④
「まず、小岩井に頼みたいことがある」
ファミレスを出た俺と小岩井は街中を歩いていた。相変わらず太陽は眩しくて、そしてどうしようもなく暑かった。
アスファルトの道路が太陽光を反射させて、蜃気楼めいた陽炎を浮かばせる様を横目に、俺は小岩井に言った。小岩井は頷いてから口を開く。
「なにを調べればいいの?」
「写真に写っていた、あの人のことを、だ」
「……わかった」
「できるだけ、多くの情報がほしい」
「調べられるだけ、調べればいいってことね」
「ああ、頼む」
「りょうかい。任せておいて。……遠山はどうするの?」
「そうだな……。俺は月下香の事件について、自分なりに調べてみようと思う」
「わかった。じゃあ一週間後に報告会をしようか」
「ああ、それでいこう。……あ、そうだ」
俺はポケットから二枚ある【月下香の印】のうち一枚を取り出した。それを小岩井の手に持たせた。
「一応、渡しておく」
小岩井は【月下香の印】をしばらく見つめ、やがて頷いた。
「ありがとう」
そうして、俺と小岩井は別れた。
俺は家には向かわずに、図書館へ向かった。
☆
楠市にある図書館は最近建て替えられた。昔はひっそりとした印象の建物だったが、今では近未来的な外装の建物になった。一見しただけでは図書館には見えない。
内装もずいぶんとシックな感じで、図書館というよりは近未来博物館に近い。
この図書館は本棚が所狭しと並べられているわけではなく、映像鑑賞室や音楽鑑賞室も完備されている。また勉強用のスペースもある。
本、ビデオやDVD、CDの他に新聞もある。
新聞は何十年も前のものからあるという。俺が見たいのはそんな風に何十年も前のものではなく、十年前のものだけだ。
月下香の事件は十年前に起きた。
十年前といえば俺がまだ小学生の頃の話だ。はっきりと憶えているわけではなく、なにか大人たちが騒いでいるというような印象しかない。今思えば無知だったのだ。だから理解できず、結果、そんな印象しか残らなかったのだ。
今なら事件の異常性がわかる。一晩にして何人もの人間が殺されたのだ。それもその全員が凶悪な犯罪者だった。そしてその事実も彼らが死んでからわかったことだ。
この事実が異常であることには間違いはない。大人たちが騒ぐのも道理だと言えた。
新聞が置かれたスペースで十年前の事件の記事を探した。
やがていくつかの新聞を手に、手近な席に座る。一つ一つ、新聞を確認していく。これが意外にも大変な作業だった。
どれくらいの時間が経っただろうか。ついにその記事を見つけた。
ほとんどは知っている情報だった。
事件が起こったのは山荘。殺されたのは女三人に男四人の七人。その七人全員が凶悪事件の犯人だった。彼らは【月下香の会】なる組織を作っていた。そして彼らを殺した犯人は当時八歳の少女だった。
ここまでが俺の憶えていた情報だ。
そしてここからが俺の忘れていた情報だ。
八歳の少女は殺された七人の一人が誘拐した人物だった。彼女の話からその一人は殴打による暴行や性的暴行を繰り返していたことが判明。またその他の人間にも暴行を加えられていた。
少女の身体には無数の痣や切り傷、火傷があった。少女は命の危機を本能的に感じ取り犯行に及んだのではないかと推察された。また少女には部分的な記憶の欠落があった。
これらの情報から過剰ではあるものの正当防衛とされた。これには少女が幼く、かつ前例のないことから判断に時間を要した。また少女にはカウンセリングを行いつつ保護観察という処遇となった。
……。
未成年者だからか少女の名前はなかった。
その少女は今どこで何をしているのか。それはわからない。だがどれだけカウンセリングを受けたにせよ、彼女の心には何かしらマイナスなものが残っていると想像できた。
だがこれは今回の事件となにか関係があるとは思えない。
問題なのはやはり【月下香の会】と【月下香の印】という共通の花の名前を持つ用語か。
考えられるのは【月下香の会】が【月下香の印】を所持していた可能性だ。だがそうなると今、俺や小岩井が持っている【月下香の印】は誰が持っていたのか。
【月下香の会】を壊滅してなどなく、生き残りがいた。その人物が【月下香の印】を持ち出し、逃げた。そしてこの年になって、それを黒河凪沙と服部桃菓に渡した。
そういうことか? つまり【あの人】とはその生き残りということになる。
あるいは。
俺は新聞に目を落とす。八歳の少女という文字を見る。
「……いや、まさかな」
とりあえず図書館での目的は達成した。とにかく図書館をあとにすることにした。
外へ出ると、空はオレンジ色に染まっていた。
俺は図書館の入り口近くに設置された自販機で炭酸飲料を買うと、すぐに開けて缶に口を付けた。炭酸が喉を焼く。その感覚は子どものころから知っている。馴染みの深い感覚だった。
「……子ども、か」
八歳の少女が誰かを殺すというのは、どれだけ異常なことなのか。もしも自分が少女の立場だったのなら、どうしただろうか。
夕焼け空を見上げながら考える。
けれど、答えは出なかった。
☆
その夜、俺は夢を見た。
夢の中の世界は不思議だった。
月は赤く、真夜中の真っ暗な空にポツリと浮かんでいた。
足元には膝下まで浸かるほどの赤い水があり、それは地平線の果てまで広がっていた。よく見てみれば赤い水は血液だとわかった。けれど、不思議と不気味さは感じられなかった。
「ねえ」
不意に声がして振り向くと、そこには後ろ姿を見せる黒髪の少女がいた。黒髪は長く、腰まであった。どこかで見た気がしたが、思い出せなかった。
「貴方もこちらへこない?」
少女はこちらに顔を見せることなく、言葉を続けた。その声はどこまでも澄んでいて、けれどどこまでも淀んでいる。二つの相反する声質が混ざりあった不思議な声だった。
「……どういう、ことだ?」
不思議な少女に疑問を投げかける。
けれど答えはなかった。代わりに足元の血液がコボコボと泡立ち始めた。
そして血液から何かが飛び出してきた。
それは灰色の手たちだった。いくつもの手が血液から伸びてきて、俺の足や腕に絡みついてくる。そして血液の中へ引きずり込もうとしてくる。
俺はその様子を黙って見つめていた。
不思議と振りほどこうという気持ちは湧いてこなかった。ただどうしてかなるがままにしてもいいと、どこかで思っている自分がいた。
血液の中にはなにが待っているのか。それはわからない。わからないが、なぜか居心地がいいような気がしたのだ。
「貴方にはこちらの世界へくる資格がある」
少女の声が続く。俺は彼女へと視線を戻す。
少女は相変わらず後ろを向いたままだった。
「資格?」
「貴方は血色の世界を好む素質がある。それが資格がとなる。世界への扉を開く鍵となる」
「意味がわからない」
「そのうちにわかる」
少女の姿がまるで陽炎のように血の湖の上に揺らめく。やがて彼女の輪郭は薄れ始め、だんだんとぼやけていく。
「私はここでずっと貴方を待っているから」
「……いったい、誰なんだ?」
「私は貴方がこちらへくることを信じているから」
「そんなことは聞いてない。俺の質問に答えろよ」
「だから、きっときてね」
「おい」
「ずっと待っているから」
俺は少女に手を伸ばそうとして、けれどフッと少女は消えてしまった。俺は少女がいた場所を見つめ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そして、気がつけば夢から目が覚めていた。
☆
夢を見た日の翌日。午前の日が窓から射し込む部室で、俺と先輩は文化祭に向けて、新聞の記事を書いていた。内容はこの一年で発行した校内新聞のまとめと、いくつかの小ネタ記事だ。
さすがに殺人事件のことについては書けない。
思い出作りとして書く予定だったお化けハウスについての記事も、俺と先輩は書く気が起きなくなっていた。
そんな中、俺は先輩に話題を振った。昨日の夢について、だ。
「変な夢ね」
夢の話を先輩にしてみると、鼻で笑われてしまった。俺も笑いたい気分だった。
「まあ、そうですよね。俺もなにがなにやらで」
「けれど、夢というのは、見た者の精神状態を表しているという話もあるわね」
「フロイトですか?」
適当に答えると、先輩は驚くような顔をしてみせた。
「よく知っているわね」
「先輩が前に言っていたじゃないですか、夢判断について」
「そうだったかしら」
「そうですよ。……それで気になって少し調べてみたんですよ。なんとなくでしか理解できませんでしたけど」
「そうだったのね」
先輩はどうしてか嬉しそうだった。俺が先輩の言葉に興味を持ったことがそんなに嬉しかったのだろうか。やっぱり可愛いところがある人だと思った。
「……それにしても血の湖ね。それって妊娠に対する不安や期待ということになるのだけれど、遠山君って実は女の子だったりする?」
「まさか」
「なら、最近、誰かを押し倒したりした?」
「先輩、俺にそんなことができると思いますか?」
「……できるわけがないわね」
かなしい話をしているような気がするが、気のせいだと思っておこう。そうしないと泣けてくる。
あれ? 目から汗が……。
「なにを泣いているのかしら」
「な、泣いてないやい!」
「あ、そう」
ツッコミを入れてくれませんかね。してくれないですよね。
「でも、妊娠に対する不安や期待なんてないですよ。たぶん違うと思います」
「そうよね。他にも解釈があるのかもしれないわね」
「もしくは何の意味もない、か。ですね」
「そう、なるわね」
結局、夢の意味についてはわからなかった。
はじめから意味について答えが見つかるとは思ってはいなかった。それでも先輩に夢の話をしたのは、先輩ならもしかしたらという思いが少しだけあったからだ。
だが夢の意味を考えたところで得があるようには思えない。ある意味これでよかったのかもしれない。
☆
あれから一週間が経った。
俺と小岩井は学校の校門で街合わせをして、俺の家へと向かっていた。
陽炎が揺らめくアスファルトの道を歩き、数十分後に自宅が見えてきた。
「お邪魔します」
玄関扉を開けて、小岩井に先に入るよう促すと、彼女はそう言って扉をくぐった。「ただいま」と言って、俺もあとに続いた。
扉を閉じたところでバタバタと足音が二人分聞こえた。そして、リビングから二人分の顔がひょっこり覗いた。奈央と未央だ。
「「兄ちゃんが女の子連れてきた」」
双子は声を揃えて言った。
「兄ちゃん、やらしい」
「兄ちゃん、ナニするの」
「未央、女の子がそういうこと言わない。というかやらしいことなんてしないから。……奈央、未央。こいつは小岩井っていうんだ。俺と同じ高校生だ」
二人にそう言ってから、小岩井を振り返る。小岩井は「こんにちは」と挨拶をした。
「仲良さそうだね」
「ん、まあ。仲は良いほうだとは思う」
「そっか」
小岩井は奈央と未央に近づいていって、「よろしくね」と言った。奈央と未央は小岩井を上から下へと長め、やがてもう一度小岩井の顔を見た。
「……兄ちゃんにはもったいない」
「……兄ちゃんは小さいほうが好きなんだ」
奈央と未央はいつもの感情が読みにくい顔で、なんとも失礼なことをのたまった。奈央は俺に対して失礼で、未央は小岩井に対して失礼だった。
「お前らな。そういうこと言う前にちゃんとお姉ちゃんに挨拶をしろよー」
俺の言葉に奈央と未央がハッとして、挨拶を返した。よし、いい子たちだ。さすが俺の自慢の兄妹だ。
「兄ちゃんは変態だけどよろしくおねがいします」
「お義姉ちゃんとよばせてください」
……ちょっと誤解されているようだった。
「俺と小岩井はそんな仲じゃないぞ」
「「なんだ」」
「がっがりそうな顔をするな。……兄ちゃんたちは上へ行くからな」
俺は小岩井を連れて、自室へと向かった。
「ちょっと暑いが、我慢してくれ」
扇風機の電源をつけながら言うと、小岩井は首を横に振った。
「お構いなく」
俺は小岩井にベッドへ座るように言いかけ、思い直して勉強机の椅子を勧めた。
小岩井が椅子に腰をおろしたのを見届けてから、俺は飲み物を取りに一階へとおりた。
数分後に部屋に戻ってくると、さっそく本題に入った。
「まずは俺から報告をする」
俺は図書館で調べたことを伝え、自分の考えも聞かせた。すると小岩井は渋い顔をして黙り込んでしまった。
「どうした?」
「いや……。たぶん、わたしの報告を聞いたほうがわかりやすい。だからとりあえず、わたしの話を聞いて」
「わかった」
そして、小岩井は語り始めた。
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