醸造

 薄暗い空間は蒸し暑く、吐き気を催すようなねっとりと甘い匂いに満たされていた。匂いは壁に並んでぶら下げられているはちきれそうに丸く膨らんだ大きな袋から醸しだされている。

 泡の弾ける音がかすかに響いた。

 じっと息を潜めていた少年と赤い髪の若者は、その音を確認して息を吐き出し、こわばった身体をほぐすように動き出した。少年は袋のひとつの丸く張った表面に両手のてのひらをそっと当てた。袋の表面ははっきりと分かるほど温かかった。赤い髪の若者は別の袋の口を開けた。途端に、熱気を帯びた蒸れた匂いがどっと溢れ出る。若者は思わず顔を背けた。

「これはもう?」

 匂いの直撃を受けた涙目になった赤い髪の若者が少年に尋ねた。少年は開けた袋の口を覗きこみ指を突っ込んだ。その指を素早く引き抜き、舐める。

 少年がうなずいたのを見て、赤い髪の若者は袋の口を締め直した。

「じゃ、これは上げちゃいますね」

 若者は袋を壁から外した。

 少年は別の袋の口を開け、同じように指を入れて中身を確認する。少年はその袋を壁から外した。

 袋を持って歩く若者の後に少年が続く。角を曲がると外の光が鉄格子の向こうに見えてくる。

 袋を持つ若者の手は重さで震えていた。

 ようやくたどりついた若者は急いで鉄格子を開いた。外に垂れ下がった紐の先には鉄筋を曲げた金具が取り付けられている。既に袋がぶら下がっていた。若者は持ってきた袋を金具にぶら下げる。続いて少年も同じように袋をぶら下げた。

 若者は足を投げ出すように床に座り込んだ。息が上がっていた。

「まだ、終わりじゃない」

 少年が声をかけると、若者は勘弁してくれと言わんばかりに首を大きく横に振った。

「休みたいか?」

 少年が聞くと、若者は何度も大きくうなずいた。

「しょうがないなあ」

 少年は苦笑していた。

「重いんだもん。おじさんのところで作ってるのより全然重いから」

 若者は少年に対して、甘えているような、心を開いているような、そんな調子で話しかけていた。

 少年はそんな若者の口調に腹を立てている様子は少しも無かった。むしろ、くつろいだ様子で、親しげな会話を楽しんでいるようですらあった。

「このあと、蒸留するんでしょ?」

 若者は鉄格子の向こうでぶら下がる袋をあごでさした。

「そうだ」

 少年は座らなかった。

「この作業ってさあ、誰か他の奴にやらせちゃダメ?」

 若者の口調は変わらなかった。

「ダメだよ」

 少年は取り合わなかった。

「もう、面倒くさくって」

 若者は諦めていなかった。

「ダメだって」

 少年は怒ってはいなかった。むしろ上機嫌だった。

「秘密は守らないとダメだ。それだけは約束だ」

 少年は笑顔で、それでもはっきりとそう言った。

「なんでも秘密だよ。なんでイチイチ秘密にすんのさ。それじゃあ、おじさんみたいだよ」

 若者は口を突き出した。

 その顔を見て少年は小さく笑った。

 若者は笑っていなかった。

 若者は、屈託の無い笑顔を浮かべている少年を、ほんの一瞬、むき出しの敵意のこもった目でにらみつけた。

 その直後に、慌てて目を閉じた。

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