第1話 OK
最後の一本を吸い終わってしまった。外は大雨。このライブハウスにはタバコの自販機がない。自分の出番が終わって、暇を持て余しているというのに、どうしてくれるんだ?
「尾本くん。そろそろ帰らない?」
「最後のバンド、知り合いなんで観ていきます」
『東京ビートボックス倶楽部』のギター・ボーカルの尾本くんは、そういうと客席の前の方に歩いていった。あいかわらず義理堅い子だな。オレは客席の後ろに置かれたベンチに戻った。
「尾本くん、なんて?」
「トリのバンドが知り合いなんだってさ」
「はぁ、最後まで観ていく感じね。明日早いからしんどいなぁ」
上原くんはため息交じりにいった。今日は六バンドも出ているのに、面白かったのは尾本くんが遊びでやっている『日立グループ』というコミックバンドだけだった。他は高校生の文化祭レベルを超えていない。大雨で外にも出られないし、このレベルのバンドを見続けるのは苦痛だった。
「タバコある?」
両切りのピースを上原くんは差し出した。昔ながらのフィルターのないタバコだ。
「げッ、まだこんなキツイの吸ってるの」
「いやなら、吸わんくってもいいんだよ」
「いや、一本だけもらうわ」
トリのバンドが出てきた。バンドの持ち時間は三十分ある。くだらないバンドだったらタバコ一本では足りない計算になる。
「もう一本もらっておいていい?」
「いいけど、あとで返してね」
吸い口の葉っぱを少し捨てて、タバコの葉が口の中に入ってこないようにくわえると、火を付けて煙を吸い込んだ。ニコチンとタールが直接肺に入ってくるような感覚。肺の中が一瞬で真っ黒になった気がする。
昨日の夜、尾本くんから電話があった。
「近藤さん。明日ライブがあるんですけど出ませんか? 一つバンドが出れなくなったらしくて。ノルマは無しです」
オレの予定は空いていた。だけど、今からバンドのメンバー全員に連絡して予定を調整するのは、考えただけで吐き気がするぐらいめんどくさい。
「バンドでは無理だけど、オレだけなら出れるよ。弾き語りでもいい?」
「それでもいいですよ。それと、車出せますか?」
「出せるよ」
「じゃあ、乗せてってもらえませんか? ライブハウス、川崎なんですよ」
「いいよ。じゃあ、明日の昼頃にJOMOに集合ね」
JOMOはオレのバイト先だ。電話を切ると、アパートの下の階に行って玄関をノックした。少し酔っぱらった上原くんが出てきた。
「どうしたの、セイジ」
「あのさ、明日ライブに誘われたんだけど、一緒に出ない」
「弾き語り? いいけど、何やるの?」
「その相談をしに来たんだよ」
上原くんはオレたちのバンドでギターを弾いている。オレはベースだが、ギターも弾ける。明日はギター二本の即席ユニットで出演しようと考えていた。
上原くんの部屋に入ると、部屋の隅に転がっていた馬の被り物を被った。
「明日のユニット名は『ワイルド・ホーセス』にしよう。一曲目はストーンズのワイルド・ホーセスのカバー。オレはこれ被って歌うわ。野生の馬でも、オレを引きずっていくことはできないぜ」
オレはヒヒンと鳴いてみせた。
「なんでもいいけど、最低限は打ち合わせしようよ」
上原くんはうんざりした顔で言った。曲を決めて、簡単な打ち合わせをして今日を迎えた。
「こんばんは、フリッカーズです」
トリに出てきたのは、みょうちくりんなバンドだった。
真ん中には、背の高いベースがいた。白いジャズベースを持っている。無駄にイケメンである。おそらくこいつがボーカルだろう。
向かって右手、上手にはおっとりを絵に描いたような女の子が立っていた。ギターはジャガーで、おそらくフェンダーUSA。カート・コバーンと同じモデルだ。
下手には小さい男。ギターはテレキャスター。前髪がぱっつんで、ステージ上は暑いのにセーターを着ている。落ち着きなく、きょろきょろしている。
ドラムはダボダボのスマイルマークのTシャツを着ている。そして、なぜだかずっと笑っている。気持ちが悪い。
……こういうバンドって、だいたいダメだよな……
まるっきり統一感がない。こいつら、きっと高校の同級生とかで、ビリヤード場とかで暇を持て余していて、なんとなく勢いでバンドでもやるか、って感じで結成して、何もなくなんとなく終わっていくんだろうな。
上原くんも隣であくびをしていた。
「最後まで楽しんでいってください」
イケメン長身ベースがそういうと、妙な間が空いた。ダボTドラムがニカっと笑うとカウントを始めた。
カウントしたのにも関わらず、全然違うテンポでテレキャスターが歪んだ音で鳴り響いた。
アホみたいに簡単なリフ。
すげー下手だった。ハッキリいって弾けていない。
三小節でブレイクがあって、曲が止まった。
リフを弾いていたセーターぱっつん男が、マイクに向かって呟く。
「オーケー」
すると同じリフにバンドが入ってきた。やっぱり全員下手。おっとりジャガー娘だけ多少ましだ。すると、またブレイク。
今度は真ん中のイケメン長身ベースが、キザな歌う感じでマイクに向かう。
「オゥケィ」
同じリフが始まって、同じブレイク。次はたぶんおっとりジャガー娘の番なのだろうけど、マイクスタンドをちゃんとセッティングしていないせいで、マイクがものすごく低い。
うつむきながら、おっとりジャガー娘がマイクに向かっていう。
「おっけー」
また始まって、最後はきっとダボTドラムだ。あいつにいたっては、マイクがない。っと思ったらダボTドラムはそのまま叫んだ。
「オッケー!」
最後にひと回し、同じリフがあった後に、メンバー全員でいった。
「オーケー」
曲は唐突に終わった。
オレはベンチから立ち上がった。
全然、オーケーじゃない!
隣を見ると、上原くんも立ち上がっている。お互いの顔を見た。これは、なんかすごいぞ。何がすごいのかはわからないけど。次の曲が始まった。
ロック定番のコード進行。笑えるぐらいシンプルな曲だ。
あの娘はパン屋で バイトをしているカレン
青い瞳の あの娘はカレン
窓の向こうで 優しく微笑む
時が止まって 僕はイカれた
カレン カレン カレン
なんの意味もない、五十年代のロックンロールみたいな歌詞。一番も二番も三番も全部同じ歌詞だった。展開もAメロとサビしかない。なのに、Aメロもサビも同じコード進行だ。演奏は今にも止まりそうなぐらいぐちゃぐちゃ。
セーターぱっつん男はまともにギターを弾けないクセにやたらと飛び跳ねるし、イケメン長身ベースは歌うのに必死で全然弾けてない。おっとりジャガー娘は少し弾けるけど、音作りが下手過ぎてペラペラな音が鳴っている。ダボTドラムは手首で叩くのを知らないのか、腕と体全体でドラムを叩いているのでおもちゃのサルみたいな叩き方。なのに、ずっと笑顔。
技術的には、今日出たバンドの中で最低だった。
でも、それらを差し引いても余りあるぐらいに、曲がキャッチーでボーカルの声が良かった。そして何よりもステージ上での立ち姿に、バンドとして不思議な魅力があった。
「このセーターね、おばあちゃんが編んでくれたんですよ。いいでしょ? それじゃあ、次の曲、雨のせいにして」
セーターの胸には、メーカーロゴが入っていた。セーターぱっつん男は、誰が見てもウソだとわかるMCをして歌い始めた。
イケメン長身ベースは正統派の太いボーカルだったが、セーターぱっつん男は見た目そのままのボーカル。高い声でキャンキャンしている飛び道具のような歌だった。
気がついたら客席の最前列にいた。クラクラした。『演奏が上手い』以外の、ロックバンドに必要な魅力がほとんど詰まっているように感じた。こいつら、上手くなったらどうなってしまうんだろう。
楽屋のドアを開けた。
「お前ら、音源とかないの?」
興奮しているオレに、楽器を片付けていた四人はキョトンとした顔をしてこっちをみた。
「音源って?」
セーターぱっつん男がいった。
「CDとかあるのか、って聞いてるの」
「ありません!」
ダボTドラムが元気よく答えた。
「んじゃ、オレが作ってやるから、連絡先を教えろ」
「ってか、あんた誰ですか?」
イケメン長身ベースはいった。
「近藤さん。帰りませんか?」
後ろから尾本くんが入ってきた。
「あ、尾本くん」
セーターぱっつん男がいう。尾本くんの知り合いはこいつだったか。
「初めて見たけど、良かったですよ。裕輔さん」
「ありがと」
セーターぱっつん男は、はにかんだ笑顔で少し照れた。
「ところで、近藤さんとやら、あんたは誰ですか? さっきは馬被ってましたよね」
自分の発言を無きものにされたイケメン長身ベースは、しぶとくもう一度聞いてきた。
「オレは近藤セイジ。いつもはバンドでベースを弾いてるんだ」
セーターぱっつん男が名乗った。
「安島裕輔です」
イケメン長身ベースは名乗った。
「堀内祥太郎。よろしく」
おっとりジャガー娘はおっとり名乗る。
「中村美希子です」
ダボTドラムは元気に名乗った。
「本吉弘樹です!」
「よろしく。ところで、どこで練習してるの? 次のスタジオはいつ? 今、何曲ぐらいあるの? いつからバンドやってるの? 結成半年? 三回目のライブ? え、ビリヤード場で結成したの? 高校の同級生? マジで? それ、ダメなパターンのやつだよ」
「近藤さん」
「えっ」
振り返ると、尾本くんがうんざりした顔をしていった。
「そろそろ帰りましょう。雨もやみましたし」
「これからミスドで打ち上げするんですが、よかったら一緒にどうですか?」
外に出ると、美希子さんにニコニコしながら誘われたが丁重に断った。バンドマンなのに、ミスドで打ち上げはないだろと思ったが口にはしなかった。
車に機材を積み込んで、安島と連絡先を交換した。どうやら、バンドのリーダーは安島のようだ。
一か月後のスタジオでレコーディングすることに決めた。オレたちは車に乗り込み、フリッカーズに手を振って別れた。
「フリッカーズ、気に入ってましたね」
帰りの車中、助手席に座った尾本くんはそう聞いてきた。
「そうだね。なんかね、本当はあんなバンドをやりたかったのかもしれないね。下手だけどセンスだけは山盛りみたいなバンド」
首都高の出口を間違えないように、慎重にウインカーを出しながら答えた。
「オレも、頑張んないとなぁ」
「尾本くんは大丈夫だよ。フリッカーズよりもしっかりとした才能があるから」
「近藤さんはいつもそう言ってくれますけど、実際のところはどうなんでしょうね」
尾本くんは流れる高速道路の街灯を見つめていた。
音楽をやるうえで、才能があることは大前提だ。才能があっても、それだけじゃ売れる事はできない。タイミング、運、人柄、諦めない心などなど。売れるために必要なものは山ほどある。
明確な勝負はないけれど、結果だけははっきり出る。誰かが売れると、「こうだったから売れた」とか「ああだったから売れた」とか。そんな話ばかりした。でも結局、明確な理由は誰にもわからない。オレたちが挑んでいるのはそんな世界だった。
だから、いつだって不安でいっぱいだった。バカなことをしながら、たまに励ましあったり、けなしたり、協力したり、敵対したり。
時計は二十四時を超えていた。後部座席では上原くんと日立グループの他のメンバーが寝ていた。寝ている者も、起きてる者も、等しく何者でもなかった。まだみんな若かったし、話は始まったばかりだった。
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