散髪

 ピカピカになったハサミを茶色が誇らしげに見せびらかした。

「どうやったの?」

 おじさんが砥石で刃物を研いでいる話はしたことがなかったはずだ。赤錆だらけのハサミをどうやって綺麗に磨いたのか、少年には分からなかった。

「簡単。平らな瓦礫で磨いてから塩を使ってもっとこすった」

 おじさんがレンズを磨く研磨剤として塩を使っていることは誰も知らないはずだ。どうして知っているのか。本当に驚いていた。

「思い出すんだ」

 茶色は輝くハサミを満足気に見ていた。

 おじさんと同じだ。おじさんも思い出すと言っていた。それが偶然なのか、それとも何かの理由があるのか。わからない。少年は何も思い出さない。

「これで何すると思う?」

 茶色は挑発するような、ちょっと馬鹿にするような、そんな態度だった。

「なんだよ。知らないよ」

 茶色のそういう口のきき方は気に入らなかった。

 不貞腐れる少年にかまわず、茶色は傍らの椅子を引き寄せ、少年に背を向けて座った。身体をひねりながら後ろを向き、面食らっている少年にハサミを手渡す。

「切ってくれ」

「何を?」

「髪に決まってるだろ。いつも切ってるんだろ。なあ、オレのも頼む」

 いつの間にか部屋の入口からガキどもが何人か覗き込んでいた。

 茶色はガキどもの視線などまったく気にせず、少年が髪を切るのを待っている。

「いいの?」

「いいに決まってんだろ。早くしろよ」

 少年は覚悟を決め、茶色の長い髪にハサミを入れた。

 入口のガキどもがどんどん増えていく。最初のうちこそ騒いでいたガキどもは長い髪がばっさりと切られていくうちにどんどん静かになり、ことの次第を見守り始めていた。

 ハサミはすばらしい切れ味だ。おじさんが研いだハサミよりも軽く髪の毛を切ることができる。

 ばっさり切り落として耳を出す。茶色がくしゃみをした。

 ガキどもが囃し立てる。

「おい、次はおまえらの番だぞ」

 茶色が笑いながらガキどもに言うと、ガキどもがぎゃあぎゃあ騒ぎながらバラバラと逃げ出した。

 茶色が大笑いした。

「ダメだよ、静かにしててよ」

 少年に言われて茶色は笑いをこらえ、じっと座った。

 茶色く長く豊かな髪はゆるやかに波を描き眉毛にかかる程度の長さまで切り落とされた。隠されていた耳が現れ、首筋も刈り込まれている。

「ちくちくするな」

 茶色は自分の頭を撫でた。

「でも、軽くていい」

 そう言われて少年はホッと胸を撫で下ろした。本当に切ってしまっていいものかどうか、ずっと迷っていた。

 振り向いた茶色の笑顔を見て、いつもと違う表情にどぎまぎしてしまう。

「髪を切ると、違うね」

 うまく言葉にできなかった。いつもよりグンと幼く見えること。髪の毛が長い時は年上のしっかりとした感じに見えたのに、今は幼く見える。それを言葉でうまく伝えられない。

「よーし、じゃ、次はおまえだ。来い」

 入口に残っていたガキのひとりが茶色に指名された。逃げ出そうとする前に茶色が素早く動いて捕まえる。有無をも言わせず椅子に座らせた。指名から逃れたガキどもが囃し立てた。

「こいつだ。切っちゃえ」

 迷う少年を茶色の笑顔が後押しする。ばさばさに伸びたガキの黒い髪の毛も瞬く間に茶色と同じぐらいの長さまで切られた。

 廊下は大騒ぎになっていた。学校中のほとんどのガキどもが集まっていた。

「次はどいつだ?」

 茶色が呼びかけると、今度は何人かのガキが歓声を上げながら自分から部屋に入ってきた。

「おい、順番だ。順番に切るぞ」

 茶色がガキどもを並ばせる。

「待ってよ、こんなに切れないよ」

 少年は戸惑っていた。

 茶色はポケットから何かを取り出した。その手には別のハサミが握られていた。

「もうひとつ見つけた」

 茶色は列の先頭のガキを自分の前の椅子に座らせ、ハサミを構えた。




 宮殿の尖塔の鐘が夕刻を告げた。赤く染まった丸天井からの光が学校の中にも降り注いでいる。

 先に髪を切り終えたガキどもは、食事を済ませた後、また外で飽きもせずに走り回っている。

 少年はようやく最後のひとりの髪の毛を切り終えた。ハサミを持つ手が強張っていた。指にできたまめが潰れそうで痛む。それでも心地よい充実感があった。

 一足先にガキどもの髪を刈り終えた茶色が髪の毛を刈り終えたばかりのガキどもを手招きした。そいつらと並び、肩を抱える。茶色もガキどももすっかり短い髪型に馴染んでいる。

「なあ、それ、外せよ」

 茶色が少年のフードを指差した。

「いや、でも」

 少年はまだフードをかぶり続けていた。おじさんとの約束だ。色んな約束を破ってきた。でも、まだこの約束は破れなかった。

「なあ、見ろよ、オレたちの髪」

 茶色にそう言われて気がついた。

 みんな同じ髪型だった。

 目の前の茶色とガキども。自分がフードで覆い隠しているのと同じ髪をした若者たちが並んで笑っている。あの本の中の若者たちのように。

 茶色の目が、分かったか、とでも言っているようだった。

 少年はゆっくりとフードを外した。

 ガキどもが囃し立てる。

 おんなじだと、ガキのひとりが声を上げた。それに続いて口々におんなじだと言う。肩を組んでいた手を外し、少年の頭に手を伸ばしてきた。あちこちから伸びた手が少年の髪の毛をもしゃもしゃとかき回した。

 悲しいとか痛いとか、そういうのとは全然違う涙が少年の目にこみ上げていた。

「皆同じならおかしくないだろ」

 茶色の声が聞こえた。

 少年は何度もうなずいた。茶色がなぜ髪をの毛を切ろうと言い出したのか、ようやくその理由が分かった。

「おんなじだ」

 本当はありがとうと言いたかった。けれど、声が出てこなかった。ただ黙って何度もうなずいた。

 茶色もうなずいた。わけもわからないままガキどももうなずいた。

 皆で笑いながらうなずいていた。

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