第4話 突然の訪問

「ちょっと、いつまで寝てんの!」

 母がドアを開けて入ってくる。時刻は十時。夏休みでだらけている学生にとっては、まだ起床時間とは言い難い。しかし、それを矯正するのが親の役目なのだ。鬱陶しいとは思いつつも、ベッドから頭だけ上げて、母のほうを見る。

「もうちょっと寝かせてくれよ」

「アンタにお客さん来てるよ!」

「え?」

「結構可愛い子じゃないの」

 誰だろう……菊池先輩以外の女友達なんかいない。友達の友達あたりから見当をつけようとしていると、甘酸っぱい香りがかすかに漂っているのに気づいた。

「お、お邪魔してます……」

 紗耶香が、扉の隅から顔を出してこちらを見つめていた。

 本が積まれ、散らばり。綺麗なところはベッドのみと言っても過言ではない四畳半。そんな僕の部屋に、紗耶香が足を踏み入れてきた。

「アンタも隅に置けないわねぇ。それじゃ母さんはお茶の準備を……って、いらないわよね。それじゃごゆっくりね」

 母の言葉が右から左へと通り過ぎていく。

 起動中のパソコンに、パンチを浴びせるようなものだ。宙ぶらりんな思考のなかで、僕が考えられるのは「なぜ?」という言葉だけだった。

「すいません、突然お邪魔しちゃって。寝起き、ですよね?」

「なぜ……?」

「はい?」

「なぜ、僕の家に……?」

「会いたくて、来ちゃいました」

 違うんだ、それを聞きたいんじゃないんだ。

「そうそう、起こしちゃったお詫びが必要ですよね」

 紗耶香は本を避けるように歩き、部屋の中心にあるミニテーブルをよこぎり、ベッドの横までやってきて――掛け布団に手をかけ、持ち上げた。

 そしてパジャマ姿の僕めがけて、飛び込んでくる。

 紗耶香の肩が、胸に勢いよく当たった。鈍い重みが、脳髄に活を入れる。カーテンから漏れる太陽光が一段と輝きを増して見えたのと同時に、口から空気が一気に漏れ出す。そのまま僕の首に絡みつくように腕をまわし、耳元に吐息がかかる距離まで身体を密着させてきた。

「私たちって、結ばれてるんですよ」

 胸の痛みに思わず目を閉じてしまっているのにも関わらず、紗耶香は平然と喋りだす。

「好きなんですよ。あの日、曲がり角で出逢ってから……いや、そのもっと前から。私は真守さんを好きになる運命でした。真守さんも私を好きなんですよね。だから相思相愛になるために、あの日ぶつかったんですよ」

 子守唄でも歌うように、紗耶香は囁く。やさしく、やさしく頭を撫で回されるたびに、心臓が音を上げて脈打つ。その振動が全身まで伝わっていくかのように、僕は振るえだした。

「あ、掛け布団とったままでしたね。寝起きは寒いですもんね。気が利かなくてすいません」

 違う。そうじゃない。

「真守君のお母さんと少し話してたんだけどね、なんか気に入って貰っちゃったみたい。『こんなお嫁さんがくれば安心なんだけどねぇ』だって。そんな結婚とか、まだ早いよね」

 それでも式はいつあげるか考えてもいいよね、とか。真守君は県外の大学に行くから同棲できるね、とか。紗耶香の口はずっと止まらなかった。

 僕が県外の大学を希望しているなんて、今まで極少数にしか話したことがない。母親にすら黙っていた、心のなかの目標だった。

 今度は歯も慌ただしく動き始めた。手のひらがやけにぬめぬめする。

 このままだと、どうにかなってしまいそうだった。

「少しでも近くにいたいから部屋はワンルームで……あっ」

 突然起き上がったからか、紗耶香がベッドから転げ落ちる。可哀想だとか、申し訳ない気持ちはみじんも湧いてこない。真夏の昼間なのに、やけに身体が涼しく感じる。

「ごめん。これから本を読みたいんだ」

 頭のなかで振りしぼった用事が、たったそれだけだった。流石に紗耶香を帰らせる理由としては薄いだろうか。

「そうですかぁ……じゃあ私、帰りますね」

 立ち上がった紗耶香はぺこりと頭を下げて、ミニテーブルをよこぎり、積み重なった本の山々を避けるように足を進め、部屋から出ていった。

 紗耶香が見えなくなるのと同時に、全身から力が抜けて、またベッドに横たわった。

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