第12話

 事務所のチャイムを押した。ドアが開くと中から、黒いシャツを着たそこそこ長身で、そこそこイケメンのおっさん、なんていうか、マイルドヤンキーがそのまま大人になったみたいな、チャラい感じのおっさんがあらわれた。

「誰、キミ?」

「絵美のクラスメートで、昨日来た高校生の友人です。キハチっていうんですけど、あいつのかわりに絵美の遺書を持ってきました」

 社長の背後に見える事務所の部屋には、たくさんの段ボールが積まれていた。段ボールには黒いマジックで、『衣装』とか『CD』とか書いてある。

「そう、ありがとう。絵美ちゃんは残念だったね。昨日の子はどうしたの」

「キハチは、昨日の帰り道で車に轢かれたんです」

「そうなの。大丈夫だったの、彼」

「それが、重体なんですよ。昨日の夜はなんとか意識があったんですが、今日の朝から意識が混濁していて」

 ちらりと社長の顔を見たが、表情は変わらない。言葉を続けた。

「昨日の夜、キハチから遺書を社長さんに渡してくれって頼まれたんで、持ってきました」

「そうか、それは大変だね」

 動揺している気配はまったくない。こいつ、ひき逃げ犯だとしたらかなりのタマだ。轢いたやつが重体だった言ってるのに、まったく顔に出さない。

「これ、絵美の遺書です」

 電車の中で仕込んでおいたウサギ柄の便箋を渡した。

「絵美のおばさんはいらないって言っていたので、社長さんが持っていてあげてください。あいつ、本当にアイドルになりたがっていたから、夢を叶えてくれた社長さんが持っていた方がいいと思います」

「それはダメだよ。こういったのはキチンと親御さんに返してあげないと。今ここで読んで返すよ」

 それは困る。それはオレが電車の中で書いたニセ遺書だから。

「いや、いいっす。ところで、『K』ってなんだか知ってます?」

 LINEのやり取りの中で見つけた、なにかの頭文字か省略文字だと思われる『K』について聞いてみた。

「知らないね。なんか流行ってるやつ?」

「知らないならいいです。どうもお邪魔しました」

 挨拶をすると急いで玄関の扉を閉めた。急いで階段をくだり、ライオネスの待っている二階へ降りた。

「どうじゃった?」

「ダメだ、手応えなしだよ。何やっても反応なしって感じだな」

「ところで、あの渡したニセ遺書にはなんて書いてあるんじゃ」

「『スナフキンへ、犯人はお前だ』って書いておいたんだよ」

 社長が犯人かスナフキン、もしくは両方なら、きっとオレのことが気になって追いかけてくるだろう。そこを後ろから襲って一網打尽。警察に突き出す。キハチを轢いているなら傷害罪で逮捕される。

 万事オーケー、一件落着。それがオレの作戦。そのはずだったが、さっきの社長の反応を見る限りじゃ、オレたちが勝手に『社長が犯人』と決めつけていただけかもしれない。

 三階まで登って、階段から事務所の玄関先を見てみた。ここからじゃ部屋の中は見えない。かれこれ十五分ぐらいたったが、動きはない。

「もう、来ないのではないか?」

 ライオネスはあくびをした。完全に飽きている。

「いや、オレの作戦は完璧のはずだけど……」

 オレも半信半疑になってきている。

「ライオネス、ちょっと部屋を見てきてよ」

 ライオネスは玄関の周りをウロウロすると、こちらへ戻ってきた。

「部屋の電気はついているが、中に人がおるかどうかはわからんのう」

「んー、不発か」

 あそこまで揺さぶったのに、動じないってことは、そもそも犯人じゃないかもしれない。

 キハチの事故の話をしても、絵美のLINEの『K』の話をしても、何の反応もなかった。たとえニセ遺書を読んだとしても、犯人でもスナフキンでもなかったら、なにこれ、って感じだろうし。たちの悪いイタズラぐらいにしか思わないだろう。

「帰るか、もうすぐ八時だし」

 マンションを出ると、みさに電話をした。電波は届かなかった。まだ病院にいるのかも。駅に向かって歩き始めた。

 よく考えると、社長が犯人じゃない可能性の方が高い気がしてきた。キハチが車に轢かれたのも偶然かも。スナフキンだって別の人の可能性は高い。オレたちは勝手に二つの事件をくっつけて考えているだけかもしれない。

 よくよく思い出してみると、最初の最初はキハチが轢かれた時、ライオネスが『社長が犯人だ』なんて言い出したのが始まりだ。

 オレの横を、てくてく歩いているライオネスを見た。

「どうしたのじゃ」

「お前が『社長が犯人だ』、なんて言い始めたからこんなとこまで来ちゃったけど、全然違ったじゃねぇか」

「たしかに始めは吾輩かもしれんが、それから先はおぬしが勝手に突っ走っただけじゃろ」

「まぁ、そうかもしれないけどさ」

「しかし、社長とやらが犯人じゃないとすると、いったい誰が犯人なんじゃ」

 たしかに、社長が犯人じゃないとすると、誰が犯人なんだろう。また一から洗い出さなきゃいけない。手がかりは絵美のスマホぐらいしかないなぁ。もう一度、しっかり調べないといけないな。それから、絵美の『あの人』とキハチの轢き逃げ事故と『スナフキン』は分けて考えるべきだな。キハチの事故は警察がサクッと犯人を捕まえるかもしれないし。

 周りがいきなり暗くなった。

 気がつくと駅の裏のトンネルの中にいた。昔の癖で、こっちの道を通ってしまっていた。考え事をしながら歩いていたから気が付かなかった。今日は月明かりでだいぶ明るいから、トンネルの中が一層暗く感じる。

 ジャリっと後ろで足音がした。

 振り返るよりも早く、何かが動く。

「あぶない!」

 ライオネスが体当たりをしてきて、オレは飛ばされて転んだ。背後で金属とアスファルトのぶつかる高い音がした。

「このクソネコが」

 誰かがそう叫ぶと、ドンっと鈍い音が背後からした。

「ぎゃ」

 声と共にライオネスがトンネルの外に飛ばされた。オレは回転しながら立ち上がる。

「ライオネス!」

 叫んだが、返事はない。

 代わりに、殺気と共に金属バットが襲ってきた。

 右足を引き、身をかわす。流れで右正拳突きを相手の脇腹に入れた。そこから三歩下がって距離を取る。

 小学校の頃から何千回と繰り返している動きだ。

 相手は咳き込んだ。

 覆面の男が金属バットをもって立っていた。

 さっきの声。この背格好。おそらく社長だ。

 息を整えて、猫足立ちの構えで相手に向かった。

「お前がキハチと絵美をやったのか」

 オレが冷静に聞くと、覆面男は小刻みに震えている。

「なんでお前が『K』のことを知っているんだ」

「『K』ってなんだ」

 改めてオレは聞いた。

「絵美はお前に子どもの話をしていたのか。お前は絵美の何なんだ」

「子ども?」

 『K』は子どもの頭文字なのか。

「あいつが産むとか言わなきゃ、こんなことにはならなかったんだよ」

 産む? 子どもを? 絵美は社長との間に、子どもができて、そのことで悩んで自殺したのか。

「俺の言う通りに堕ろしてたら、今まで通りで何もなかったんだよ。お前らもオレを疑いやがって。そんなことしなきゃ、昨日のやつも轢かれずに済んだし、何もなかったんだよ」

 やっぱり、キハチを轢いたのもこいつだったんだ。沸々と怒りが込み上げてきた。ダメだ、オレはこいつを許せない。

「うるせぇなぁ、くず野郎。来いよ、ぶっ飛ばしてやるから」

「オレは悪くない。悪いのはお前らだ」

 そう言うと、覆面男は左手から何かを投げた。

 一瞬で視界を奪わる。左腕に激痛が走った。ゴキっという鈍い音がする。あぁ、これまずいヤツだ。折れたな、左腕。それに目も開かない。砂かなんか投げられた。さっきからずっと左手に持ってたんだな。やっぱり、頭悪くないわ、こいつ。

 とりあえずの状況を理解して、後ずさりした。鼻に風圧を感じて、足元でキーンッと高い大きな金属音が鳴った。今まで感じたことのない恐怖に総毛だった。まじかよ、こいつ。本気で頭かち割にきたぞ。昨日から、気が狂ったやつばっかり会うなぁ。あぁ、さすが死ぬかも。クルミの実、キハチにあげなきゃよかった。目は開かないし、もうムリだ。


 ---ムリじゃない、構えるんだ。


 耳の奥で聞きなれた声がした。

 オレは目をつむったまま、いつものようにもう一度構え直した。左腕はもう上がらないが、意識の中ではいつもの位置にある。

 社長が何かわめいているが、すごく遠くで聞こえる。低くゆっくりと。重く空気が動いた。社長が一歩前に出たのだろう。

 目の前が薄く白い光に包まれた。これは何だ、月光か。光の中に人型の黒い影がぽつんと浮かび上がった。空気をかき分けて、ゆっくりと進んでくる。これはなんだ。何が見えているんだ。目を閉じているのに。


 ---ボウズは目に見えるものにとらわれすぎているんだ。


 さっきよりもはっきりと、声がした。影がゆっくりと振りかぶった。オレはゆっくりと飛びあがり、左足を振り下ろされる金属バットに当てて、金属バットを受け流した。

 よし。ここまでは昨日の稽古と同じ。問題はここからだ。


 ---右足でこめかみとみぞおちに、蹴りを食らわせるんだ!


 だから、んなこと、できるわけないだろ、バカ師匠!

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