に出されたお茶と和菓子を勧めてくる。

「今日はお金を取らんから」

「あ、どうも。すみません、なんか」

 望は団子を一口食べ、お茶を啜った。

「それにしても、山梨県なのに松寿軒って面白いですね」

「ああ、そういえばそうだな」

 言って、おやっさんと望は笑った。

「あれ、おやっさん? と少年!」

 不意に現れたその声にビクッとした。

「どうしたの今日は」

「ちょっと気になったことがあったので……」

「お、おう」

「あ、ところで、あれから考えたんですけど……、英雄が生まれるのは不幸な時代って、本当にそうなんでしょうか」

「え、ああ」

 彦七郎が頭を掻く。

「彦七郎さん達は、英雄じゃないんですか? 今は、不幸な時代なんですか?」

「ん? いや、まぁ、それは……」

 彦七郎が珍しく言い淀み、また頭を掻く。その様子を見たおやっさんは唸り、

「難しいことを言うねぇ」

 と言った。そこへ突然、店の奥から若い女性が走ってきて、一報を入れた。

「大変です! こないだ、ツチグモが現れた場所で、今度はカニボウズが!」

「ああ、バケガニか。よし、じゃあ、おやっさん、それから少年、行ってきます」

 と彦七郎が敬礼する。

「ちょっと待て、どうせだったら望くんも連れて行ったらどうだ?」

「でも、おやっさん……」

 しかしおやっさんは「いいから」と言い、望には、

「望くんも、行ってみたらどうだい?」

 と促す。すると突然、

「はいじゃあ行くよ」

 更に店の奥からもう一人、若い女性が出てきて望の腕を掴んだ。

「私が運転するんで」

 と車の鍵を見せる。

「え、ええ!?」

 望と彦七郎は揃って声を上げる。

「本当に連れて行くの?」

 思わず彦七郎は問うた。

「当たり前田のクラッカーってね。それじゃ、行ってきまーす」

 そう言って敬礼し、望と彦七郎を店から引き摺り出した。

「さ、さすが姉上……。行動力が凄まじい……」

 カニボウズ発見の一報を伝えた女性は、そう呟いた。


      卍


 望と彦七郎はワンボックスカーに乗せられた。あの日、望たちを長崎屋まで連れてきた車だ。

「なんで……、運転を?」

 運転席の女性に望は声を掛けた。

「ヒビキさんが機械音痴で運転できないからよ」

「ひ、ヒビキさん?」

 聞き慣れない名前を聞き、望は聞き返す。

「あ、ああ、そうそう。妖怪退治を任される人はみんなコードネーム、愛称が在ってね、彦七郎さんのことは、みんなそう呼んでるの」

「そんなことより機械音痴ってなんだよ、機械音痴って」

 彦七郎が口を挟む。

「だって本当の事じゃない。こないだだって、ヒビキさんに免許取って貰おうと思って、その後押しに舘ひろし主演の『免許がない!』を見せてあげたのに……」

「バカ。あの映画見て免許取りに行きたいと思う奴があるか!」

「行きたくなるでしょ。セクシーな教官に逢いたくないの? それに、舘ひろしが好きって言うから見せてあげたのに……」

「アホ。セクシーな教官とか、そういうのじゃないんだよ。大体な、免許なんて俺は取るつもり無いんだよ」

「何かあったらどうすんのよ」

「何かって?」

「あらゆる場合にも臨機応変に対応できるように、毎日毎日修行してるんじゃなかったっけ? そんなんで、妖怪退治が務まるんですか? それも、修行の一環なんじゃないんですか?」

 と、車中に響く声で女が言う。

「はいはいはいはいはい。こっちはね、最近その妖怪退治で忙しいの」

「じゃ、ヒビキさんの代わりになる人がいればいいのね」

 運転席の女が何かを含んだように言う。

「そ、そうだけど何? 俺の代わりになれる人なんてそうはいないよ。俺、まだ四十代にしてベテランですから」

「そんなこと言ってると、あと何年かしたら若者に抜かれるよ」

 という忠告に彦七郎は、

「抜かれるもんですか」

 と吐き捨てた。


      卍


 車は再び、あの場所へ来ていた。

「それじゃ、行ってきます」

 車から降りた彦七郎は運転席の女――に敬礼をした。

「あ、ちょっと待って。相手はバケガニだから……一応これ、持ってって」

 沙駒美は一本の杖を彦七郎に手渡す。その杖は、妖怪‘一本ただら’を模してある。

「こんなの使わないから」

「いいから持ってって。何かあったら大変でしょ」

 沙駒美は強く言う。

「はいはい」

 そう言って彦七郎は走り去っていった。その背中に沙駒美は、

「気を付けてね」

 と叫んだ。それから暫くして車の中を覗き、

「どうしたの? 望くんは、行かないの?」

 と口にした。

「行きます。行ってきます」

 望は彦七郎の背中を追い掛けた。


      卍


 そこは、先週ここに大きなクモの巣が張られて、クモが現れて、暴れ、そして虎太郎が死んだとは思えないほど綺麗になっていた。

「どこだぁ?」

 言いながら彦七郎は辺りを見渡す。すると、バシャバシャという水の音が聞こえた。

「水? 川? あっちか」

 彦七郎は再び駆けだした。


      卍


 そこは、肉を焼いて、みんなで食べた場所だった。今そこには、カニがいる。これまた大きなカニが。

「見つけたぞバケガニ野郎」

 彦七郎は沙駒美から渡された杖をその場に置き、合掌をすると、

「鎮魂行、開始」

 と言い、カニの後ろへ廻った。そのカニの大きさはというと、先週見たクモと同じくらいである。彦七郎はそのカニを、ちゃぶ台返しの如くひっくり返した。そしてそのカニの上へ乗った時、突然の突風により、吹き飛ばされてしまった。

「なんだ? 今の風は」

 振り返るとそこには大きなコウモリが飛んでいた。

「なんだなんだ。邪魔しやがって」

 彦七郎はコウモリに向かって叫ぶ。すると、驚くべき事が起こった。コウモリがカニに突進したりと、コウモリがカニを攻撃し始める。

「おいおいおいおい。どうなってんだよ」

 彦七郎はその様子を呆然と眺める。

「ま、ここはどっちかが勝つまで待って、それからにするか……と、言いたいところだが、戦った方が良さそうだな。あのコウモリと」

 カニは彦七郎がひっくり返した事により、まだ起き上がれずにいる。その為、ただただカニが攻撃を受けているだけであった。このままコウモリが勝ってしまい、コウモリがどこかへ飛んで言ってしまっては困る。コウモリがカニを攻撃し、ここに留まっていてくれることを好機だと思い、まずコウモリを倒すことにした。しかし、コウモリを倒している間にカニが起き上がり、カニに襲われてしまっては元も子もない。ならば、あれを使うしかないか……。

「少年。その杖を俺に向かって投げろ」

「あ、は、はい」

 望もただ呆然とカニとコウモリの戦いを見ていた為、反応が遅れてしまった。望は杖を拾い、どう使うのだろう、と疑問を抱きつつ、それを投げる。彦七郎がキャッチすると、ポケットから何かを取り出し、妖怪‘一本ただら’を模したその杖の‘目’に装着した。

「行け、ザリキング」

 彦七郎は杖を地面に刺す。すると、地面からは黒い煙が発生した。そこに丁度、コウモリが熾した強い風が吹くと、その場に発生していた黒い煙が流れ……。

「うをっ」

 と思わず望はその場に倒れ込んでしまった。なぜならそこには、大きなザリガニがいたのである。

「久し振りだな。元気にしてたか? 行くぞ」

 杖を地面から抜いた彦七郎は、そのザリガニに言い、杖を持ちながらザリガニの尻尾の方へ走る。走りながら尻尾に乗ると、ザリガニは尻尾を大きく上に振った。ザリガニの尻尾がジャンプ台となり、彦七郎は空高く打ち上げられた。杖を大きく振り上げ、上空を飛ぶ大きなコウモリの羽を叩き付けた。それから彦七郎は杖を両手で持ち、自由落下をする。その間、ザリガニはカニの動きを封じ、起き上がれないようにしているところに彦七郎が着地、と同時に杖をカニの腹に刺す。数秒、間を置き、カニは見事爆散した。さらに、爆散と同時に宙返りをし、地面への着地も成功する。その後、空から大きなコウモリが落ち、爆散……、するかと見えたが、落ちてきたコウモリは爆散せず、その場に倒れていた。彦七郎は振り返り、

「ん? なんだ、しぶとい奴だな」

 言いながら近付くと、急にコウモリは宙に舞う。

「何? 全然効いてないじゃねーか。いや、回復……したのか?」

 杖で羽を叩いた時のことを思い出し、その時は効いていたことを確認する。コウモリは再度、突風を起こし、飛び去っていった。

「くっそ、逃がしたか。なんなんだ、アイツ」

 そんな中、望はある違和感を感じていた。

「あのコウモリ、耳が三つあった……」

 望は呟いていた。


      卍


 バーベキュー用の折り畳み式の机と椅子を並べ、椅子に座って新聞を読んでいる沙駒美のところに、とある女子高校生が姿を現していた。

「こんにちは、沙駒美さん」

「あ、あれこんにちは。また一報入れてくれたみたいじゃない。ありがとね。あ、お茶でも飲む? 座ってゆっくりして行きなよ。帰りは送ってってあげるからさ」

「大丈夫です。自分で帰ります」

「あ、そう。じゃあ、気を付けて帰ってね、桐子ちゃん」

 沙駒美は手を振って見送った。


      卍


 山奥のボロ屋の中、二人の者が喋っている。

「どうでした?」

「すまない。途中でヒビキが現れて、ヤツを逃がした」

「カニは?」

「土に帰りました」

「そう、次はちゃんと捕まえるなり殺すなりしないとね。いつまた来るか分からないからね。それにしても厄介ですね」

「それから一つ、分かったことがあります。自発型は傷の治りが早い……」

「なるほど。研究しなければな……、色々と」

 ボロ屋の中には籠や檻が有り、その中にはカエル、カマキリ、ハチ、ヘビやクマ、それからクモ、カニ等、多数の生き物たちがいた。


      卍


 再び杖を地面に刺し「ザリキング、よく頑張ったな」と言うと大きなザリガニは黒い煙に包まれ、姿を消した。それから彦七郎は、蟹が爆散した方を向き、直立し、手をへその辺りで組んだまま、なにやら言っている。望はその様子をずっと見ていた。それは》》》から始まり、今、》》》と彦七郎さんが言った。そういえば先週、同じ事をやっているのを見た。これはなんなのだろうか。彦七郎さんは正面に礼をしている。終わったのだろう。望は彦七郎の下へ駆け寄った。

「彦七郎さん、お疲れ様です」

「おう、ありがとな。杖投げてくれなかったら倒せなかったかもな。後で、沙駒美にもお礼言わないとな」

「そうですね。ところで、その杖、一体何なんですか? それと、最後、いつも何やってるんですか?」

 望には訊きたいことがたくさん有った。

「おいおい、いっぺんに訊かないでくれよ。ま、そうだな、この杖は毒をもって毒を制すってところかな」

「な、なるほど」

 望はまだよく納得できない様子で返す。

「じゃあ、最後のは?」

「最後のは、簡単に言うと、その地を清めて、自分のあるべき姿を言い聞かせてるって感じかな。ま、詳しい説明は長くなるから後にしてくれ。ちょっと疲れたからな」

 話しながら彦七郎と望は木々の中を歩いていく。突然、二人同時に立ち止まった。虎太郎が死んだ場所だ。何事もなかったかのようにその場は片付けられていたが、望には、まだそこに虎太郎がいるような気がした。実は行きで来た時からずっとそんなような感じがどこかでしている。どこかで、助けてくれって叫んでいる声が、望には聞こえた。そして、涙とともに、何かが込み上げてきた。

「彦七郎さん、やっぱり僕は、ヤツラが許せません。どうして、どうして……」

「すまなかった……。俺が、俺がもう少し早く来てれば……」

 彦七郎が目を閉じ、下を向く。

「彦七郎さんのせいじゃありません」

 望は言う。

「英雄が、英雄が目立ってしまうのは不幸な時代だと、僕も思います。でも、完全に平和な時代なんて無い、とするなら、英雄が生まれるのは不幸な時代なんかじゃ無いと思います。逆に言うと、英雄は常に必要不可欠な存在で、英雄がいない時代こそ不幸な時代だと、僕は思います。考えました、ずっと考えました、だから、僕を、飛鳥望を、鎮魂隊に入れて下さい! 虎太郎の為にも、持永の為にも、みんなの為にも……」

 目を開け、望を驚いた表情で見つめた彦七郎は暫くしてから笑い、

「なんだ、英雄になりたいのか? そんなんじゃなれないぞ」

 と言った。それに対し望は、

「ち、違います。僕は、僕はみんなの為に、彦七郎さんみたいになりたいんです」

 と言う。それを聞いた彦七郎は頼もしく思ったのか、もう一度笑い、

「それじゃあ俺に付いて来い」

 と言い、車を駐めた方へ、歩き出した。

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