第2話 Supernova
スタジオの扉を開いた。が、誰もいなかった。時計の針は深夜0時五分。約束の時間を五分過ぎていた。
カウンターの奥では、レッチリのライブビデオを見ながら店員がギターを弾いていた。
「あの、安島で予約って入っていますか?」
「あぁ、入ってますよ。安島さんたち、いつも三十分ぐらい遅れてきますよ」
何事もなかったかのように、再びギターを弾き始めた。
ロビーはウッド調の床で落ち着いた雰囲気だった。奥にあるソファーに腰掛けて、胸ポケットからタバコを取り出して火をつけた。大きく煙を吐く。まじかよ、先にレコーディングの説明しようと思ってたのに。
スタジオの扉が開いて、ピンクのクロックスを履いた本吉が入ってきた。
「あっ! 近藤さん、こんばんは。あいつら、レコーディングなのに遅刻してるんですか?」
お前も五分遅刻だよ、と思ったが、そこは言わずにうなずいた。
「あいつら、きっとモスでシェイク飲んでますよ」
オレの隣に座ると、本吉は携帯電話をいじり始めた。
「メール出しておきました。たぶんすぐ来ると思います」
待っている間に、本吉と少し話した。
フリッカーズは、安島、祥太郎、美希子さんが高校の同級生で、本吉だけが二歳年下らしい。もっと年下かと思ったけど、安島たちとオレは三つしか離れていない。
一年前に専門学校で、同じクラスになった祥太郎と出会いバンドに誘われた。ドラムで加入となったが、その時はまだドラムを叩いたことがなかった。
ちなみに、安島と祥太郎も楽器を弾いたことがなかった。
「あっ! ホントにいる!」
「ホントに来たんですね」
「近藤さん、今日は来ていただいてありがとうございます」
スタジオの扉が開いて、あいつらが入ってきた。手にはモスのシェイクを持っている。安島だけがまともな挨拶をし、他の二人は珍獣を見つけたような対応をした。時はすでに0時三十分。
「お前らさ、人と約束しておいて時間におくれ……」
そこまでいうと、祥太郎は口の前に人差し指を置いて、シーのポーズをした。
「近藤さん、言いたいことはわかります。だけど今日は、この辺りで許してくれませんかね?」
なんだろう。すごくムカつく。が、とりあえず、レコーディング前なので不問にした。
「おい、早く準備しようぜ! 近藤さんを待たせるなよ!」
安島がそういうと、四人はスタジオに入っていった。
「ちょっと……」
レコーディングの説明を先にしたいんだけど。と、思ったときにはすでに遅かった。メンバーの背中を見送ると、もう一本、タバコに火をつけた。
「ところで、曲は決まった?」
ギターアンプのつまみをいじっている安島に聞いた。
「三曲の予定だったんですけど、新曲があるんで四曲でもいいですか」
時計を見た。0時五十分。スタジオの残り時間は四時間ちょっとしかない。
「時間足りないかもしれないなぁ。でも、一回聴かせてみてよ」
安島は頷くと、三人を見た。三人は準備ができていた。さっきまでとは違って、みんなが少し緊張しているのが伝わってくる。
「ワン、ツー、スリー、フォー」
本吉のカウントから、今まで聴いたことのない感触の曲が始まった。鳥肌がたった。なんだ、これ。
シンプルな8ビート。コードは三つしか使っていない。演奏は下手過ぎて必要最小限のことしかできない。が、それが逆にクールな印象を与える。
歌詞はきわめて詩的だった。恋だの、愛だの、友情だの、よくあるJ‐POPの理論で書かれてはいない。かさついた日常の無常観と、恒星は最後に爆発するけれど、誰も知らないまま。みたいな事を歌っていた。
「これ……、なんて曲?」
演奏が終わると、おそるおそる聞いた。
「Suprenovaって曲です」
安島がギターを置きながら答えた。
「いつ書いたの?」
「この前のライブのあとです」
オレは静かに唸った。これは大変なことになった。
もしかしたら、これは何かしらの時代の証人になっているのかもしれない。確証は何もないけど。
「わかった。なんとか四曲録ろう」
「ありがとうございます」
安島がはじける笑顔で答えた。
レコーディングの説明をするために、いったん休憩にした。
「本吉さ、ファミマでなんか飲み物買ってきてよ」
財布から千円札を渡すと、本吉は立ち上がって答えた。
「わかりました!」
みんながすぐさま注文した。
「やった! オレいつもの」
「俺もいつもの」
「私はミルク」
三人はいつものがあるらしい。
「オレはコーヒーの微糖のヤツ。なければ、コーヒーなら何でもいいや」
「了解です!」
本吉は小走りで階段を降りて行った。
「レコーディングなんだけど、一発録りか別録りかどっちがいい?」
レコーディングには、全員で一斉に演奏して録音する『一発録り』と、ドラム、ベース、ギター、ボーカルの順番に一人ずつ録音していく『別録り』がある。
一般的には『一発録り』の方が演奏に勢いが出るので、現場の空気感が録音できる。その代わり、誰かが間違えたら録り直しとなるため、演奏者へのプレッシャーが大きい。
それに対して『別録り』は、各楽器ごと順番に録音していく。一人で何度でも録り直しができるので、クオリティの高い演奏を録音できる。そのかわり、録音時間は楽器の数だけ増えていくことになる。
簡単な説明のあと、安島は少し考えて聞いてきた。
「それって、どっちの方がパンクですかね?」
「パンクって考え方だと、一発録りだと思うけど……」
「じゃあ、それでお願いします」
「アジ!」
声の方へ振り返ると、祥太郎がハイタッチの構えをしていた。
「ナイス判断!」
「イエス!」
安島がそれにハイタッチをすると、二人は複雑な動きをしてこぶしをぶつけたり、腕を回したりして、最終はダンスを始めた。
「イイなぁ、男子は楽しそうで」
美希子さんは羨ましそうにいった。
「なんなの、あれ」
「あれはですねぇ、」
美希子さんが説明しようとすると、本吉が帰ってきた。
「ちょっと、待ってくださいよ! なんでオランダ式ハイタッチやってるんですか?」
本吉はそういうと、安島とハイタッチしてさらに複雑な動きをした。オランダ式ハイタッチっていうのね、これ。
安島はバンホーテンのココア、祥太郎はジョージアのエメラルドマウンテン、美希子さんはリプトンのミルクティ、本吉はコカコーラを飲みながら、レコーディングの曲順を決めた。
「本吉と祥太郎は、クリックいる?」
「ん? なんか留めるんですか?」
本吉が答えた。
「いや、クリップじゃなくてクリック」
「クリックって何ですか?」
「メトロノームのことだよ」
「なんだぁ、メトロノームなら知ってますよ」
「使う?」
「いえ、いりません」
「なんで?」
「知ってるけど、使ったことないからです」
後ろで祥太郎が手を上げている。
「どうしたの?」
「本吉がいらないっていうなら、オレだけ使うっていうのはどうですかね?」
「祥太郎は使ったことあるの?」
「いえ、ありません。でも、のちのち使ってた方がエピソードとしてカッコいいのかなぁ、と思って」
「クリックとカッコよさは関係ないよ。しいていうなら、使ってない方がカッコいいよ」
「じゃあ、いりません」
「堀内さん、マネしないでくださいよ」
「ちげぇよ! オレは最初から使わない予定だったけど、近藤さんが揺すってくるから……」
その間、安島はギターを弾いてノリノリだ。が、あいかわらず弾けていない。美希子さんはまったりとチョコレートを食べながら、二人のやり取りを見て微笑んでいる。こいつら、大丈夫かしら?
午前六時半。休日の早朝にオレからの電話で叩き起こされたヨロズは、あくびをしながら助手席に乗り込んできた。ヨロズってのは、幼稚園からの友人で、美大卒の映像ディレクターである。
「こんな朝っぱらからどうしたの?」
「とりあえず、これを聴いてみてよ」
カーステレオで、ラフミックスしたフリッカーズの音源を流す。しばらく聴くと、ヨロズはカーステレオを睨みながら唸った。
「セイジ君。このバンドどうするつもりなの?」
リピート機能によって二巡目となり、再び『OK』が流れ始めた。
「どうするって……、別に考えてないけど」
灰皿から、まだ吸えそうなシケモクを探しながら答えた。
単純に音源が欲しかっただけだ。ヨロズならフリッカーズを好きだろうと思って、聴かせに来ただけだった。朝っぱらから一人で興奮していても空しいだけだし。
「このバンド、下手したら日本のストロークスになるよ」
「だろ? 意識せずに、ロックンロールリバイバル路線にいることがすごいと思うんだよ」
「だから、どうするのってことだよ」
「だから、どうするって?」
「すぐに売れちゃうと思うよ、このバンド」
「オレもそう思うよ」
「だったら、僕らで売り出していこうよ。こうやって音源もできたし、ジャケットを僕が作ればCDができるじゃん」
今度はオレが唸った。
「それって、事務所とかレーベルみたいなのをオレたちでやるってこと?」
「そう、それ!」
ハッキリ言って、そこまでは考えていなかった。今回の音源だってデモ音源を作ってあげるぐらいの気持ちであって、CDとして完成させる事は考えていない。
「とりあえず、フリッカーズのCDを僕たち名義で出すだけでいいんだよ。音源はあるから、セイジ君のやることはほとんど終わり。あとはとりまとめだけやってよ。それぐらいならできるでしょ」
「うーん、できなくはないけどさ」
「それに、もう一人ぐらい手伝ってもらおうよ」
「誰か当てはあるの?」
「ナカキヨとかどうかな?」
「いやだよ」
即答で拒否した。ナカキヨは、ヨロズの大学からの彼女だ。物事に対する目線がまっすぐで、よく言えば素直に、悪く言えば空気を読まずになんでもズケズケと発言する女。
先月だって、ゲストでオレたちのライブを観に来たのに、
「セイジたちのやっている音楽が一切理解できないんだけど、何が良いのか説明してくれない?」
と、ライブの後に面と向かって言ってきた。
いつだったか、オレとヨロズが飲み屋でブルーハーツの良さについて話していると、
「ドブネズミになりたいってことは、あの人たちはドブネズミじゃないってことだよね。ずいぶん上から目線な歌だよね。それに、甲本ヒロトはああ見えて大学行ってるからね」
と、いちいち知らなくて良い情報をぶち込んでくる。とにもかくにも意見が食い違うから、もしかしたら生涯の敵となるかもしれないと思っていた。ヨロズにそのことはいってないけど。
「ナカキヨは事務系の仕事だから、平日でも夜は時間が空いてるんだ。デザインもできるから色々任せられると思うんだ」
「でも、ナカキヨはオレの好きだっていうもの、だいたい嫌いだよ。きっとフリッカーズも嫌いだよ」
「じゃあ、フリッカーズを気に入ったら誘ってもいい?」
「まぁ、それならいいよ。って、なんかレーベルやる方向で話が進んでる気がするんだけど……」
「セイジ君はこういう事に巻き込まれる星の下に生まれてるから、仕方ないんだって」
「なんだよ、星の下って」
「この音源もらってもいい? あと、レーベル名考えておいてね。セイジ君、代表なんだからさ。じゃあね」
ヨロズは車を降りると、満面の笑みを浮かべてアパートへ戻っていた。
レーベルねぇ。面倒な事になってきた。名前を何にするか決めなければいけないな。どうせなら、フリッカーズに関わる名前がいい。フリッカーズを好きな奴らってことで『フリークス』っていうのがいいかもしれない。でも、それだとダジャレの要素が強いから少しよくない。もっと深いところで意味がつながっている名前がいいな。
とか考えているうちに、アパートについた。時刻は日曜日の午前八時を過ぎていた。
昨日のバイト終わりでそのままレコーディングに行ったから、二十四時間以上起きている。
さすがに少し吐き気がする。シャワーを浴びることを諦めて、布団に倒れこんだ。
目を瞑ると、安島の姿が目の裏に浮かんだ。
「フリッカーには、『明滅する』って意味があるんですよ」
レコーディングの合間に、そう教えてくれた。
最後の力を振り絞って目を開くと、携帯電話で『明滅する 英語』を検索した。
そこには『Flicker』と『Blinking』という単語が出てきた。『Blinking』って響きはいいね。だけど、明滅しているだけだと売れないだろう。どこかではじけないといけない。さらに『はじける 英語』で検索した。『burst open』『split open』『pop』の三つが出てきた。『pop』いいじゃん。ポップミュージックだし、明滅してポップな感じ。チカチカしているネオンみたいな雰囲気。悪くないね。それを売る店ってことで『Blinking pop shop』だな。ちょっと語呂が悪いから『Blinkin’ pop shop』(ブリンキン・ポップ・ショップ)にしよう。ロックンロールみたいだし、ペット・ショップ・ボーイズみたいでいいじゃん。
ヨロズにブリンキン・ポップ・ショップって名前をメールすると、すぐに返信がきた。
「すごくいい名前だね。あと、ナカキヨもフリッカーズ気に入ったみたいで、レーベルに参加するって」
あぁ、完全に何かが始まってしまった。どうなるんだろ、これ。今よりも寝られなくなるはいやだなぁ。でも、とにかく、今は寝よう。次に目を覚ましたら、全部夢かもしれないし。それはそれで、イヤだけど。
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