「先輩を疑うことになったきっかけは、一枚の写真でした」


 そう口にしてから、俺は写真を差し出した。スマホで撮ったビデオカメラの画像をプリントアウトしたものだ。

 受け取った先輩は写真に目を落とした。驚いた表情を浮かべると思っていたが、彼女が表情を変えることはなかった。


「それはビデオカメラの中にあった写真を写したものです。ビデオカメラを回収したあとに見つけました」

「……そう。見つかってしまったのね。撮られているのはわかっていたけれど、まさか貴方が見てしまうとは思わなかったわ」

「俺と黒河がこの洋館で対峙する前の日の夜、先輩は黒河とここで会っていますね?」

「……、」


 先輩は何も言わなかったが、その目が先を促していた。

 俺の質問には答える気はないようだ。それは俺の推理を聞くためなのだろうか。先輩は俺を試しているのかもしれない。


「俺と黒河を会わせるように仕組むために。そして俺に黒河が犯人だと突き止めさせるために」


 先輩の誘導のような行為は、その夜以前から始まっていた。


「同じ理由で、黒河の学年章を転がしていた。あの時は疑問に思いませんでしたが、でも思い返してみると違和感がありました。今思えば、それも【月下香の印】の影響だったのかもしれません。……あの時、【月下香の印】の影響下にあった俺たちは、誰一人として学年章が怪しいとは思えないはずだった。でも先輩。あなたは違った。それを怪しい物だと思った。あなたが学年章を転がしたのだから当然ですよね」


 思い返してみると、上手く行き過ぎていた。学年章の件と同じように、先輩がすべてを仕組んでいたと考えれば、説明がつく。

 先輩は最初から俺たちを黒河に近づけようとしていたのだ。黒河が犯人だとわからせるつもりだったのだ。

 黒河のことに限らない。桃花のことも、だ。


「そうして俺たちを黒河の元へと導いた。そのあと、俺は黒河と【月下香の印】を奪い合い、黒河は逃げた」

「……、」

「……俺と黒河が会話をしているとき、先輩は黙っていた。考え事をしていたと言っていましたが、違いますよね。あなたは黒河と話す気はなかった。下手を打って疑われないために。でも失敗でしたね。黒河は俺の背後を見て、なにか納得していました。それはあなたの姿を見たから。黒河は先輩のように、あなたが疑われるという可能性は考えなかったんでしょう」

「……、」

「そして先輩は桃花に黒河を殺せという指示を出した。口封じのためにとか理由をつけて。……次のターゲットは桃花でした」


 先輩は相変わらず何も言わなかった。

 俺はかまわずに先を続けた。


「桃花が黒河を殺した犯人であることも、俺に推理させようとした」


 おかしな点があった。それはほんの些細なことだ。だがそれは事件調査を大きく進めるものだった。

 それは現場に落ちていた一本のボールペン。服部桃花が犯人だという可能性を示した証拠品だ。


「現場に残されていた桃花のボールペンを、俺は見つけました。最近、それについて思い出して、いくらなんでも都合がいいような気がしたんです。でもボールペンを誰かが現場に置いたのなら納得できる」

「……、」

「そういえばボールペンを見つけたとき、先輩は他の可能性もあると言っていましたね。そっちの可能性について一人で探ってみると。……あれは俺一人で桃花にたどり着かせるための言葉だった」

「……、」

「桃花が犯人だと、俺が暴いたあと、先輩は桃花を殺す予定だった」


 俺は桃花が見せた最後の顔を思い出す。あの時、階段から俺を見上げた桃花は、確かに寂しそうな笑顔を浮かべていた。いま思えば、桃花はわかっていたのかもしれない。自分の最期が近いということを、知っていたのかもしれない。


「つまり、桃花は自殺したのではなく、先輩が突き落とした。……これが俺の考えたことです。間違っていますか?」


 先輩は俺の瞳を見つめ、やがて満足そうに頷いた。

 その顔を見て、やっぱり俺は先輩の掌の上にいたのだと確信した。すべて、先輩の計画通りだったのだ。


「大筋としてはあっているわ。けれど、貴方にはわかっていないことがあるようね」

「そうですね。でもその答えは先輩が持っている。……教えてください」


 先輩は小さく頷くと、ゆっくりと語り始めた。


「どこから話すべきかしら。……そうね。服部君を突き落としたのは屋上。けれど知っての通り、屋上は自由に出入りできるわけではないわ。では私と服部君はどうやって屋上に侵入したのか。それはね、簡単よ。職員室から盗んだのよ。もちろん【月下香の印】を使ってバレないようにしてね」


 そう言って、先輩はポケットから【月下香の印】を取り出した。

 やはりと言うべきか、先輩も【月下香の印】を持っていたようだ。黒河や桃花に【月下香の印】を渡したのは先輩であるのだから当然のことだった。


「そして、大事な話があると言って服部君を呼び出し、突き落とした」


 こともなげに、先輩は言った。その声色が酷く冷たいような気がした。


「どうして、殺したんですか?」

「殺さなくてはいけなかった。黒河さんも服部君も死ななければいけない人間だったからよ」

「確かに、二人は犯罪をしました。命を奪うという、やってはいけないことをしました」


 それはいけないことなのだろう。罰を受けなければならないことなのだろう。

 でも、その罰を与える権利は、先輩にはない。ましてや殺してしまう罰を与えるなど、個人が決めていいことではない。


「でも、先輩が殺していいことにはならないはずです」

「当然よ」

「なら、どうして」

「私には責任があるのよ。……同じ、狂人として」

「……、」

「同人種として、私は狂人を、怪物を殺さなければならなかった。関係のない命を奪うことになってしまったけれど、それも狂人かどうかを見極めるために必要だったの。服部君はすでに狂人だとわかっていたけれど、黒河さんは違った。まだ戻れる可能性があった。だから【月下香の印】を持たせて泳がせてみたの。そして、ああいう結果となった」

「……、」

「私は狂人なのよ。でも、まだ理性は残っている。だから本物の怪物になってしまう前に、同じ狂人たちを皆殺しにしようと思ったのよ。これ以上、狂人による被害が出ないようにするために」

「……それは、先輩が被害者だったからですか?」


 俺の言葉に、先輩は口を閉ざしてしまった。酷く遠い目で、俺ではない何かを見つめている。

 過去を見ているのか、もっと大きな別のものを見ているのか。わからなかったけれど、それはきっと俺には見えないものだ。先輩の立場になってみなければ、手をのばすことさえ叶わない。

 その片鱗に触ることができたとして、やっぱりすべてを知ることはできないのだろう。

 それがなんとも寂しく感じられた。


「先輩は【月下香の会】に誘拐され、酷いことをされた女の子ですよね? ……そして、【月下香の会、皆殺し事件】の犯人、ですよね」


 小岩井が先輩について調査した結果、見えてきたのは残酷な真実だった。

 新聞に書かれていた八歳の少女。彼女の名前は椎名琴音。そう、先輩、その人だったのだ。

 先輩は何も言わず、相変わらず何かを遠い目で見つめながら、じっと佇んでいた。その目は暗く、感情を読み取ることができない。


「……ねえ、遠山君は知っている?」


 やがて、彼女は口を開いた。

 それはポツリと地面に落ちる雨水のように、不思議と心の奥に沈み込んでくる。


「鞭で叩かれる痛みを知っている? 火かき棒で皮膚を焼かれる痛みを知っている? 大人の男に押さえつけられて、犯される気持ちがわかる?」


 先輩は表情を変えることもなく、感情の冷え切った声色で言った。同じように感情の読めない瞳が俺の瞳を覗き込む。黒い瞳が俺の瞳を捕らえて放さない。その瞳の中の闇がどこまでも広がっていくような錯覚がする。

 それは先輩の抱えている闇そのものなのか。それとも背筋が凍るような彼女の声色が見せた幻覚なのか。

 ただ一つ言えることは、俺が想像するよりもずっと、先輩の抱えている過去は暗いものであるのだろう。その痛みを、恐怖を、苦しみを。俺が本当の意味で知ることはない。


「……わかりません」

「そうよね。わかるわけがないわ」

「……、」

「彼らは、やはり狂人だったわ。そんな狂人に囲まれていたからかしらね。気がつけば、私も狂人となっていた」

「……、」

「彼らが寝静まった時を見計らって、包丁で腹を裂いて回ったわ」


 その様子を想像して、けれど上手く想像できなかった。惨殺死体を見たはずなのに、様子が浮かんでこない。


「頭の中にあったのは恐怖を払拭するということだけだった。彼らを殺せば解放されると思った。それ以外のことは、当時の幼い私には考えられなかった」


 幼いからこそ、その先のことなど考えられるはずもない。目の前のことで精一杯だったのだろう。ただ恐怖から解放されたいという思いが幼い少女を突き動かしたのだ。

 それは仕方のないことだったのかもしれない。だが悲しい選択だった。


「そうした結果、世間を騒がすことになった。……警察に保護された私は数年間、保護観察を受けた」


 それは新聞の記事と、小岩井の調査から、全て知っていることだった。

 過剰防衛ではあったが、八歳ということで、先輩は数年間の保護観察処分となったのだ。保護観察が終わったのは五年後のこと。彼女が中学生になった頃だった。


「保護観察が終わって、何年か経った頃。私が中学三年生になったとき、服部君と出会った」

「……え?」


 知らない情報だった。

 先輩と桃花が三年前に出会っていたなんて。てっきり、この一年くらいの付き合いなのかと思っていた。


「服部君から接触してきたの。彼は私が【月下香の会】に誘拐された人間であると暴いていたわ。そして、自分は【月下香の会】の関係者だと言っていた」

「そうなると、【月下香の印】を黒河に渡したのは桃花だったんですね?」

「ええ。……その時に思いついたの、計画を」

「狂人と呼ばれる怪物を皆殺しにするとかいう?」

「そうね」


 それは非現実的なことだと思った。いつもの先輩からは考えられないことだった。

 だが先輩の瞳は本気だと語っていた。

 それほどまでに狂人という怪物を憎んでいるのか。


「【月下香の印】を餌に狂人たちを引き寄せ、殺していく。それが私の計画」

「……なら、どうして、俺に事件を解決させようとしたんですか?」

「貴方にも協力してもらおうと思ったのよ。……遠山君には狂人の素質があるから」


 桃花も同じことを言っていた。俺には狂人になる素質があるのだと、そう言っていた。


「俺は違いますよ」

「いいえ、貴方はいつか狂人となる可能性がある。だって遠山君は、死体を見ても冷静でいられたもの。誰もが驚くはずの状況で、貴方は表情を変えなかった。取り乱すことも、なかった」


 ……そういえばそうだ。

 動物たちの死体を見つけたときも、黒河の惨殺死体を見つけたときも。頭は酷く冷静だった。

 それだけじゃない。

 黒河と対峙したときも、桃花にナイフを突き付けられたときも。警戒こそすれ、恐怖の類は感じていなかった。

 俺は、本当に普通ではないのだろうか。俺は、狂人と呼ばれる怪物になる素質がある人間なのだろうか。


「だから、遠山君には協力してほしかったの。貴方が狂人となる前に、ね。それは私が狂人となったときに、私を殺してもらうために。そして貴方が狂人となるまで私の計画を引き継いでもらうために」

「……、」

「ねえ、遠山君。私の計画を手伝ってくれないかしら?」

「……、」


 ようやく、夢の意味がわかった気がした。

 きっと、この光景を予知していたのだ。そう思えば腑に落ちる。


 ……。


 答えはすぐに出た。

 けれど、その答えを口にするのは躊躇われた。

 その答えを口にしてしまえば、本当に終わってしまう気がしたから。

 だが、俺は終わらせに来たのだ。答えなくてはいけない。

 先輩との思い出が頭を過ぎる。


「……俺は」


 頭の中で過ぎていく思い出を追い出して、決心する。


「俺は先輩に協力はしません」

「……そう」


 先輩はさみしげに笑った。


「なら、お別れね」

「いいえ、先輩。あなたは罪を償い、帰ってくるんです。警察ですべてを話してください」

「それは無理よ」

「どうして」

「私には計画があるもの」

「そんなもの」

「それを止めるというなら、遠山君でも許さないわよ」

「許さなくていいです。俺は先輩を止めます」

「……、」

「力づくでも止めます」

「そう。でも無理よ」

「そんなの、やってみないと――」

「わかるわよ。だって、もう終わっているもの」

「え?」


 その瞬間、背中に痛みが走った。焼けるような痛みだった。

 顔だけで振り返る。

 そこにいたのは沢渡と一緒にいた少女だった。


「……な、んで……、」

「彼女は最初から協力者だったのよ」


 身体がふらつく。何も考えられない。

 背中から何かを抜かれる。その拍子に、俺は倒れた。


「さようなら、遠山君」


 薄れゆく意識の中、そんな寂しそうな声と、去っていく二人分の足音が耳に残った。

 そして――。









 世界は暗闇に閉ざされた。

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