第5話 orange juice

 オーディションライブの日程が決まった。

 オーディションライブは、だいたい土日の昼間に行われる。演奏技術やステージパフォーマンス、バンドのカラーや観客動員数なんかを見られる。

 いきなりすごい演奏やパフォーマンスができるバンドなんかいないので、最低限のことができれば合格できる。

 一番見られるのはバンドのカラーだ。これがライブハウスと合っていないと、門前払いを喰らうことになる。ハードコアバンドが出ているライブハウスにカントリーバンドは出られないし、出ない方がいい。

 ライブハウスに出演する方法は二つある。

 一つは箱貸しという方法。ライブハウスを丸ごと借りきって、チケットの値段や出演者などは、借りた人ですべて決める事ができる。

 もう一つはブッキング。オーディションを受け合格したバンドから、ライブハウスの人が、

「このバンドと、このバンドは合うんじゃないかな?」

 と判断して、四~五バンドぐらいを一緒に出演させるという方法。

 ブッキングの良いところは、似たジャンルのバンドが出るので、お客さんの音楽の好みが似てくる。お目当てのバンドを観に来て、時間があるから前後のバンドも観たら、あら、ちょっと、素敵じゃない、CDでも買ってみようかしら? と、なる可能性が高くなる。

 出演バンド同士も、同じアーティストが好きだったりして、自然と仲良くなっていく。

 打ち上げで盛り上がれば、

「今度一緒にイベントをやろうぜ!」

 ってことになる。ライブハウスとしては、こうして箱貸しの予定が入るというわけである。

 そんな当たり前のバンドライフをフリッカーズが送るためには、まずはオーディションに合格しないといけない。オーディションの出演時間は二十分。あと一か月でなんとかして、二十分だけでいいから魅せるライブができるようにしなければ。

「と、いうことなんだけど、どう思う?」

 スタジオの休憩時間。クーラーの効かないロビーのソファーに座って、汗をにじませながらフリッカーズに問いかけた。今日はヨロズとナカキヨもスタジオに来ていた。

「それは、困ったことになりましたねぇ」

 みんなは座っているのに、祥太郎は立ったまま答えた。

「祥太郎さ、さっきからずっとその格好だけど、なんなの、それ」

 ナカキヨが聞いた。祥太郎は腕を組んで両手を脇に挟んでいる。

「これ、トレインスポッティングですよ。昨日、DVD観たんですよ。カッコ良くないですか?」

「ユアン・マクレガーのマネなのね。うん。カッコ良くないよ、それ」

「マジっすか! いやぁ、やっちまったなぁ」

 祥太郎は、腕をほどくと椅子に座った。

「やっぱり、死ぬ気で練習するしかないですよね」

 恥ずかしそうにしている祥太郎を尻目に、安島が真剣な眼差しで聞いてきた。

「猛練習も必要だけど、いかなる戦いも戦術が必要だ」

 タバコに火を付けた。

「持ち時間は二十分。一曲三分だとして五~六曲ぐらい。六曲全部、祥太郎が歌うと客は飽きる。歌をしっかり聴かせられるほど、演奏がうまくないからね。祥太郎は、歌うとベースが弾けなくなる問題も解決してないし。だから、安島の『雨のせいにして』は絶対に入れよう。それから……」

 オレは美希子さんを見ていった。

「美希子さんも一曲歌ってみない?」

「えっ、私ですか?」

 突然のことに、美希子さんは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。

「曲とか作ったことないの?」

「ありますけど、」

「じゃあ、それやってみようよ」

「えぇ、でも……、恥ずかしくないですか? ボーカルって」

「まぁ、ボーカルなんてのは、アホのやるパートだからね」

 オレがいうと、みんなが一斉に祥太郎を見た。

「ん、どうしたの?」

 うん、アホで良かった。

「まぁ、一人で弾き語りだったら恥ずかしいかもしれないけど、バンドでやれば大丈夫だって」

 そう言うと、嫌がる美希子さんをスタジオに押し込んだ。

 クーラーをつけっぱなしで出てきたので、スタジオはキンキンに冷えていた。

「もっち、ドラム叩いてよ」

 ギターをセッティングしながら、本吉に言った。美希子さんは日によって、本吉のことを『もっち』と呼んだり、『もっさん』と呼んだり、『モキチ』と呼んだりする。

「イイっすよ。どんな感じですか?」

 スネアの位置を直しながら、本吉は聞いた。

「ドン、タン、ドド、タンって感じ」

「あぁ、いつものやつですね」

 それはエイトビートっていうんだよ。フリッカーズに教えないといけないことが、まだまだ沢山あると痛感した。

「じゃあ~、やります!」

 覚悟を決めたのか、大きく息を吐くと、美希子さんはギターを弾き始めた。本吉も合わせてドラムを叩き始める。

 簡単だけど、キャッチーな曲だった。歌は少年ナイフとかスーパーカーのフルカワミキのような、ビブラートかけずに朴訥と歌う感じ。

 失恋の歌なのか、女の子の心情を歌った歌詞。

「フリッカーズって、どんだけ引き出しあるんだろうね」

 スタジオの隅で演奏を聴いていたヨロズが、耳元でいった。オレは黙って頷いた。

「どうですかね?」

 歌い終えた美希子さんは、少し照れた感じで曲の感想をみんなに聞いた。

「いいじゃん、なんて曲?」

 安島が答えた。

「『orange juice』(オレンジジュース)って曲だよ」

「この曲、オレがリードギター弾いていい?」

「いいよ!」

 美希子さんは嬉しそうに答えた。

「それじゃあ、決まりだな。みんなで歌う『OK』と、祥太郎が三曲、安島と美希子さんが一曲ずつで六曲だね」

「ちょっと待ってください!」

 本吉が立ち上がった。

「どうしたの?」

 安島が聞いた。

「オレは歌わなくても大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。よし、一回やってみよう」

 本吉は、しぶしぶドラムセットの椅子に座った。

「おーい、全体的にハシってるぞ! クリック聞けぇ!」

「安島、飛んだらミスるな! ってか、練習中は飛ぶなー!」

「歌ってるときでも、全部ダウンピッキングで弾けー、手を抜くな! 祥太郎!」

「本吉、スネア以外全部ずれてるぞ! 腕で叩くな! 手首で叩け!」

「美希子さーん、寝るなー!」

 それから一か月。毎週土曜深夜は、朝まで怒涛の特訓となった。細かいところを直している時間はない。低いレベルで演奏をまとめて、何とか聴けるようにするしか道はなかった。

 毎回練習を録音して、みんなへ渡して宿題を出した。

 安島は大学生で夏休み。祥太郎はフリーター。本吉は今月から音楽の専門学校に通いだしたけど、時間はあった。美希子さんは正社員として働いていたが、他の三人よりも楽器歴が長かったのでバンド練習だけでも何とかなりそうだ。

 新宿ジャムのオーディション当日。朝十時。空は青く晴れ渡っていた。八月ももうすぐ終わりだっていうのに、涼しくなる気配はどこにもなかった。今日もバカみたいに暑くなりそうだ。

「こんな自信満々でライブハウスに来るのは、初めてですよ」

 新宿ジャムの入り口脇にある自動販売機で、コカコーラを買いながら本吉はいった。

「みんな、近藤さんに言われたことを覚えてるな」

 安島が聞くと、祥太郎から順に答えた。

「手を抜くな、ダウンピッキング」

「手首で叩く」

「寝ない」

「練習中は飛ぶな。だけど、今日はライブだから、飛ぶ!」

「まだまともに弾けないんだから、ライブでも飛んじゃダメ!」

 オレは安島に釘を刺した。

「よし、いこうぜ!」

 四人は地下に吸い込まれていった。

「大丈夫かしら、あの子たち」

 ナカキヨが心配そうな顔をしてつぶやく。その顔は、お母さんみたいな顔だった。

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