第10話

 電車に揺られて、事務所の最寄り駅で降りた。

 事務所には、キハチが轢かれたトンネル経由で行くことにした。トンネルは駅の改札の裏にある。駅前再開発のせいで、どの道からも遠回りになったから、人通りはほとんどなくなった。たぶんこの辺りに住んでいる人しか通らないだろう。

 近くにある廃工場が不気味な雰囲気を出していた。

 中学三年の頃に、キハチと通っていた塾がこの先にあって、オレたちは塾の帰りにこの辺りでよく遊んでいた。

 高校に入ってからは一度も来たことがなかったから、キハチが帰りにこのトンネルを通ったのは、久しぶりにこの辺りを見に来たかったんだろう。

 そこから徒歩で十分ぐらい。スイポテの事務所があるマンションまで来た。事務所とは名ばかりで、普通の八階建てマンションの三階の一室だった。とりあえず、インターホンを押してみたが、反応はない。小窓の電気も消えているし、電気メーターの回り方も遅い。出遅れたか。社長はもういないようだ。

「もう、帰ってしまったかのう」

 ライオネスは大きなあくびをしながら言った。ここまで来て、手ぶらで帰るのは癪だな。電車代もかかっているし。

 ドアノブをひねってみたけど、もちろん鍵がかかっていた。傘立ての下を見てみたが、もちろん合鍵が隠してあるなんてことはなかった。オレの頭ぐらい高さにある小窓を押してみたが、もちろん、ん、少しだけ開くぞ、これ。この窓のタイプは……、なんていうんだろ。下を押すと、上を起点に少し開く形になっている。換気扇が上にあるので、おそらくキッチンにある飾り窓兼、通気窓だろう。ここは鍵がかかってないみたいだ。だけど、どれだけ押してもかろうじて腕が入るぐらいの隙間しか空かない。

「何か、つかめるか?」

 ライオネスは興味深そう見ている。

 手の届く範囲には何もない。小窓はオレの頭ぐらいの高さにあるから、背伸びをしても中はほとんど見えない。腕も肘までしか入らないから、可動範囲が少ない。惜しいところまで来たのになぁ、と思いつつライオネスを見た時、ひらめいた。

「ライオネス、オレが抱えてやるから小窓から中を見てくれないか」

「お安い御用じゃ、それぐらい」

 ライオネスを抱えると、小窓の中にライオネスの体を入れた。

「何か見えるか」

「いや、暗くて何も見えんぞ」

 ライオネスがそう言った瞬間、オレは手を離した。

「にゃ、なにをする!」

 そう言ったライオネスは、バタバタしながら闇の中に消えていった。

「悪いけど、たぶん、絶対、社長はなんかの犯人だ。なんか手がかりを探してきてくれ」

「なんかって、なんじゃ。漠然とし過ぎだ! それにどうやって出るんじゃ、ここから!」

「明日になったら誰か来ると思うから、ドアが開いたら何とか脱出してきてくれ。それじゃあ、頼んだぞ」

「待て、行くな。人でなし!」

 騒ぐライオネスを置いて、とりあえず帰ることにした。まぁ、あいつは妖怪だから大丈夫でしょう、きっと。


 電車を降りて、駅前に戻ってくると駐輪場から自転車を引っ張り出した。いつものように、銀行の裏道を通った。まったく、慌ただしい一日だった。

 そういえばここ、占い師のおっちゃんがいたところだ。この前いた場所を見たが、今日はいなかった。

「こっちよ」

 振り向くとおっちゃんがいた。おっちゃんがすごく懐かしく感じる。昨日会ったばかりなのに、もうだいぶ昔のような気がした。

「昨日は逃げたりして、すみませんでした」

 素直に昨日の事を謝った。

「その様子だと、なにか始まったみたいね。クルミの実はちゃんともっておくのよ」

「それなんだけど……」

 オレはポケットから砕けたクルミの実を出した。

「あらぁ、良かった。役に立ったみたいね」

 そういうと、おっちゃんはクルミの実にまつわる話を始めた。

 その昔、中国を明という王朝が支配していた頃、ある村で疫病が流行って、壊滅状態になっていた。ある日、そこへ易者がやってきて、村の未来を占うべく星を見た。悪い気の流れを止めるためには、村の北北西にクルミの木を植える。さすれば、その実が身代わりとなって疫病が収まる、と村に伝えて易者は去った。村人は易者の言う通りにクルミの木を植えると、次の年から大量のクルミを取れるようになり、疫病は収まった。それ以来、『身代わりのクルミ』として中国で有名となった。

 このクルミは最近まで枯れずに残っていた。おっちゃんは二十年前に中国に行った時、何個かもらってきたとのことだった。その最後の一個をオレにくれたのだ。

「やっぱり、本物だったんだ、あれ」

「そうよ。効果あったでしょ」

「おかげで、親友が助かったよ」

「え、あんたじゃないの」

「そうだよ。クルミの実をあげた親友が、交通事故にあったけど、かすり傷で済んだんだ。もしかしたらクルミのおかげかなぁと思ってたんだよ」

「ちょっと右手を出しなさい」

 おっちゃんは必死の形相でオレの右手を強引につかんだ。

「あぁ、やっぱり。まだ消えてないわ」

「なにが」

「ここに一本、線が入ってるでしょ。これは災害線って言って、この線が生命線まで伸びている場合、何らかの災害で生命の危機が訪れることを暗示しているの」

「へぇ」

「へぇ、じゃない。いいこと、これから先、絶対に無茶しちゃだめよ。これだけはっきり出てるのは珍しいわ。きっと何かある。それも近いうちに。けど、ほかの線がこれだけ強いと、何とかなるのかも。これは天がどちらにつくかね」

 おっちゃんはぶつくさ言っているが、まぁ、気を付けるしかなさそうだし、そろそろ帰るかな。そういえば、昼から病院でリンゴしか食ってないから、すげえ腹減ったし。

「おっちゃん。ありがとね。気を付けるよ。それじゃあね」

「ちょっと待ちなさい。まだ、話は終わってないのよ」

 自転車に乗って片手を上げると、オレは家路についた。

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