秩序

 上半身を起こされた少年は、何度も殴られ、ほとんど意識を失っていた。目の前で叫ぶガキどもの声が遠い。もはや聞き取ろうという気もおきなかった。

 何もかも早く終わって欲しい。

 少年を掴んでいたガキどもの手が離れる。少年は無様に地面に倒れた。

 薄く開けた目に、鞄をさかさまにして中身を地面にぶちまけるガキどもの姿が映る。詰めたばかりのパンや肉の袋がバラバラと落ちていく。

 突然、乱暴に起こされた。殴られると思ってきつく目を閉じる。殴られるまでの時間が長く思える。

 なかなか殴られない。

 恐るおそる目を開けた。覗き込むように顔を寄せた長い茶色の髪の若者と目が合った。

「これは、なんだ」

 若者は少年が見つけた本を手にしていた。ここに来る直前に拾ったあれだ。

 少年が答えるより先に別の声が聞こえてきた。

「ああ、それ、似たの見たことあるな、どっかの部屋の棚かどっかで」

 茶色の後ろに立つ太めの若者だった。

「そんなもん見たことないな、オレは。なあ、そんな奴ほっとけよ」

 太めの傍らに立つ鋭い目の若者が言う。

 けれど、茶色は少年から目を離そうとしなかった。

「おまえは……」

 視線は少年の頭、髪の毛に注がれていた。

「臆病者じゃないな」

 配給所をこそこそと隠れて歩く臆病者のことだ。フードを深く被っているせいでそれと間違えられるの少年には不快なことだった。短く刈り込んだ髪の毛をさらしたせいで間違えられずに済んでいるのは何とも言えない感じだった。

 茶色の若者はまだ何か言いたげだ。手に持った本に視線を落とす。それからまた少年に視線を向ける。まっすぐ向けられた目も、透き通った茶色だ。

「これは、なんだ」

 茶色が再び少年に聞いた。

 周りのガキどもは口々に不平を漏らしていた。まだまだ少年を痛めつけ足りないらしい。

「うっせえよ、おまえら。食らわすぞ」

 太めが布を巻いた棒を見せつける。鉄筋を何本も束ねた上からボロくなった服や袋といった布を何重にもきつく巻きつけた棒の威力を知っているガキどもは一斉に口を閉じた。

 遠巻きに見ていた野次馬どもの一角がざわつき始める。後ろを振り向いている。慌てた野次馬たちが騒ぎながら散らばり始める。割れた人垣の間から叩き伸ばした鉄筋を剣のように構えた背の高い元剣士たちの隊列が一気に押し寄せてきた。

 太めが後ろから茶色の肩に手をのばす。茶色は見ずに、わずかに肩を動かしてよける。

 ガキどもは浮き足立っていた。太めはガキどもに何か告げるとその前に立ち、元剣士たちに向かって布を巻いた棒を構えた。その横から鋭い目が鉄筋を振り回して叫び声を上げながら元剣士たちに突っ込んでいく。元剣士たちは振り回す鉄筋を避けようと慎重に距離を取った。一時的にひとりに押し戻された格好になる。わずかな時間が生まれた。

 茶色は手に持っていた本を捨て、配給所を走るベルトコンベアの上に飛び乗った。そのままベルトコンベアの流れる方向に向かって走り出す。ガキどもが後に続いた。食料を蹴散らしながら進んでいく。太めも乗った。最後まで元剣士たちに向かっていた鋭い目は手に持った鉄筋を地面に突き立て、それを支えにしながら大きく飛んだ。勢い余ってコンベアの上で転がる。元剣士たちは一斉に鋭い目をめざして突撃する。

 いつの間にか戻っていた茶色がベルトコンベアの向こうから飛び出した。空中で鋭い目の鉄筋をつかむ。着地すると同時にすぐそばまで迫った元剣士たちの足をめがけて地面すれすれに鉄筋を振り回した。まともに食らった元剣士たちの数人が倒れる。避けようとして味方同士でぶつかり転がるものもいる。慌てて止まったせいで隊列が乱れる。

 茶色は鉄筋を振り回しながら再び身軽にベルトコンベアに飛び乗った。立ち上がった鋭い目の背中をポンと叩き鉄筋を渡す。二人は並んで走っていった。

 後方で剣も持たずに状況を眺めていた片手の巨大な元剣士が仲間に合図を送った。それをきっかけに、元剣士たちは隊列を組み直す。配給所の秩序だけが彼らの目的だ。ガキどもはいつも騒ぎを起こす。だから、騒ぎを起こしているガキどもをこの場から追い払いたい。元剣士たちは、それ以上のことはまったく求めていない。ガキどもを追うつもりは少しもない。




 ガキどもは去り、元剣士たちも姿を消した。喧騒を取り戻した配給所で、少年は痛む身体をゆっくりと起こした。周りの男たちは少年のことを見てもいない。複雑な気分の少年は、それでも改めてフードを被った。殴られた頬に布が当たっただけで飛び上がりそうなほどに痛い。鞄を拾い、地面に散らばった食料を詰め込む。途中でベルトコンベアから新品を取ればよかったと気がつく。後の祭りだ。

 こんなに遅れてしまって、おじさんにはなんて言おうか。

 考えてるのはそんなことだった。口の中の血は止まっていた。

 代わりに、肉の味がした。




 宮殿の光が変化していた。世界を覆う屋根の明かりが急激に落ちていく。夜が近づくと配給所に集まる男たちの数も減ってくる。

 ひとりで戻った茶色の髪の若者は地面を見回していた。

 探し物はそれほど時間もかからずに見つかった。投げ捨てたのと同じ場所に落ちていた。

 その本を拾い、軽く埃を払う。丸めてポケットに突っ込む。

 配給所の周囲に立つ建物の窓から元剣士たちが眺めていることはわかっていた。騒動を起こさなければ彼らがやって来ることはないことも。

 茶色は落ち着き払ったまま何事もなかったかのようにその場を後にした。

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