鉄格子
弱い光に照らされた地下の通路を並んで歩いていた。
楽器はあの場所に置いてきた。また一緒に来る、言わなくてもわかった。
へとへとになるまでやった。二人の頬は上気していた。初めての音楽の熱狂は冷めてはいない。腕が重かった。たたき続けた手が痛む。だるさなのか、それとも満たされたからなのか、黙ったまま歩き続けていた。
初めての音楽の熱狂は冷めてはいない。だというのに、熱狂の中に小さな不安の種を見つけてしまっていた。あの場所のことだ。
茶色が見つけたあの場所、ホールによく似たあの場所は、今まで茶色が使っていた地下通路よりも深い。地下通路は地上のすぐ下だった。
どれぐらい深いのか、少年は気になっていた。
地下水道につながっているのだろうか。もしそうだとすると、音の壁を越えた先なのだろうか。おじさんの言う通り音の壁が何かを守るためのものだとしたら、そこを越えてしまうことに危険はないのだろうか。こんなに簡単に越えてしまってもいいのだろうか。
音の壁を越えた先で茶色が少年には想像もつかない危険と出くわすことになってしまったら。
身体が震えた。
汗が冷えてきたせいかもしれない。
いや、違う。風だ。少年は微かな風を感じていた。
二人の足音だけが響く通路は弱々しい明かりに照らされている。
どこをめざしているのか聞こうとは思わなかった。どこまででもついていく。例えおじさんと離れることになっても悔いは無い。少なくとも今日一日は何があっても二人だけで過ごすつもりでいた。
通路が真横に曲がっている。一緒に曲がった。
空気が動いている。今度ははっきりと風を感じた。
通路の先が明るく輝いている。
茶色が指差した。
茶色の腕を抑えるように掴んだ。このまま進んではいけない気がしていた。
茶色は少年の手をポンと軽く叩いた。
緊張がほぐれる。茶色の腕を掴む手に力が入っていたことに気づいた。こわばった手の指を一本ずつ開いた。
「行こう」
今度は茶色が少年の腕を掴んだ。
光と風に向かって歩いた。
通路の行き止まりは鉄格子に覆われていた。
「これは……」
鉄格子の向こうに、山羊女の宮殿が見える。
鉄格子の隙間に顔を押しつけた。すぐ外は切り立った崖だ。下を向くと赤い堀が見える。少年は顔の向きを何度も変えた。上も横も下も崖だ。
赤い堀に向かって垂直に落ちていく断崖の途中だった。通路は断崖の途中に口を開け、そこでそのまま終わっていた。
少年は確信を深めつつあった。ここは必ずどこかにつながっている。
茶色を危険から守るにはつながっている場所を茶色より先に見つけなければならなかった。
少年は隣の茶色を見た。
「あそこに山羊女がいる」
茶色は鉄格子の向こう、そびえたつ山羊女の宮殿を食い入るように見つめていた。
茶色も居住区の男たちと同じように山羊女に心を奪われているというのだろうか。
胸が苦しくなる。どうしてそうなのかはわからない。
視線の片隅を何かが通過した。
茶色が息を飲んだのがわかった。
鉄格子に顔を押し付けなるべく上を見ようとした。
瓦礫が落ちてきた。
目で追う。茶色も同じ動きだった。
ゆっくりと落下した瓦礫は赤い堀の水面に小さな波紋を作った。
続いてひとつ、瓦礫が落ちた。またひとつ。さらにひとつ。
二人は顔を見合わせた。
何が起こっているのか、見当もつかなかった。
遅く帰った少年に、おじさんは何も言わなかった。少年も何も言わなかった。
無言で始めた夕食に耐えられなくなった少年が口を開いた。
「前に聞いたけど、地下の通路とか水道とかって全部つながってるの?」
「さあな、全部を歩いたわけじゃないからな」
「じゃ、知らない通路もある?」
「それを知ってどうする?」
おじさんは食事の手を止め、少年を見つめた。
「別に」
少年は興味のない風を装い、まずいパンを口に詰め込んだ。
もう、話すことは無かった。
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