第8話 雨のせいにして
『アレグリア5』の翌週から、自分のバンドのレコーディングが始まった。
レコーディングは、まずプリプロというデモ音源の作成を行う。プリプロを行って、曲をどんなアレンジにするかを決めていく。入れる楽器や、コーラスのラインを決めたりしながら、レコーディングの全体量を把握していく作業である。スムーズにレコーディングを行うために、試行錯誤しながらの録音作業なので時間がかかる。
お金のあるバンドなら、プリプロもスタジオでできるのかもしれないけれど、オレたちみたいな貧乏バンドはプリプロを自宅でやることになる。
バイトの後にアパートで、ギターの上原君と毎晩深夜まで作業していた。
「セイジ、もうそろそろ寝ない?」
上原くんは疲れきった顔をしていた。
時間は午前二時を過ぎていた。
「もう一回だけ、さっきのソロの所を録りなおそうよ。前の前のテイク、良かったと思うんだけど覚えてる?」
「うっすらと」
「よし。そのうっすらで行ってみよう! 泣いても笑っても、今日のラストテイク」
うんざりした顔で、上原くんがヘッドホンをかけなおすと電話が鳴った。
祥太郎からだった。
「近藤さん。まだ起きてますか?」
「起きてるよ。どうした? 今日スタジオだろ?」
「アジがスタジオを飛び出していきました」
「なんで?」
「もう、バンドやめるっていって」
「マジか。安島、どこにいるの?」
「電話に出ないんで、わかりません」
「わかった。今からそっち行くよ」
電話を切って、椅子に掛けてあった上着を取った。
上原くんはヘッドホンを外して、心配そうな顔をしていった。
「どうしたの?」
「フリッカーズの安島が失踪したらしい」
「あら、大変」
「今からちょっとスタジオに行ってくるわ」
「プリプロは?」
「今日はもう終わりにしよう。ソロは、忘れないように覚えておいてね」
「オッケー。セイジもあんまり寝てないから、運転気をつけてね」
上原くんは、だるそうな顔をしたまま手を振った。
パーカーを羽織ると、急いで駐車場に向かった。空には、重たそうな雲が広がっていた。今にも雨が降ってきそうだ。
運転席に座ると、ヨロズに電話をした。
「……もしもし」
寝起きのヨロズの声がする。
「寝てるところすまん。今からスタジオいくから、一緒に来て」
「どうしたの?」
「安島が失踪したらしい。詳しくはわからん」
青梅街道を飛ばして、ヨロズのアパートに向かった。
ヨロズは外で待っていて、助手席に乗り込むとホットの缶コーヒーをくれた。
「なにがあったんだろね」
「さあね。わからんけど、アレグリアの時から安島は少し変だったからな」
それ以上は何も話さずに、重苦しい空気のままスタジオに着いた。
スタジオのロビーに入ると、三人がソファーに座っていた。
「なにがあったの」
ヨロズが聞くと、祥太郎が答えた。
「新曲のアレンジをしていたんですが、アジとオレが少し言い争いになって。でも、いったんは収まって練習を続けていたんですよ」
「それで?」
「新曲を演奏してたら、突然アジがギターを投げ捨てて、もうバンドをやめるって言って、出ていきました」
美希子さんと本吉は、所在なげな様子でこちらを見ていた。
「とりあえず、オレが電話してみるわ」
電話をかけると、すぐに安島が出た。
「おい、どこにいる?」
「……駅前のバス停の所です」
怒っているとも、落ち込んでいるともわからない、小さい声で安島が答えた。
「今から行くから、ちょっと待ってろ」
電話を切ると、みんなの方を見た。
「ちょっと、行ってくるわ」
「オレも行きます」
祥太郎が立ち上がった。
「いや、オレ一人で行ってくる。さっき祥太郎ともめたのが原因かもしれないから」
スタジオの扉に手をかけたが、気になって振り返った。
「あのさ……、みんなは、バンドをやめたいなんてことはないよな?」
「ないです」
三人は答えた。
「じゃあ、安島を連れて帰ってきたら、受け入れてやってほしい」
「わかりました」
スタジオを出ると、駅前に走った。
安島は駅前のベンチに、小さくなって座っていた。
「となり、座ってもいいか?」
息を整えながらいうと、安島は小さくうなずいた。
隣に座ったはいいけど、なんて話しかけたらいいか分からない。沈黙が続いた。
雲は、さっきより濃く重苦しく空から垂れていた。
時折、枯れ葉の臭いが混じった晩秋の風が吹きつけた。
寒さで身震いをした。もう一枚着てくれば良かった。
「俺ね、」
安島が、ゆっくり話し始めた。
「バンドやめようと思っているんです」
「どうして?」
オレは胸ポケットから、タバコを取り出して火をつける。ライターを持つ右手が少し震えていた。自分の手じゃないみたいだ。
「何をやってもダメなんですよ。もう音楽しかないと思ってたのに、この前だってあんなライブやっちゃうし。ライブのあと、PAの人に『下手くそがライブやってるんじゃねぇ』って、言われたんですよ。本吉に止められてケンカはやめたけど、階段登ってたらやっぱり悔しくなってきて。やっぱりぶん殴ってやろうと思って振り返ったら、本吉がいたから一瞬正気に戻って。でも、怒りは収まんなくて壁殴っちゃって」
包帯でグルグル巻きになっている右手の薬指と小指を、左手で握りながら話を続けた。
「今日も新曲が全然うまくいかなくて。やりたいことは山ほどあるのに、上手く弾けないから祥太郎と言い争いになって。俺がいなければ、きっとバンドはうまくいくんですよ。だから俺はフリッカーズをやめます。でも、音楽やめたら、俺は生きている意味なんてないから……」
吸い終えたタバコを捨てると、足の裏で消した。
安島を止めることができるまで、ここを動かないと腹を決めた。
一つ、呼吸を整えて話はじめた。
「別に、バンドをやめるのも止めない。お前が何をしようと構わない。でも、オレは安島が作る曲が好きだし、才能があると思ってる」
「才能なんて、ないですよ」
安島は、何を言ってるんだ、この人は? という顔をした。
「才能があるかどうかは、自分が決める事じゃない」
もう一本、タバコに火をつける。さっきよりも手が震えていた。かまわず話を続けた。
「オレも、なんでバンドなんかをやってるのか考える時がある。ぜんぜん動員は伸びないし、CDも売れない。そのくせ、忙しくて寝る時間もない。やめられるならすぐにでもやめたいって思う日ばっかりだよ」
安島は、まっすぐ前を見つめたままだった。
「なんで、いつまでもこんな事やってるのかって本気で考えた。たぶん、これは『呪い』だと思うんだ」
「呪いですか?」
「そう、呪い。音楽だけじゃない。表現活動は、ぜんぶ呪いなんだと思う。この呪いにかかると、一生なにか表現をしなくちゃいけないと思い込む。夢を追いかけるだとか、そんな甘っちょろいもんはどこにもない。周りを見てみろよ。才能があろうがなかろうが、ライブハウスで這いずり回ってライブをしてる。あれは全部『呪われている人達』なんだ。あの中から、何人が表に出れると思う? ひと握りでもない。ひとつまみだよ。なのに、全員が次のステージに行けると信じこんでいる。自分だけは違うと思ってる。そんなの、正気の沙汰じゃないよ。きっとなにかの呪いにかかっているに違いないと思うんだ」
「俺も、呪いにかかってるってことですか?」
「そう。そして、この呪いは、たまに人を殺す。ロックの歴史を見てみろよ。死人ばっかりだ。ジミヘンだって、ジャニスだって、カート・コバーンだって。有名人でこれだけいるんだから、無名な人も含めたら膨大な数になるだろう。呪いと生活の折り合いがつかなければ、そうなるのも仕方がないのかもね」
無言の時間が、また長く続いた。永遠に続くんじゃないと思うぐらい、長い時間だった。
風の中に雨の匂いが、少し混じり始めた。もうすぐ、雨が降りだすかもしれない。
「ほんとはまだやりたいんです。書きたい曲もいっぱいあるし、ライブももっと沢山やりたいです」
「安島には、まだ歌うべき曲を作る使命が残っていると思うよ」
安島はうつむいたまま、涙を流していた。
「俺、フリッカーズを続けたいです」
「じゃあ、スタジオに戻ろう」
「でも、あんな感じで出てきちゃったから、もうダメだと思う」
「いや、きっと大丈夫。きっとみんな許してくれるよ。オレもついていくから大丈夫だ」
ポツリ、ポツリと雨粒が落ちてきた。
「ほら、雨も降ってきたし帰ろう」
「わかりました」
オレ達は立ち上がると、スタジオに向かって歩き始めた。
「あ、それからさ」
「なんですか?」
「バンドやめてもいいけど、年内はやめるなよ。止めに行ったけど止められなかった……、みたいになったら、オレの面目丸つぶれだからな」
「近藤さん……、本当にクソ野郎ですね」
安島はようやく、少しだけ笑った。
ヨロズとクルマに駆け込むと、暖房を全開にした。
「さみぃ!」
エンジンをかけたばかりなので、エアコンからは冷たい空気ばかりが送られてきた。エンジンが暖まるまで、少し待った。
「セイジ君、大変だったね。でも、まぁ良かった」
あの後、三人に安島を引き渡した。ぎこちなかったけど、なんとか丸く収まったようだった。すぐにスタジオに入っていき、練習を再開した。
「大変だったよ、安島は」
「そうだろうね」
少しだけ、暖かい空気が出てくるようになったので、クルマを出発させた。
「待ってる間、三人はどうしてたの?」
「ロビーが寒かったから、スタジオの中に入ってたんだよね。でも、なんか練習する雰囲気じゃなくて。ポツポツ話しをしてたら、祥太郎くんがフリッカーズのバンド名の由来を話し始めてね」
「由来? そういえば、聞いたことないね」
「スーパーカーの『Flicker』(フリッカー)って曲が、四人とも好きでそれが由来なんだって」
「そうなんだ」
「その話が終わったら、祥太郎くんが何も言わずにフリッカーを弾き始めてさ。美希子さんと本吉くんも、それに入ってきて。そんでもって、祥太郎くんが全力で歌うんだよ。その歌詞の内容が、なんか今の安島くんを歌ってるみたいで泣けてきてさ」
「どんだけ青春してんだよ、あいつら」
「フリッカーが入っているCDないの?」
「後ろのCDケースに『OOKeah!!』が入ってると思うよ」
「ちょっとかけていい?」
「いいよ」
ヨロズはCDを入れ替えると、再生ボタンを押した。
クルマは夜を切り裂いて加速していく。さっき、安島の足元にまとわりついていたものが、すぐにほぐれてくれればいいけど。
ヨロズを降ろして、自分のアパートに着いた時には、空が白み始めていた。
駐車場に車を駐めた。どこをどう絞り出しても、駐車場からアパートまで歩いて帰る体力が残っていなかった。
運転席のシートを倒して、携帯のタイマーを二時間後にセットすると、泥のように眠った。
そう、今日も、このあとバイトだ。
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