第4話

 家に着くといつも通り、裏のブロック塀から一階の屋根に登り、二階の自分の部屋に窓から侵入した。別に悪いことをしているわけではない。今年の夏休みに入るぐらいから、どうにも親と話すのが気持ち悪くなってしまった。たぶん、これがいわゆる反抗期だろう。

 オレには兄がいて、兄は全力の反抗期、文字通りの殴り合いの反抗期をお父さんとやっていた。小学生だったオレはそれをみて、なんてバカらしいことなのかと思ってしまった。オレは、絶対に反抗期なんてしない。そう思っていたけど、ついに反抗期がきたみたいだ。

 若干の自己嫌悪と共に、親への嫌悪も始まった。兄貴のように殴り合いの反抗期は絶対にしたくない。そもそも、オレは空手を習っているので、本気で殴ったらサラリーマンの父さんに負ける気はしない。なので『親と一言もしゃべらない』という方針でいくことにした。これを『マハトマ・ガンジー作戦』と呼んでいる。それ以来、まずは玄関から家に帰ることをやめた。何せ顔を見るとムカつくのだ。会わなければ、それほど腹が立つこともない。だから、窓から帰ることにした。

 両親はすぐに気が付いたみたいだった。最初の頃はお母さんがいろいろと言ってきたけど、今では諦めているみたいだ。

 部屋に戻ると、ドアの鍵を開けて廊下に置いてある夕飯をとった。そして、また内側から鍵をかける。この鍵は、夏休みにオレが取り付けたものだ。

 夕飯には毎回、お母さんからふせんで一言書いてある。

 『カレーにエノキを入れてみました』

 今日はそう書いてあった。カレーにエノキは、入れない方がいいだろ、普通。

 部屋には電子レンジがないので、冷えたカレーライスを食べる。温かい方が絶対に美味しいだろうけど、稽古で疲れた体には冷えていても十分だった。

 食べ終わると、バレないようにそっと皿を廊下に出した。まだ少し食い足りなかったが、今は反抗期なのでおかわりができない。この時ばかりは、早く反抗期が終わればいいのに、と切に思う。

 ベッドに横になった。窓の外では月がギラギラと輝いていた。あれは中秋の名月ってやつだろうか? ポケットからクルミの実を取り出して、月と合わせてみた。満月よりも少し欠けているような気がする。

 それにしても、色々なことがあった日だった。

 絵美の葬式、奥義を先生に教えてもらって、あの占い師。

 大変なこと?

 運命が動き出す?

 何なの、それ。

 そんな中二病的なことなんてあるの?

 もう高校生だぜ。

 月明かりに影が揺れた。窓の外には、ライオネスがいた。

 一か月ぐらい前から、決まってこの時間になると、屋根の上を通る黒白の猫。オレはこいつをライオネスと呼んでいる。名前の由来は、道場に飾ってあるポスター、女子プロレスラータッグ『クラッシュ・ギャルズ』のライオネス飛鳥になんとなく似ていたからだ。

 ライオネスはタキシードを着たような柄の、いわゆるハチワレ猫だ。ライオネスはいつも、何か言いたげな表情でこっちを見る。最初の頃に、もしかしたら喋るんじゃないかと思って、何度か話しかけた事がある。まぁ、話し出すことなんてなかったけどね。触ろうとして威嚇されて以来、触ろうともしていない。あとマイルールで、目があったら絶対に逸らさないとも決めている。だいたい十秒もにらみ合いを続けると、ライオネスは呆れたような顔をして帰っていく。

 しかし、今日は違った。

 ライオネスは口に紙をくわえていた。A4用紙を四つに折ったぐらい大きさの紙だ。その紙を窓際に置くと、ライオネスはオレの方を向いてこう言った。

「ちょっと、これ、読んでくれ。我輩、文字が分からないので」

「やっぱりな」

「やっぱりってなんじゃ?」

 ライオネスはいつもの呆れた顔でこちらを見た。え、ほんとに。しゃべるとか、ありなの?

「お前、しゃべれるのか?」

 ライオネスは、質問を無視して話を続けた。

「この前、メスの人間の死体があってな。その近くにあったんじゃが……」

 メスの人間の死体?

「おい、この前っていつだ?」

「昨日のその前じゃ」

「どこで拾ったんだ?」

「向川団地じゃよ」

「ちょっと、貸せ!」

 背筋がゾクゾクした。オレの予想が間違っていなければ、この紙にはたぶん……


  -------------

  もう、生きていられません。

  先立つ不幸を許してください。

  私はまだ死にたくありません。

  でも、あの人の言う通りにはできません。

  なんでこんなことになったんだろうと考えます。

  きっと、全部私のせいなんだと思います。

  ごめんなさい。

  みさ、相談もできずにごめんね。

  ------------


 これは、絵美の遺書だ。

「おい、なんて書いてあるんだ?」

 ライオネスは遺書をのぞき込んできた。

「わるい、これ、ちょっと借りるな」

 オレはジャージを羽織ると、屋根から塀へ降りた。自転車にまたがるとキハチの家へ急いだ。

「おい、どろぼう人間! それは我輩のだぞ、こら!」

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