夜のパヴァーヌ

 夜も8時を過ぎ、秋風が冷たい。

 市民センターに近い小さな公園は、ひとけがなく早くも眠りについているようだった。

 センターから出た内藤さんは駅へは向かわず、この公園にやってきてブランコまわりの柵に腰掛けた。そうして帰ろうとする様子がない。

 

 かつん、かつん。

 先ほどから一定のリズムで微かな固い音がする。

 音源を探すと、街灯の明かりの中に小さな影が踊っていた。甲虫が繰り返し電灯にぶつかっているのだ。体当たりしては跳ね返され、それでもまた光に吸い寄せられ体当たりをしている。

 かつん、かつん。

 あんなに強くぶつかって痛くないのだろうか。聞いている方が辛くなってくる。 

  

 ――内藤さん、もういいです。新しい楽器を買ってください。

 あなたは多分、何もかも捨てて飛び去って行ってしまった真弓さんとは違うやり方で、それまでの自分を否定するのではなく全部抱えて持ったまま前に進もうとしたのでしょうが、やはり「私」という荷物は重過ぎる。

 ごめんなさい。私も頑張ってはみたけれど、どんなに取り繕って自分を変えようとしても持って生まれた性質は変えようがないみたいです。

 

 打ちのめされ、情けなく問わず語りをしていると、身じろぎ一つしなかった内藤さんが私のケースに手を伸ばした。不安定な態勢ながら姿勢をしっかり保ち、ケースを膝の上に乗せて私を取り出す。マウスピースに軽く息を吹き込む。そしてゆっくりと立ち上がった。

 深く息を吸い込み、滲みだしてくるような柔らかなピアニッシモで音を奏で始める。

 この曲はフォーレの『パヴァーヌ』だ。何かを悼むような、嘆くような厳かなメロディー。

 夜の公園の静けさを乱さない抑えられた音は、泣いていた。けれどそれはどこまでも澄んでどこまでも清らかで。美しかった。

 他に誰も聞いていなくても、自己満足と言われてもこれだけは胸を張って言える。こんな音を出せるのは世界中でこの人だけだ。この人と、私だけだ。


 内藤さん――これでいいんですか?

 心の内で涙を流しながら曖昧に問いかける。どうせ届きはしない問いだ。

 すると、内藤さんが鍛えられた長い指で更に強く私を握りしめた。偶然だろう。でも答えを貰ったような気がして、私はベルを一層震わせ夜の公園に相応しい暗色の音色を響かせた。


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