5話 咲いて散って枯れた
あの日のこと
それは穏やかな秋の夕暮れだ。
夏が死んで木々の葉も活力を失い、紅く紅く色づく頃。
蒸していた空気もすっかり澄んでいて、時折肌寒い風がが体を撫でた。
あんなに活気だっていた蝉の声は随分前から聞いていない。代わりとばかりに今の時刻を過ぎ、夜が更ければ鈴虫たちが歌い出すのだろう。
木枯らしが乾いた土とその赤をさらって、窓の外の校庭を走り抜けていく。
小さくであったが、渦を巻き螺旋に踊る赤い風。
それを、俺は横目でちらりと見ただけだった。
古ぼけた教室の片隅、日当たりのいい窓際の席。
俺は自分の席に座って、そいつはその机の前に立って。
楽しそうに、談笑している。
そいつがなにか言うたびに俺の口が大きく開いて笑い声をあげて。
俺がそうするたびそいつも同じように大きく笑うのだ。
懐かしい景色だ、なんてぼうっとした頭の隅誰かが言った。
…そう、これはあの頃のおれたち。
「それでさぁ、洋介。どうしたと思う?」
「なんだよ。なにしたんだよ。」
もったいぶるそいつに笑い混じりにそう返して、俺はそいつの言葉を待った。
これは一体何の話をしていたんだっけか?
よく覚えていない。
遠い昔のことだから、忘れてしまったんだろう。
見渡してみれば、二人きりの教室だ。放課後の大分遅いこの時間は他に誰の影も見えない。
夕日の赤に染められたそこは、オレンジ一色。
椅子も机も壁も床も窓についた真っ白なカーテンも、全てがおんなじ色だ。
そいつが口を開く。
「俺はそん時言ってやったわけよ。俺は卵には蜂蜜派、…だってさ!」
びしっとこちらに銃をかたどった指を向けてしてやったり顔で笑うそいつだ。
話の本筋がわからないから笑うにも笑いようがないのだけど、
…何故だかそれが、ひどくおかしくて。
「はっはは、なにそれバカじゃねえのお前。」
俺はそう一際大きく笑って、机を行儀悪く叩いた。
しかし後に続いて聞こえるはずだった笑い声が、いつまでたっても聞こえないではないか。
俺は不思議そうに顔を上げた。
「…? 」
唐突に押し黙ったそいつを俺が見上げる。
オレンジ色の教室の中、やっぱりオレンジ色のそいつの顔。
僅かにひきつったそれは、一体何を意味しているのか。
「なんだ、どうした?」
「あー、いや…。何でもないんだけど、さ。」
問われて大げさに肩を跳ねさせたそいつはやっぱり変にひきつった笑いを浮かべた。
俺の方はそいつの歯切れの悪いその回答に眉をひそめる。
俺が首を傾げると、そいつは気恥ずかしげにそっぽを向いて頰を掻いた。
なんだか奇妙な空気だ。正直言って居心地が悪い。
「?…なんだよ言えよ。」
「えっ、…ああ、いや…、」
「誤魔化そうったってそうはいかないぞ。ほら早く言え。」
そう諌めるような視線を送ってやれば、少し渋ってはいたがそいつがこちらを向いた。
その時のそいつは、何だか変だった。
見たこともない表情を浮かべていた。
焦るような浮ついたそれに似ているようにも、しかし腹を決めた時のようにどっしりしたものにも見えた。
オレンジを混ぜた目が真っ直ぐ俺を見ているという事実に、ビリビリと背骨が静かに痺れた。
心臓がうるさい音を立て始める。
開いた窓から冷たい風が吹きつけてくるのに、熱くて熱くて仕方がない。
変な顔の友人が、ふーと一度息を深く吐き出した。
その時の俺には。
それが、オレンジ色の世界の中で、一等輝いて見えたんだ。
窓が開いてるのに、どこか埃っぽい夕焼け色の教室。
どこか幻想的でもあるその空間では、空気を舞う
だからだろうか?
口下手なそいつの唇が震えた。
「お前さ、…なんか綺麗だ。」
その日、気まぐれに伸ばされた手のつま先が、指の腹が、掌が、頰にふれて…。
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