第3話 Hello
翌週、土曜日、深夜。スタジオにヨロズとナカキヨも来た。
ソファーには安島、祥太郎、美希子さん、本吉の順で座っている。机を挟んで、パイプ椅子にヨロズ、ナカキヨ、オレの順番で座った。
「これなんだけど……」
神妙な顔をして、家で印刷してきたA4の紙を出した。紙には、『契約書』と書かれている。
「これは?」
安島が顔を上げた。
「契約書よ」
ナカキヨは言い放った。
「契約書……」
言い放たれた祥太郎は、ビビった。
「先週録った音源を二人に聞かせたらすごい気に入ってさ。オレたちでレーベルを作ろうってことになってね。この音源を、ぜひCDとして完成させたい。ジャケットはヨロズとナカキヨが作成する」
ヨロズとナカキヨがうなずいた。オレは甘ったるい缶コーヒーを一口飲んで、話を続けた。
「レーベル名は『ブリンキン・ポップ・ショップ』っていうんだ。略すと『ブリンキン』かな? ブリンキンとフリッカーは同じ意味なんだよ。このレーベルは、フリッカーズの作品を作るために作られたんだ。だから、この契約書にフリッカーズがサインをして、初めてレーベルとして成立する」
四人は顔を見合わせた。
「俺たちは、何をすればイイんですか?」
本吉が聞いてきた。隣に座っていたヨロズが答える。
「フリッカーズは、今まで通り音楽活動をしてくれればいいんだよ。僕らはそれをサポートするよ。CDとかステッカーとか物販を作ろうと思っているんだけど……」
「ステッカー、カワイイのがいいですね」
美希子さんは、まだ作るとも決まっていないステッカーに心を躍らせた。ヨロズは話を続ける。
「そのために、十四万円ぐらい必要なんだよ。僕らも出すから、一人二万円」
ヨロズは全員を見渡した。
「一泊二日の旅行に行ったぐらいのつもりで、どうかな? それがオッケーなら、サインをしてほしい」
四人は、目で合図を交わすと順番に答えた。
「もちろんです」
「がってんだい!」
「大丈夫でーす」
「やりましょう!」
サインが書かれた契約書には、すべての利益を次作のCD製作費に当てることが明記されていた。
「この二万円で、どこまでいけるんだろうね」
喜ぶフリッカーズを見ながら、ヨロズが聞いてきた。
「さあね。いけるとこまで行ってみるだな」
「ところでさ、」
ナカキヨが、変な動きをしている安島と祥太郎を見ながら聞いてきた。
「あれ、なに?」
「あれな。オランダ式ハイタッチっていうんだよ」
「ふーん。変なの」
ナカキヨは首をかしげた。
マクドナルドのテーブルに並べられたジャケット案を見ながら、フリッカーズは全員固まっていた。
「……ここが、フリッカーズの虚無感とか無常観を表しててね。奥の扉と前の鳩人間の遠近感はあえておかしくしてあるんだけど……」
ナカキヨが説明している間、四人はずっと頷いているだけだった。
「で、どう?」
ハンバーガーもポテトも、すでに冷め切っている。
「う、うん。鳩が生々しく、良いと思います」
安島が、ゆっくりと答えた。
「お、奥に骸骨がいる所とかカッコ、良いよね」
祥太郎は、精一杯答えた。
「か、壁に書いてある字が、カワイイですね」
美希子さんは、あくまでカワイイことにこだわった。
「そ、そうですね」
本吉に至っては、同意しただけだった。
人間、細かい部分だけを褒めるようになったらおしまいだ。フリッカーズはこのジャケットを良いと思っていなかった。
確かに無理もないと思う。
ジャケットはコラージュ作品で、全体的に淡い紫と濃い紫と白で構成されている。右側手前には黒いロングコートを着た大きな鳩人間が立ち、奥の空間には白い木造の扉から二体の骸骨が顔を出している。曲名は手書きで書かれていた。
完成されたアート作品である。クオリティは高いと思う。
でも、始めたばかりのバンドのCDジャケットとしては、あまりにも攻めすぎだ。
全部任せるんじゃなくて、少し口出しすればよかった。
「あのさ、みんな、ジャケット気に入ってないでしょ?」
見かねてオレは口を開いた。
「このCDは、フリッカーズが持って歩くんだからね。気に入ってなかったら、はっきりといわないと後悔するよ」
ナカキヨの視線が痛かったが、大切なことなので続けた。
「でも、『あんまり好きじゃありません』って、言うのはスマートじゃないよな。自分たちはどんな感じが好きなのかを、ヨロズとナカキヨに伝えないと、今ある溝は埋まらないと思うよ」
少しの沈黙が流れた。
祥太郎が口を開いた。
「俺はね、骸骨は良いと思うんですよ。歌詞の中にでてくるし……」
「たしかに、そうですね」
本吉が同意した。
「文字が手書きっていうのは、やっぱりカワイイと思うんですよ」
「たしかに、そうですね」
美希子さんが言うと、本吉はまたしても同意した。
「僕は、」
ヨロズとナカキヨが持ってきていた、ジャケット用のアイデアノートをずっと見ていた安島が顔を上げた。
「この女の子が好きです」
開いたページには、ギターを抱えた女の子のイラストが描かれていた。
「この娘、好き?」
ナカキヨの顔が輝いた。
「好きです。あと、CDのイメージはもっと夜です」
「じゃあ、この娘の線が白抜きで黒バックとかはどう?」
「いいですね。あと、この娘の手で紙が破られてて、そこに『フリッカーズ』って書いてあるとか」
「いいね、そのアイデア」
「あと、盤面なんですけど……」
安島とナカキヨが突然スイングし始めた。
他のメンバーとオレとヨロズは話に入るタイミングを完全に逃した。二人はどんどんジャケットのアイデアを詰めていく。まぁ、いい方向に向かっているみたいだからいいけど。
冷めたポテトをつまんでいるヨロズの脇腹をつついた。
「あれ、どういうこと?」
「あれね。鳩にするか、あの女の子にするかで最後まで悩んでたんだよ。そこを見つけてもらえて、ナカキヨは嬉しいんじゃないかな」
ハンバーガーとポテトを食べ終わる頃には、ジャケットとCD盤面のアイデアはあらかた決まっていた。
「ところで、この砂時計のマーク、良いマークですね。俺らのですか?」
祥太郎が、ジャケット案の紙に書かれていた『砂時計の中で縄跳びをして、時を止めている女の子』を見つけた。
「それは、ブリンキンのロゴだよ」
先週、ヨロズとナカキヨが持ってきた何個かのロゴマークから、オレたち三人で選んだものだった。
「いいなぁ、僕らもロゴ、作ってくださいよ」
「すぐ作るよ」
ヨロズは答えた。
「できるまで、このロゴでTシャツ作りましょうよ」
「いいね! Tシャツ。すぐ作るよ」
なんでも安請け合いするところが、ヨロズの悪い癖である。
「アジくんはSでいいよね。祥太郎君はL? 美希子さんはSだね。本吉君はM? えっ、3L? やっぱりダボダボなのが良いのね。色はピンク? ホントにピンクでいいの?」
それから一か月後の、七月十九日。フリッカーズのファースト・シングル『Hello』が完成した。ついでに普通サイズのTシャツが二十枚と、ピンク色で3LのTシャツが一枚出来上がった。
出会ってから五か月が過ぎて、季節は夏になっていた。一人二万円の奇妙な旅が始まった。
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