3話 社畜と予備軍
ちょっと遅めの昼ごはん
しんと静まり返った空間だ。
一人息をつくその空間で、目の前の弁当に箸を伸ばす以外にすることなどない。
小さな窓の並ぶその場所は、うちの会社の休憩室だ。
部屋の中央には、組み立て式の長いデスクがいくつか配置されており、周りに椅子がぐるりと並んでいる。
そのどれからも見れる位置にテレビが置かれてあった。
自販機もいくつか並んで立っていて、オーソドックスなペットボトルなどを売るもの。
それのほかに、軽食の入ったものや飲み物の入った紙コップが出てくるものと様々だ。
その隅で一人欠伸をして、弁当の中身を口に運ぶ。
うん、これ美味いな。今度ルシアにリピートリクエストしておこう。
そんなことを思ってはいても口には出さないものだから、静かな空間は続く。
他にもそこで昼休憩を愉しむ社員も居るが、隈だらけの目を見れば、厳しい職務の
声を出す労力すら惜しいのだ。
だから、いつまで経っても無声の部屋
ただテレビのニュースだけが鳴っている。
『…です。もう14年前になりますか。』
『そうですね。今日はまだ見つかっていない行方不明者の多いこの事件の追悼に……』
ずっと付けっ放しのテレビの方に視線をやれば数年前の飛行機墜落事故だかの映像が映し出されている。
なんだっけこれ。何か覚えがある映像な気がする。
俺は休憩時間のぼやぼやとした頭をひねり記憶の糸を手繰ってみた。
そして、長い数秒がたって。
まだ青い二十代になったばかりの頃に大々的に騒がれた事件だと思い出した。
そういえば、そんなこともあったなぁ…。
別に俺とは無関係な事件だから気にもしてなかった。
ああ、でも…たしかこれと同じぐらいの時期だったな。
14年…、そうかもう14年も経つんだ。
そんなことをしみじみと思いながら追悼式やらなにやらを映すテレビから目をそらした。
そうして感慨深く息をついた、ちょうどその時だ。
休憩室の扉が開いたのは。
「あ、砂上さぁん!」
扉の音に続くようによく知る声が名前を呼ぶ。
その後はぱたぱたとリズムのいい足音だ。
振り返ってみるとメガネを掛けた見知った女性社員が駆け寄ってくるところだった。
そいつに俺は笑いかける。
「お、
「そーそー。そうなのですよ! 麗しの昼休みが今ッ、まさにッ、やぁってきたのです!」
パンツスタイルのスーツに身を包んだ、ショートカットの女性社員。
そいつははまるで神に祈るように胸の前で手を組んで遥か遠くを見上げている。
大袈裟だと思うかもしれないが、この休憩時間は俺たちにとっては何にも代え難いひと時。
決して彼女がオーバーな行動をしているわけではない。
ニュースの左上に表示されてる時間はもう4時半過ぎ。
昼休憩とは名ばかりの午後休憩だ。
更に彼女は実に15時間ぶりの休み時間…。ここまでくればどれだけ矢鎚にとってこの休み時間が軽んじるべきでないものとわかって貰えるだろう。
俺だって時々こうなる。
祈りを済ませてこちらを向いた彼女の名前は矢鎚たまき。
四年前にこの会社に入社した、俺の部下の一人である。
「あー、そりゃお疲れさん。」
「どもどもです。」
哀れみと祝福を込めて労ってやると、矢鎚はふくふくと満足げに微笑んだ。
よほど休みが嬉しいとみた。俺の隣の席までやってきた矢鎚の顔は、緩みに緩んで今にも溶けてしまいそうだ。
しかし、何かを思い出したのかぴたりと動きを止める。
「ああっ‼︎…そんなことよりもっ! 砂上さん!」
「んあ?」
言うなり矢鎚は唐突に目の前の机にバンッと叩いた。
音とか矢鎚のその行動に驚いて一瞬どころか数秒固まってから、そいつを見上げる。
すると当然矢鎚の顔があって、悪い笑みを浮かべこちらを見下ろしていた。
下を向いているからか、程よく影ができたその表情は、戦隊モノの悪役とか映画の中の怪物のようだ。
「聞きましたよぉ〜?」
緊張した空気が俺と、矢鎚の間に流れた。
ピリピリと何がが今にもはち切れそうなほどに張り詰めている。
だというのにそんな中で妙に間延びした喋このり方だ。
微妙に不安を煽るというかなんというか。
…そう、どことなく不気味だ。
「…え、何? 」
「ほらほらぁ〜! 先週の事ですよぉ〜。」
その不気味喋り方に魔女のような笑み。
それらを貼り付けたまま見下ろされてるもんだから尋問でもされてる気分だ。
先週? 俺なんかしたか?
俺は首をひねる。
慎ましやかな俺がこいつを怒らせるようなことをするはずはないし。
職場は勿論、私生活でだって何もやましいことをした覚えはないぞ。
特に記憶はな…い、けど。
まさかッ、何がミスでもしてしまったんじゃ…!
なんだとそれは一大事だ。二、三日目缶詰してでも巻き返さねば。
そんなことを悶々と考えて一人青ざめていると、それを何と勘違いしたか矢鎚がニヤリと笑みを深くする。
「ふふふ、もはや言い逃れは出来ませんぞ。私、知ってるんですから。」
「だから何だよっ。」
どれだ? 何を間違えた? 商品の発注か納期の確認のものか顧客への対応か企業側に送った書類かかはたまた取り引き先との連携か、それとも…
頭の中をグルグルと巡る思考が俺の胸を焦がす。
内々の事ならまだいいが、取り返しのつかない事だったら……。
この会社でプログラマーとして働き始めてはや十数年、俺は結構重要な仕事だって任されてるのだ。その仕事でのミスは俺だけでなく会社にとっても痛い。
はやく、はやく戻って確認せねば…。
たらり、額を汗が伝った。
そんな俺をよそに、何故かテンションの高い矢鎚。
上機嫌にこちらを見下ろす部下はビシッとこちらに人差し指を向けて大きく口を開いた。
誠心誠意土下座ブチかます覚悟はできてんだ何でも来いッ…、
「砂上さんがめちゃくちゃかわいい外人の女のコと歩いてたって!」
……………………………………………、
…………?
ん?
「……あー、何だそれのことかぁ。ビックリさせんなよー。」
「えっ‼︎」
どっと気が抜ける。
なんだ、仕事のことでもなんでもなかった。
それならどうでもいいやぁ。
あービビったビビった。ハイハイ解散ッ。
だらりと炭酸の抜けたコーラみたいになる俺に今度は矢鎚が慌て出す。
「な、何スかその反応ぉー! みに、身に覚えがあああああると言うのかぁ‼︎」
「ミスってなくてよかったぁー。」
完全にひっくり返った声で問い詰める矢鎚だったが俺には関係ない。
すっかり緊張から解放された俺はしばらく気の抜けたままでいるのだった。
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